そういえば、今年からアイコンを変えてみました。

 

昨年までは、武将の騎馬像を用いていましたが(ちなみに第一位は、その騎馬像の武将ゆかりの城)、変えちゃいました。

 

家族曰く、激似らしいです(笑)まあ、自撮りした写真で合成してますのでね。武将の着せ替えができたらいいんですけど、メガネが本人的にトレードマークと思ってますので、メガネは外せないです(笑)

 

閑話休題。

 

今回は、第二位の城の発表です!

 

というか、題名でバレちゃうのが、痛いです。

 

福島県二本松市、二本松城跡でした!現在、城跡は霞ヶ城公園として整備され、国指定史跡、日本100名城に選定されています。100名城スタンプは・・・。申し訳ない。どこで押したのか、全く覚えていません。たしか、箕輪門の前に、スタンプ持ってるお姉さんがいたような?気がします。
 

アクセスは、JR東北本線二本松駅から徒歩15分、急坂を登って下らなければなりませんが、わかりやすいです。もちろん駐車場もあります。

 

二本松城は、戦国時代は、二本松畠山氏の居城。

 

大河ドラマで、涙失くしては見れない名場面、伊達政宗の父輝宗を拉致し、政宗に、父もろとも射殺された二本松(畠山)義継は、二本松城主でした。

 

二本松義継は、大内定綱の小手森城の老若男女問わず皆殺しにした、伊達政宗の苛烈な処置に恐れをなし、降伏を申し入れます。

 

山腹には、中世山城の遺構と思われる空堀の遺構も見ることができます。

 

政宗は、降伏の申し入れをはねつけますが、叔父の伊達実元、成実父子と、宮森城に隠居していた輝宗の執り成しで、降伏を認めたものの、二本松の所領を大幅に削ろうとしました。

 

 

 

山頂に登ると、空堀があちこちに散見されます。

 

義継は、降伏の条件を受け入れたかに見えましたが、お礼言上に参上した宮森城で、輝宗を突如拉致し、人質として二本松領に逃げ帰ろうとします。

 

突如、義継が翻意した理由は、よくわかっていません。最初から拉致するつもりだったのか、輝宗の身辺が手薄だったための、突発的な犯行だったのか・・・。

 

知らせを受けた政宗、鷹狩中だったそうですが、駆け付けても打つ手なし・・・。その時、輝宗は、

 

「撃て、父もろとも撃て!伊達の家名を汚すな!」と叫びます。政宗の決断は・・・。

 

「父上にも死んでいただく!」と、鉄砲隊の一斉射撃を命じます。大河ドラマでの、渡辺謙さんの熱演が目に浮かびます。

 

 

 

堀切も、あちこちに見られます。

 

伊達の鉄砲隊の前に、次々と打ち倒される二本松の郎党家来たち。義継は、

 

「父を殺すのか!父を殺してよいのか!」と叫びながら、輝宗を刺殺、おのれも自刃しました。

 

政宗は、殺到する伊達の郎党に切り刻まれた、二本松義継の死体を、つなぎ合わせて、城下にさらされたといわれます。

 

 

竪堀でしょうか。

 

政宗は、二本松城の攻略を命じます。

 

畠山義続にも、息子がいました。

 

二本松城にいた息子国王丸は、知らせを受けると、一族の家老新城弾正を中心に立て籠もり、伊達政宗軍を迎え撃ちます。

 

二本松城は、奥州屈指ともいわれた名うての堅城、雪にも阻まれ、伊達政宗は城を攻めあぐね、いったん兵を引きます。

 

しかし、雪解けを待っての、伊達政宗が再度、襲来すると、伊達の調略の前に、内応者、降伏するものが続出。

 

城を支えられなくなった、国王丸は、わずかな家臣たちとともに、城を捨てて落ち延び、ついに二本松城は陥落しました。

 

この城跡には、思い入れが強いので、つい語ってしまいました(笑)

 

次回に続きます。