可能性が開いていく人、幸せなまま停滞する人。
両者の違いは、
リスクを取って一つの可能性に賭ける、
ということができるかどうか、なんだよな。
絞って賭けることができないと、
逆に可能性は開いていかない。
これは、すこぶる身体感覚なので、
やりながらできるようになるしかない。
安心感とか自分や人生への信頼は、
助けにはなるが、あくまでも助けでしかない。
自転車に乗れるようになるプロセスにおいて、
親が見ていてくれると安心だけど、
乗れるようになるには自分で漕ぎ出すしかない、
ということに似てる。
・・・なんてことを、最近、考えました。
でも「絞って賭ける」って、こわいことです。
それがどんなに、心から望む状態であっても。
私は今まで何度かの「可能性を絞って賭ける」を
繰り返して
いまに至るのですが
その都度その都度、できたのは、
周りに応援してくれるひとがいたから、なんだよな。
あるいは、可能性を開いていく様を
体現して生きているひとたち。
だから、私自身も、体現して、
そして、可能性を開いて行く時にいるひとを
後押ししていこう。