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32歳 妻子癌ステージ4持ちの闘病日記とレース参戦記

2020.6.17 夫は永眠しました。
妻です。自分自身が前に進む為にも、敢えてこのブログで吐き出させて貰います。思いはとても、複雑です。


夫婦と言えど赤の他人で、育って来た環境も違えば、価値観や考え方も違う。
価値観や考え方がお互い似ていればぶつかる事も無いのかもしれないけれど、お互いに違うのであれば妥協点を見付け、歩み寄って行く事も必要で。
けれど、片方だけが歩み寄っても何の意味も無いと私は思っていて。

夫とは、どんなに話し合いをしても、ここが上手く行かなかった。

夫は自分の事はあまり話さない。
だからなのか、話し合いも、夫の方から持ち掛けられた事は今まで一度も無かった。
全部私の方から「話したい事がある」と、話し合いを持ち掛けてた。

今まで何度も話し合いをした中で分かったのは、夫には私の話が通じないという事。
口では「分かった」と言うけれど、結局は同じ事の繰り返しで、結果的には何も分かっていない。
私の話し方が悪いのか、伝え方がよくないのか、分かりやすく伝えるにはどうすれば良いかを考え、次の機会にまた話をしてみる。
でも、結局は変わらない、繰り返し。
試しに、周りの人に話して聞いてみた。
「私の言ってる事分かる?伝わる?」と。
周りは口を揃えて「うん、分かるよ」と言った。
伝わらないのは、夫にだけだった。

この〝言いたい事が上手く伝わらない〟というのは、凄く苦しかった。
時には、私の言う事に上から物を被せて来たり、私の言った事をひねくれた受け取り方をされたり。
「違う、そうじゃない。そういう事が言いたいんじゃないよ」と言うも、じゃあどういう事?と聞かれると、上手い伝え方が見つからなくて、いつもそこで言葉が詰まった。
そして、そのまま話しは終わる。

いつも、これの繰り返しでした。


でも本人からも周りからも「言わなければ何も伝わらないし、何も分からないよ」と言われた。
確かにそうだ。人の心が読める訳じゃないし。
だけど私的には「言っても伝わらないのに、話して意味あるの?」と。
周りは「例え分からなくても、言いたい事は言った方が良い」と言う。
うん、確かに。それは分かる。
でも私からすると「この先何十年と夫婦やって行くのに、伝わらない相手とこの先もずっと一緒に居るの?そんなの辛過ぎる」でした。

〝こういう人なんだ〟と、諦めて割り切れたら、此処まで苦しまなかったかもしれない。
でも私の中では、諦める=離婚でした。
諦めたら、夫婦で居る意味が無いと思ったから。

結婚したからには、夫婦で有り続けたい。
一緒に子育てをして、辛い事があったら一緒に乗り越えて行きたい。
私には、そんな思いがあった。

だから、諦めたくはなかった。





ごめんなさい。
少しの間、このブログで吐き出させて下さい。


私の苦しさにある根っ子の部分は、一番近くに居た夫に、認めて貰いたかったという思いです。
結婚して知らない土地に来て、妊娠・出産をし、初めての育児に奮闘しながらも、日々頑張って居た事。

夫は、周りから見れば良き父親で、良き夫でした。
休みの日にはご飯を作ってくれるし、子供の遊び相手もしてくれる、休日であればお風呂に入れ寝かしつけもしてくれる。
今では大分、父親が育児をする事も当たり前になって来たけれど、上の子が産まれた7年前は、まだ今よりは当たり前じゃなかった。
それこそ昔の感覚で言ったら、母親が家事・育児をするのが当たり前だったから、父親が家事・育児をすれば、それだけで周りに褒められた。

だから、そこだけを切り取って見れば、良き父親で良き夫と見える。

じゃあ何が問題だったのか?というと、言ってしまえば、心の問題です。
夫は母子家庭で育ち、家族関係は決して良いものとは言えなかった。
夫は基本、自分の事は何も話さない人だったので、深い事情を私は知りません。
でも多分きっと、相当苦労はして来たんだろうなと思います。
多分、我慢もして来たのかな。

私は私で、家庭環境は極普通だったものの、私自身に問題ありというか、不登校児でした。
元々の性格上、昔から自分の気持ちを相手に伝えるという事は、とても苦手でした。
自分が周りに相談するよりも、周りから相談される側で、喧嘩の仲裁をしたり、兎に角、自分の事よりも友達の事を優先させるタイプでした。
助けを求められれば、それが夜遅い時間だろうと、親に事情を話し、友達を迎えに行った。
気付いたら、友達本人よりも、私の方がその事で悩んでた。

私は自分で自覚があるけれど、多分夫にも、心の問題があったのかなと。
でも言ってしまえば、誰しも何かを抱えながら生きている。
その何かを分け合えれば良いけれど、必ずしもそれが出来るとも限らない。

私たち夫婦には、それが出来なかった。


私は兎に角、周りの事を考え過ぎてしまう。
結婚をして子供が産まれてからは、家族を第一に考えて、自分の事はいつも二の次。
けれど夫は、結婚をして子供が産まれても、夫自身の生活も変わらなければ、優先順位も変わらない。
育児をしながら生活をして行く中で、私は全てが子供中心になる。
けど夫はそうじゃない。

そういう日々思う事が募り、初めての育児で辛くなった時、勇気を出して夫に初めて辛い気持ちを打ち明けた。
私の話を聞き、夫が言った言葉は「でも、頑張ってとしか言えないよね」でした。

その言葉を聞いた瞬間、私の中で、何かが崩れ始めました。





私が夫のブログに吐き出したのは、怒りや憎しみから来るせめてもの反撃…というか、復讐と言ったら大袈裟だけれど、兎に角私の気持ちも誰かに知って貰いたかったんです。

この気持ちを本人にぶつける事はもう出来ないから、じゃあせめて…と思い本人が作ったこのブログで吐き出しました。


ガン患者を支えている家族は、世の中にはきっといっぱい居ると思います。
きっと色んな思いを抱えていたり、事情もあると思います。
本音を言いたくても中々話せなかったり、弱音を吐きたくても吐けなかったり。

今私が言えるのは
辛いのはガン患者も、その家族も一緒です。
支える側のケアも必要です。
ケアがなければ、支える側は潰れてしまいます。
一人で全部を背負うのは無理です。

私は実家も遠方で、周りの手を借りるのは中々難しい環境でした。
夫の育った家庭環境もまたちょっと複雑で、私と義理の母との関係も決して良いとは言えない、そして夫と私の父との関係もまた良いとは言えなかった。
だから、誰からの協力も得られなかった。


もし周りにガン患者を支えている家族がいたら、
「一番辛いのはガンになった本人だから、あなたが支えてあげないと」
そんな言葉は掛けないであげて下さい。
これを言われた家族には、逃げ場が無いです。
逃げ場が無くなって、余計に辛くなります。


私は、夫に言いたい事の半分も言えませんでした。
それは元々の私の性格と、夫が「ガン患者」となり、余計に自分の気持ちを言う事が出来なくなりました。
「一番辛いのは本人だから…」「これを言ったら傷つけるかもしれない…」
そう思うと、喉まで出掛かっては飲み込んでの繰り返しで、結局は、言いたい事の半分も言えないまま夫の最期を看取りました。

今になって思うのは、ガン患者だからと遠慮なんかせずに、相手が傷付く事を恐れずに、言いたい事は言っておけば良かった。
ガン患者とその家族としてではなく、夫と妻、一人の人間として、もっとぶつかるべきだった。
亡くなってしまったら、お互いに何も言い合う事は出来ない。
どこにもぶつける事も出来ない、自分の中で消化していく他ない。
これは、思った以上にしんどいです。


何が言いたいのかまとまりがないですが、私の様にはなって欲しくなくて。
苦しんで欲しくなくて。

私の気持ちを知って欲しいと同時に、支える側の家族が、私の様にはなって欲しくないという思いがありました。