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御嶽山(3067m長野県・岐阜県)2024年8月12日(日)


コロナ禍と家庭内の事情により5年間遠のいていた3千メートル峰登山だが、ようやく諸々の事情がクリアになり再開する事が可能に成った。
さて、どこへ行くかだが真っ先に頭に浮かんだのが木曽の名峰、御嶽山である。
今から15年前、2009年に頂を踏んだこの山は、生まれて初めて登った3千メートル峰で技術も経験も浅々な私に貴重な経験値と自信をくれた忘れがたき山である。
そして、何よりもその5年後の2014年に発生し、58名もの登山者の命を奪い、いまだに5名の方々が帰らぬ、戦後最悪の火山災害となった『平成26年御嶽山噴火』の舞台ともなった悲劇の山でもある。
(書いていて気が付いたのだが、15年前に私が御嶽山に登ったのは9月27日、噴火が有ったのはピッタリ5年後の9月27日・・・・・・。そしてわたしの二回目の御嶽登山がその10年後・・・・・・。すこしゾワッとした)

あれから10年、発出されていた登山規制も一部解除(まだ山頂付近には立ち入り禁止エリアが残っているが)され、あるていど普通に登れるようになったことを改めて確認し、計画を練る事とする。
登山口は長野県側、王滝村の田の原としそのまま王滝頂上へ至り八丁だるみを経て剣ヶ峰に登り剣ヶ峰トラバースルートを経て王滝頂上を通過して往路を忠実に辿ると言うスタンダードコースを選ぶ。
5年のブランクを考えての安全策だ。
今回、装備の中にクライミング・ヘルメットを加える事にした。
危険な岩場などは無いが、現在御嶽山は再びの噴火に備えてヘルメットの着用が義務付けられている。
時期はたっぷりと休みの取れる夏季休暇期間中、お盆にはお墓参りにも行きたいので前半の12日を決行日とし、前日の夜には田の原駐車場に到着するプランを組む。
そして当日、夕方5時には愛車兼移動秘密基地マークⅣを駆って名阪国道から名神、中央道と乗り継ぎ一路目指すは5年ぶりの長野県。
尾張一宮辺りで渋滞につかまるがそれ以外はスムーズに行程を消化して夜10時に御嶽山の麓、田の原駐車場に到着。
翌日の夜もここで泊まる予定なのでトイレにも近く人目も気にならない場所を探して車を止め、おトイレに向かう途中で夜空を見上げる。
天空には無数の星、うっすらと天の川すら見える。
尿意も忘れしばし見とれる。
その後は要件を済ませ車内に戻り無事到着と明日の登頂成功を祈りささやかな晩酌として缶ビールとタコハイ一本づつを頂き寝床に着く。

 

翌朝6時、周囲が支度を始める音を目覚まし代わりに起床。
お総菜パンの簡単な朝食を済ませ、山の衣装に着替えて登山靴を履きチェストバッグを身に着けバックパックを背負い準備完了。
命の綱の『ココヘリ』の電源を確認しスマホの『ヤマップ』アプリを起動し出発!
すでに登山口の鳥居には大勢の登山客が集まり田の原の樹海に綺麗に穿たれた一本道を進んでゆく。
そしてその先!夏特有の抜ける様な晴天を背後に堂々たる山容を示す霊峰御嶽山の雄姿。



あまりにものボリューム感に若干気持ちが萎えるが、ここは根性を奮い立たせ前進あるのみ。
遥拝場所辺りまで行くと、ここから先は本格的な登山道となるとの看板があり、続いてこの山が活火山であるとの警告の看板も置いてある。
そう、ここは普段登る眠りについた様な山では無い。
今正に生きている山なのだ。
いやがうえにも緊張してしまう。



が、ここで私を襲うのが令和6年の酷暑。
恐らく下界よりはだいぶんマシなのだろうが日陰は無いわ草いきれは凄いわで地味に体に効いてくる。
その上単調な木段の延々としたつらなり。
これも身体的なダメージとして我が身に降りかかる。水の消費も早い。
前の時はこんなにしんどかったか?やはり15年の歳月は俺を完全にむしばんでいるのか?
喘ぎ喘ぎいろんな人に抜かされそれでも樹林帯を突破し八合目の避難小屋にたどり着く。
避難小屋と言っても軽トラの荷台くらいしかない様な小さなもので本当に風雨を避ける程度の物。
中に入る気にはなれずその近くの積み上げられた木材の上に座り、ここで夏山最強の回復アイテムの登場だ。
レモンの蜂蜜漬け。
一二枚食べてレモン果汁が溶け込んだ蜂蜜を啜れば糖とクエン酸がガツンと効いてくる。
気合を入れ直して登山再開。



気が付けば樹林は遥か下、目の前には荒々しい岩肌とハイマツの連なり。森林限界を突破したのだ。
ここからが本格的な高山、無論、高山病のリスクも発生する。
が、若干の息苦しさはあるもののなぜか体力が持ち直した気分になり足取りも軽くなった気さえする。
やはり私の場合酸素がある程度足らなくなると“ハイ”になる傾向にある様だ。
お陰で9合目が間近になるとペースが上がり、逆に酸素補給が追い付かなくなり苦しくなって足が止まるなんて事になる。
意識して呼吸し血中酸素濃度を維持しながら進む。
富士見岩まで到達すると『ここから先想定火口域内』との看板が目に入る。
つまりここから上、どこにぽっかり火口が開き噴火し始めるか解らないと言う事だ。
今は静かに思える足元にも、とてつもないパワーが秘められている。



しかし、それにしても人数が多いのなんの。
老若男女様々な人々がまるで蟻の連なりの様に山頂を目指している。やはりアプローチのしやすい3千メートル峰なのだ。
よっていろんな人が居る。
普通の登山者風や軽装と言っても考えられた感じのトレラン風、本当にナメた感じの軽装登山者も居れば、流石修行の山だけあって行者姿の人も。
七十代くらいの人か?ゴム長に短パンと言ういで立ちでノンブランドなバックパックからガンガン洋楽を鳴らして登って来る。
クマよけなのかも知れないが森林限界にクマは居ない。とは言え酸素の足りない私の脳は、それを迷惑と感じずなぜかご機嫌になってその音をBGMさらに前進。
すっかり枯れた『一口水』を虚しく通過するころ、再び洋楽じいさんと遭遇したがなんと目の前で足を滑らせ仰向けに転倒したではないか!
慌てて飛んで近づき無事を確認する。他の登山客も驚いて足を止める。
頭は打って無い様で安心してその場を離れたが、やはりゴム長はアウトだった様だ。
(あとでサンダル履きの人も見かける事になったが、つま先なんて大丈夫なんだろうか??)

九合目を突破し、ここから火口から5百メートル圏内に入るのでヘルメットをかぶって王滝頂上目指しての急登を攻める。
濃厚な霧が辺りを覆い、幽玄な雰囲気を醸し出す。
これも高山の魅力、それに直射日光を浴びない分体力の消耗も和らぐ。
10時前に王滝頂上に到着。以降が山頂エリアだ。
御嶽神社奥宮に参りしばしの休憩のあと最高地点の剣ヶ峰を目指して霧の中を進む。




仏像やオブジェ、そして噴火の際の火山弾から登山者を守るためのシェルターが点在する荒涼した八丁たるみのなだらかなトレイルを行き剣ヶ峰への最後の急登に取り付く。
そして30分後、御嶽山最高地点の剣ヶ峰に登頂を果たす。
標高3067メートル。
遠方の景色は霧や靄が掛かり見通せないが、一の池、二の池などの雄大なクレーターが目の前に広がり、火山特有の迫力ある景色が眼前に広がる。
しばし記念撮影を忘れて見とれるばかりだ。




ここを離れる前に10年前の噴火で命を落とした方々を祀る慰霊碑に手を合わせ、同じく山を愛した方々の冥福を祈る。
ほとほと左様に自然は残酷で無慈悲で、綺麗だ。

気を取り直しお守りなんかも買って下山の途に就く。
ここからは剣ヶ峰をトラバースするルートを通って王滝山頂へと向かう。
二ノ池までの分岐までは大勢の登山者がいたが、そこを過ぎるとしばしの一人旅、荒涼とした風景の中を切りをついて進む。
しばらくして八丁だるみにまで戻るとあとは来た道を忠実に辿る。



そこから2時間ほどかけて車のある田の原まで下る。
登山終了は13時半過ぎ。
5年ぶりの3千メートル峰。登り切りました。
達成感と高揚感と疲労感がない交ぜに成り兎も角ビールが飲みたくて仕方がない!
車に戻り汗まみれの山服からリラックスウエアに着替え、イスとテーブルとクーラーBOXを出して無事下山祝いの一杯。
はぁ~。体が蕩けるようだ。

その後はビジターセンターを見学したり土産物屋でバッジを買ったりして過ごし、18時ごろ夕食の支度に入る。
今宵は駐車場での車中泊なので煮炊きは控えドイツ風の夕食『カルテスエッセン』を気取った献立で行く。
生ハムやサラミ、レバーパテ、ピクルスにオリーブの塩漬け、あとはミニトマトにパンにクリーム、プロセス、カマンベールなどのチーズ。
そして飲み物はジョアージア産の赤ワイン。
手間もかからず美味しくて豪華な夏向きの夕餉を霧が立ち込める森を眺めながらゆっくりと頂く。



翌日は早々に田の原を辞して、湯治場感漂う木曽駒天神温泉で汗を流し、かつて千件の宿が軒を連ねたと言われる奈良井宿を観光しそばを楽しんで帰阪の途に就く。

 


久々の3千メートル。久々の長旅。十分堪能できた。
ああ、またどこか登りたい。