2024年元旦、16時10分 珠洲市を震源とする最大震度7の地震が発生
新年を祝う記事をあげる気分にもなれないので、今日のことを簡単に記録しておこう。
朝、亡き父の形見である輪島塗の9ツ組の盃を出し、これを使って初めての新年飲み初めをした。
お雑煮も食べ、その後は自宅でゆっくり寛いでいた。
16時過ぎに阪神淡路大震災で経験した同等クラスの揺れが襲ってきた。
その直後に地震速報と津波の警報が出た。
(スマホのけたたましい音が揺れの後だった。)
津波到達時間までに若干の余裕があったので、浸水防止のため1~2分で重要なものの一部を2階に運び、コンセントを抜き、水道の元栓を閉め、・・・。
直ぐに、家族とペットを連れて山側に向かって避難を開始した。
途中、神社の灯篭が倒れて道幅の半分が通行できなくなっていた。
そこを通過し、ものの1㎞も進まない内に大渋滞でなかなか車が進まない。
金沢市民の多くが一斉に同じ方向に進むわけだから渋滞しないはずがない。
(逆方向は、たまにしか車が走ってこない。)
通常なら、あと2~3分走行すれば安全な高台に到達できるはずだが、30分ほどかかっただろうか。
金沢の山側環状道路の直近まで行き、空地に車を停め、ニュースやSNSで情報を得ながら退避
この間に親戚や友達の被災状況を電話やメール、ライン等を駆使して確認をする。
やはり、能登方面を中心に壊滅的な状況のようだ。
今は家屋に住むこともできない(帰宅できない人を含む)状態の人もいたけど、一人を除き確認が取れた段階では人的被害がなくて良かったが、その一人も無事に避難していることを期待したい。
そして、18時半になっても津波が陸地や河川を遡っているらしい情報もなく自宅に戻ることにした。
今のところ、自宅に大きな被害はなく、茶わんやコーヒーカップなどが5個ほど割れた程度で済んでいる。
その後も、余震はあるも気象庁の発表で震度5を超えておらず、いつでも逃げることができる態勢で自宅にいることにした。
今年の冬は、幸いにも雪がなく温暖な気候だ。
能登は高齢者ばかりの世帯で、通常は老々介護状態の世帯も多い。
だが、元旦であったことから多く家では、子供や親せきが(公共交通機関が不便なので)自家用車で能登の実家に戻り、お節料理等も準備していただろうから、避難行動とか食料確保に困る人を最小限にとどめることにつながっているのではないだろうか。
これが、正月休み明け以降の極寒の冬であったら・・・・。
夜10時頃、店(狗鷲)に被害がないか気になっていたので確認に行く。
花瓶や調味料が入った容器などの一部が転倒とか落下していたが、ビン類、酒器類などに大した被害はなく、ホッとした。
毎営業日の帰宅の際は、必ず食器類にホコリが付かないようタオルを被らせておいたのが転倒防止効果につながったかと思う。
もう少し強い揺れだったり、同じクラスの余震があったら、大きな被害になっていたであろうズレが数か所あったが、不幸中の幸いだった。
そして、自宅に戻るも店にスマホを置き忘れたのに気づいた。・・・ドジだ!
再度、店へ
そして、スマホ発見
日は変わり2日の午前1時少し前、自宅近くの交差点の向こう側(能登方面)から赤ランプを付けた消防の作業車や救急車が十数台やて来て交差点を左折
私も同じ交差点を反対方向から右折し同一方向に進む。
止まった車の文字やナンバーを見たら「岐阜」
そっか!岐阜市の消防署員さん達が災害救助に来てくれたのか(推測)
そして、岐阜の部隊は、一旦は他の部隊に引き継ぎ金沢に戻って来たのかも知れない。
おそらく、自衛隊、他県の広域緊急援助隊、消防、水道、電気、等々の方々も石川県入りしているに違いないが・・・。
できるだけ多くの方が早期に救助され、一日も早い復旧復興がなされますようお祈りするとともに、微力ながらこの老いぼれでも邪魔にならぬようできることがあればと思う。
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