昨日9月6日は渋谷能。
後輩の本田芳樹くんの「融 笏ノ舞」の地頭(地謡というコーラス隊のリーダー)を勤めさせて頂きました。
発症当初からここに戻ってくることを目標に懸命にリハビリを重ねてきました。
この9月6日を目標にしてきたことで、3ヶ月弱という短い期間でここまで回復出来たんだと思います。
私は、金春流能楽師であった祖父の影響で、5歳の初舞台からずっと能舞台に立ち続けてきました。
先々代79世宗家金春信高先生は、祖父と「朋友」であったので(祖父は一介の一代玄人能楽師ですが)、信高先生から私は本当に可愛いがって頂き、小さい頃、若い頃にずっと沢山の役を付けて頂きました。
いつしか、能舞台に出ることは私にとって当たり前になっていたのです。
私が倒れた後、後輩能楽師中村昌弘くんの主催公演がありました。
大先輩櫻間金記先生の一世一代の「伯母捨」の地謡もありました。
メンバーである座スクエア公演の能「鞍馬天狗」のシテ(主役)は、先輩能楽師高橋忍さんが大変に忙しい中、私の代役して下さいました。
会のあった日曜日というのは、リハビリも少なく、比較的平日に比べて時間があり、会の開演時間は病室にいました。
その時に初めて、私は「舞台に出られない悔しさ」を痛感しました。そして、「何でこんな所にいるんだろ?」と。勿論、沢山の能楽師皆さんにフォロー頂き、ご迷惑おかけしたことは有難く申し訳ないことでした、、、、
普通に手足が動くこともそうですが、舞台に出られることも、当たり前ですが、当たり前ではない!!!!
そんなことを、51年生きてきて、46年能舞台に立ち続けてきて、初めて痛感しました、、、。
昨日は、満席のお客様。
昨日は、とても緊張しました。
そして、手足が動かなく、呂律が廻らないときから、この能舞台に出て真剣勝負をしている自分の姿をイメージしてきました。
本当に奇跡的に回復して、能舞台に出て地謡座に、地頭の位置に座り、本当に、「生きている」ことを実感しました。
そして、「生かされている」有難さも。
何度も泣きそうになりましたが、泣くと声が出なくなるので(苦笑)、グッと歯を噛み締めて舞台に集中して余計なことを考えないようにして我慢しました。
この「融」も、口もろくに廻らない発症初期から、リハビリ兼ねてずっーと病院で謡い続けてきました。
そして、憲和宗家と、6人の後輩能楽師に囲まれて、今の自分を出し切って、「融」の地謡勤めることが出来ました。
副地頭を隣で勤めてくれた井上貴覚さんから、終演直後、「お帰りなさい」と握手を求められ、グッと熱いものが込み上げてきました。本当に帰ってこれたんだと。、、、、
まだまだ身体のリハビリやメンテナンスという意味では、これから、年単位、いや一生続いていくことになるかと思いますが、一先ず、「能舞台に戻る」ことか出来て、感無量、でした。
こらからは、無理無茶はしないように、徐々に頑張っていきます。
動いてくれるようになった、右腕、右足
と自分の身体を労ります。
祈り応援下さった沢山の皆様、本当に心から、ありがとうございました😭‼️
今回の経験を、活かしていきたいです。きっと、長い目で観て、プラスに働いてくれると信じています。
無事、帰還致しました。
今後も引き続き、どうぞ宜しくお願い申し上げます🙇🙇‼️
心から、ありがとうございました。
山井綱雄