電子顕微鏡は高性能の分析機器で、原子等の小さな粒子を観察する。例えば半導体材料に電子線を当てた際に材料から出る「発光」を観察し、結晶の欠陥や不純物などを見つけ出す。電子線の当て方一つでそれらを正確に検出できるかどうかが変わってしまうという至難の業であり、日本企業は世界トップシェアだ。

ところが、
中国による国産化の加速により、日本の企業が輸出管理の「転換期」に直面している。これは主戦場の半導体だけではない。先端半導体や次世代通信5Gなどを陰で支えるのが、「日本のお家芸」とも言える電子顕微鏡と電子部品で、中国はこれらをターゲットとする。
昨年、党幹部から国産化の檄(げき)が飛ばされたとの話も伝えられていたが、今年1月、ついに初の国産化を誇らしげに発表するに至った。

日本政府は今年4月、半導体と量子に関連する4品目を新たに輸出管理のリスト規制の対象に追加すると発表した。一部の電子顕微鏡もそのうちの一つに挙げられている。電子顕微鏡のうち集積回路等の画像取得用の走査型を追加する。これは軍事転用可能な先端チップを解析し、その設計データを盗用するために使用される懸念があるためだ。
写真は電子部品の組み立て工場。


これもいいけど、中国の「金で人(技術)を獲得する」常套戦略に何か対抗しないといけないと思う。
「虎の子の技術」を守るには企業任せではいけない。現在の外為法による輸出管理で果たして守ることができるのか

新聞のテーマ記事に「源氏物語」がとりあげられていた。今年はNHKの大河ドラマで紫式部が主人公のドラマになっている。知らなかったことも多々あり、箇条書きで整理しよう。

〇 源氏物語は、全54帖(章)、約100万字の長大な物語、多くの登場人物を描き分け、男女の心の機微を描いた作品が千年も前に生まれたのは世界的にも特筆すべきこと。古典文学の最高峰と言われており、世界中で翻訳されて海外での評価も高い。。
〇 平安時代の貴族社会を舞台に光源氏と一族の70年余の栄華盛衰描いているが、漢文学の教養とともに和歌が795首も詠み込まれていて、漢語をほとんど使わず大和言葉で書かれている。
〇 作者の紫式部は下級貴族の藤原為時の娘だ。一族には歌人や学者としてd有名な人も多い。
〇 夫の藤原宣孝と結婚生活3年で死別した後、藤原道長の娘で中宮(帝の正室)の彰子の下で宮仕えを始めてこの物語を完成させた。
〇 貴族に愛された源氏物語は、後の多くの作品に影響を与えた。和歌や文学だけでなく、国宝の「源氏物語絵巻」のように様々な芸術作品に題材として採用されている。現代でもドラマや映画、漫画、アニメにもなっており、影響が生き続けている。

日本とトルコの外交関係樹立から8月6日で100周年を迎えた。
ギュンケン駐日トルコ大使は、「トルコ人から見た日本は特別な存在だ」と語っている。
それは、
1890年軍艦が和歌山県串本町で遭難したが、住民が69人の乗務員を救出した。それとロシアにいじめられていたトルコが日露戦争の勝利によりこのトルコの人々の「親日」を決定づけたという。私もトルコには一週間ほど各地を旅行したが、どこも日本人とみれば暖かくもてなしてくれたことを思い出す。
この串本町での遭難は有名な話らしいが、改めて調べて見た。下記の通りらしい。

イラン・イラク戦争のさなか、イランに取り残された200人以上の在留邦人をトルコが救援機を出して脱出させたことは記憶に新しいし、また東日本大震災と28年のトルコ・シリア大地震の際には、双方が救助チームを派遣した。「両国民はこの100年、困難な時にお互いにそばに寄り添ってきた」と大使は述べた。
確かにトルコは日本人に対して友好的だと思った。私がトルコに旅行した時も、日本人だと税関がフリーだったし、トルコ人の通訳の流暢な日本語に驚いたが、彼は日本には行ったことがなく、トルコで日本語を学んだそうだ。それだけ日本語熱が大きいと言うことらしい。

日本とトルコの絆をつないだ物語
1890年、エルトゥールル号の悲劇
トルコから日本へ、親善使節団派遣
19世紀末、ヨーロッパ列強との不平等条約に苦しんでいたオスマン・トルコ帝国皇帝アブドゥルハミト2世は、明治維新後同様の立場にあった日本との平等条約締結の促進と、明治20年の小松宮彰仁親王殿下のトルコ訪問に対する返礼などの目的で、親善使節団の派遣を計画しました。親善使節団の特使には、エミン・オスマン海軍少将(日本への航海中に提督「パシャ」となり、オスマン・パシャと呼ばれた)が任命され、使節団座乗艦としてフリゲート艦エルトゥールル号が選ばれました。
明治22年7月14日、イスタンブールの港を出港したエルトゥールル号は、スエズ運河を抜け、途中各地のイスラム教国に教主国としての威厳を示しながら寄港、明治23年6月7日に横浜港に到着しました。
オスマン海軍少将一行は、明治天皇に謁見し、アブドゥルハミト2世皇帝より託されたトルコ最高勲章および種々の贈り物を天皇に捧呈し、併せて両国の修好という皇帝の意を天皇に伝えました。これに対し、明治天皇は、使節に勲章を授け、饗宴を賜いました。

台風の季節、帰国の途へ
使節団一行は東京に3か月滞在、その間官民を挙げての歓迎を受け、明治23年9月15日、横浜港を出港、帰国の途につきました。日本国当局は、9月が台風の季節であり、またエルトゥールル号が建造後26年を経た木造船であることから、出発前に修理を行うよう勧めましたが、オスマン少将は帰途が遅れないようにと、予定通り同日出港しました。

エルトゥールル号の遭難
 横浜港を出た翌日の9月16日、エルトゥールル号は串本町大島樫野崎沖を航海していましたが、同海域において折からの台風に遭遇、猛烈な波浪と強風のために航行の自由を失い、次第に樫野崎に寄せられ、古より船乗りたちにおそれられた船甲羅岩礁に激突しました。
船体破損部から流入した海水が機関の爆発を引き起こし、オスマン海軍少将以下587名が殉職、生存者わずかに69名という大海難事故となりました。

不眠不休の救助活動
この遭難に際し、当時の大島島民は不眠不休で生存者の救助、介護、また殉難者の遺体捜索、引き上げにあたり、日本全国からも多くの義金、物資が遭難将士のために寄せられました。
69名の生存者は神戸で治療を受けた後、同年10月5日、比叡、金剛の2隻の日本海軍の軍艦により帰国の途につき、翌明治24年1月2日、無事イスタンブールに入港、トルコ国民の心からの感謝に迎えられました。

1985年、トルコ共和国の 恩返し
「今から48時間後に、イランの上空を飛ぶ飛行機を無差別に攻撃する」
しかし、日本からの救援機は来ない。
イラン・イラク戦争が続いていた1985年3月17日、イラクのサダム・フセイン大統領が「今から48時間後に、イランの上空を飛ぶ飛行機を無差別に攻撃する」という声明を発表しました。イランに住んでいた日本人は、慌てて首都テヘランの空港に向かい出国を試みましたが、どの飛行機も満席で搭乗することができませんでした。
世界各国は自国民を救出するために救援機を出しましたが、日本からの救援機の派遣は、航行の安全が確保できないとの理由から見送られ、空港にいた日本人は途方に暮れていました。
そんな時、救いの手を差し伸べてくれたのがトルコ共和国です。トルコから駆けつけた救援機2機により、日本人215名全員がイランを脱出することに成功しました。タイムリミットのわずか1時間前のことでした。
当時、テヘランには多くのトルコ人も在住していましたが、航空機を日本人に提供し、トルコ人は陸路で避難をしたそうです。

「私たちはエルトゥールル号の借りを返しただけです」

なぜトルコの航空機が来てくれたのか、日本政府もマスコミもわからずにいましたが、後に駐日トルコ大使のネジアティ・ウトカン氏は当時、次のように語られました。「エルトゥールル号の事故に際して、日本人がなしてくださった献身的な救助活動を、今もトルコの人たちは忘れていません。私も小学生の頃、歴史の教科書で学びました。トルコでは子どもたちでさえ、エルトゥールル号の事を知っています。今の日本人が知らないだけです。それで、テヘランで困っている日本人を助けようと、トルコ航空機が飛んだのです。」


 

現地ドジャースタジアムで8月23日(土)、ついに大谷選手があ40-40:つまり40ホームラン、40盗塁を同時に実現した。MLB歴代6人目の偉業だが、126試合目での達成は歴代でも最も早い実現だという。従って、残り38試合もあるので、45-45(歴代初めて)または、更に、50-50すら考えられる。是非達成してほしい。

このシーンを私はこの試合の録画を見ていた。相手はゲンのいいレイズだ。3-3の同点で、9回裏、ツーアウト満塁で劇的なさよなら満塁ホームランだった。この日は5回にヒットで出塁した直後に40盗塁目を決めていて、舞台は揃っていた。この日同時に達成したのだ。まさに劇的だった(^^)。
 

KDDIは衛星を利用して日本国内で100軒の山小屋でWi-Fiが使えるように
する、と発表した。
現在、登山では高い山とか深い森ではWi-Fiが使えない。これが使えれば、スマホによって天候情報や緊急時の連絡、SNSの投稿などができるようになるという。
人気の高い日本アルプスの日本百名山の約7割で利用可能にするらしい。
現在では、登山者は緊急時にスマホを使える場所まで下山する必要があった。
auの契約者は無料で利用できる。他社の利用者も2時間で300円の料金で利用できるらしい。
富士山や八ヶ岳、北アルプス、中央アルプス、南アルプス、関東周辺、近畿、中国・四国・九州の山が対象だそうだ。確かに便利になるな。

私は日本百名山には今まで34座登っている。当時はスマホなどは持っていなかったし、その必要性もなかった。まあ、私の場合は今後も多分必要ないだろうが、使えれば便利なことも多いだろう。高島政宏主演の北アルプス山岳救助隊のシリーズドラマを見たが、緊急時、電波が届くところまで下山して連絡をとりあうシーンが何回か出てきた。

国の中長期的なエネルギー政策の指針となる「エネルギー基本計画」の見直しが今行われている。脱炭素とエネルギー安全保障の両立が課題だ。その中で発電時に二酸化炭素(CO2)を排出しない原発と再生可能エネルギーをいかに積み上げるかが焦点と言われている。4月に開かれた先進国7か国(G7)気候・エネルギー・環境相会合では、「CO2の排出削減策がとられていない」との条件は付いていものの、石炭火力を2035年までに廃止することが共同声明に明記された。
だが、今の日本では約7割の電力をまかなっているのは火力発電である。化石燃料を燃やして発電するのでCO2を排出する。特に日本が誇る最新鋭の技術を用いた石炭火力ですら、CO2排出量は液化天然ガス(LNG)の約2倍だ。石炭火力に対する世界の目は厳しさを増している。
40年前に電力中央研究所(武山)で最新鋭の石炭火力プラントの実験と説明を受けた記憶がある。石炭をガス化することによりCO2を減らすのだ。当時は凄いな、と思ったが、現在でもそれでもLNGの2倍のCO2だとのことだ。現在は、石炭ガス化複合発電(IGCC)でCO2も90%以上の回収に成功しているという。また別途にはIHIの燃焼技術がある。石炭とアンモニアをミリ単位で制御して燃焼させる。

これら技術により、石炭火力発電に依存しているインド、マレーシア、などアジアの各国に貢献できるのではないか、と思われる。石炭火力、頑張れだ。

上記は産経新聞記事の見出しだ。先の大戦を体験した人から当時の実情を口頭で聞き取り、記録に残すことがきわめて困難になっている、とのことだ。終戦時に20代以上だった人の人口割合が総人口の0.3%を割り込んだとのこと。
よく先の大戦を経験をした人を「語り部」にする、などのことが言われる。そして戦後世代も「語り部」に育てる、との話もある。「戦地の様子を伝えることで平和や命の大切さ、尊さをかみしめて欲しい」との意向のためだ。東京都千代田区の「昭和館」では戦後世代を「次世代の語り部」として育成する取り組みを始めたという。
それら継承こそが新たな戦争を防ぐ大きな手立てになる。大切な記憶が埋もれてしまうことを防ぐ取り組みを、民間の努力と、国主導の双方で進めるべき、だと。

だが、私に言わせれば、必要ない。
既に語り部の言うことはビデオ映像に数多く記録されているし、先端技術のAIも併用すれば、質疑応答すら対応できるようになる筈だ。所詮次世代の語り部など、自分の体験でないのでお話できることは限られてしまうに違いない。
私の持論だが、戦争や災害の語り部などは人物としてはいらない。体験は記録として残せばいいわけで、後世の万人がそれら辛い思い出を常に意識し胸に刻んでおく必要はない。記録は完全な形で整理し残しておいて、必要に応じて関心のある向きが参照できるようにしておけばいいのだ。近年の先端技術がとてもリアルにそれを実現できるのだから。

皆様はどうお考えになりますか?
 

ついに来た、と言う感じだ。先に行われたパリオリンピックのボクシングの試合だ。
報道によれば、
騒動の渦中にいたのは、ボクシング女子66キロ級のイマネ・ヘリフ選手(アルジェリア)と57キロ級の林郁?選手(台湾)だ。2選手は女子選手として2021年東京五輪に出場した。だが、国際ボクシングっ協会(IBA)での性別適格検査で不合格となったので出場することを疑問視する声がSNSであがっていた。ヘリフ選手と対戦したイタリアのカリニ選手が開始後45秒で棄権した。開始早々強打を浴びたカリニ選手が棄権した後、リングで号泣した。「これほど強く殴られたことはなかった」と。カリニ選手の出身国のイタリア首相のメローニ氏は「公平な試合ではなかった」「男性の遺伝的特徴を持つ選手は女子選手の試合に出るべきではない」と。これに対し出場を認めたオリンピック委員会(IOC)はパスポートに基づき性別を判断したとして出場に支障はない、と反論している。
ヘリフ選手は「私は女性だ」と涙ながらに訴えた。
2選手ともに性の発達が一般の人とは異なる性分化疾患(DSD)の可能性があるとされているが、SNSではトランスジェンダーだと決めつける発言も多くみられるとのこと。

今後もオリンピックやそれ以外の対外試合でこの性別論争は問題になるだろう。
写真は棄権したイタリアのカリニ選手を激励する、メローニ首相。

パリオリンピックは8月11日で終わったが、日本では時差のため中継時間が深夜・未明に及んだ。TVを見ながら酒やおつまみを楽しむのが流行って、食品などの宅配サービスの売り上げが3割伸びたとのこと(^^)。コンビニ大手の宅配サービスや市場の拡大も好調だ。
ウーバーイーツと連携して24時間対応の商品宅配サービスを展開している、ローソン。セブンーイレブン・ジャパンも最短20分で届けるサービスを1万2千店舗で展開している。料理宅配大手の出前館は「出前館de応援!夏のおうち観戦キャンペーン」を実施している。
宅配サービスは新型コロナウイルス禍での需要の高まりで急拡大し、コロナ後も成長が持続しているという。
グラフは宅配市場規模だ。

そういえば、私が毎週利用している、ジョナサンでも頻繁に店員がバイクで出かける様子を見ている。

自分のブログを見ていたら、昨日(つまり8月11日)の過去ブログが載っていた。アメーバブログがサービスとして4年前の同じ日のブログを知らせているのだ。
そのタイトルが、「いやぁ、暑いな」だ。
https://ameblo.jp/yamahidey/entry-12617038066.html

改めて読んでみた。この年はコロナ真っ盛りで、4月に家内を亡くした年で、ブログに書いてある通り、この年も暑かったようだ。夜寝苦しいので、2階のいつもの寝室では眠られず、1階の和室に移動して寝たようだ。和室の方がやや涼しい。4月までは家内が使っていた和室だ。今年もそうしようと思ったが、今和室は荷物が置いてあり、倉庫みたいになっていて、寝るには片づけるのがちょっと大変だ。
ジョナサンへは、今も週一ペースで朝飯を食べに行っている。パソコンを持ち込んでいるのは同じだが、当時はパソコン教室の講師をやっていたので仕事にも使っていた。今は講師は廃業したので、パソコンはメールやブログなどの書き込みやWEB新聞の検索などをしている。その他備え付けの新聞を読んだり、読書などで涼んでいる。
要は、4年前とあまり変わらない一人者の8月の日常生活なわけだ。進歩がないなぁ(^_^)。