造幣博物館 | やまげのおでかけ暴走紀行

造幣博物館

 
桜の通り抜けで有名な造幣局へやってきました。
 
実はわし、今までここに来たことがなかったんですよ。
なんせ人混みを極端に嫌いますので、そういった人がたくさん集まる時のイベントには極力足を運ばないようにしておりますので・・・。
 
 
 
壁に貼り付けられた銅板には人物像が・・・この人こそが桜の通り抜けの生みの親である遠藤謹助氏です。
 
「局員だけの観桜ではもったいない。大阪市民の皆さんと共に楽しもうではないか」
 
 
と明治16年(1883)に彼が発案してから今日に至ります。
 
 
 
警備員に挨拶をした後に記帳をして中に入らせてもらいます。
桜並木を通る道を使って歩いていると、まずはじめに目についたのは創業当時のガス燈。
国指定の史跡だそうです。
パッと見、今の電気照明との違いがよくわかりません。
 
 
 
こちらは明治4年の創業当時に使用されていた正門です。
門の左右にある八角形の建物は衛兵の詰め所として使われていたもので、大正8年まで使われていました。こちらも平成27年9月9日に国指定を受けました。つい最近ですな。
 
 
2、300mほど歩きましたかな?
この新しい建物が造幣博物館です。
 
 
こちらは創業当時の造幣局模型です。
当時は18万m²(約56.000坪)もありましたが、現在は10万m²(約30.000坪)に縮小しております。
 
 
創業当時に金銀貨幣工場の正面に取り付けられていていた大時計です。
 
1998年(平成10)1月に修理をして、使えるようにしたそうです。
 
 
 
こちらは創業式記念写真です。
 
1871(明治4)年4月4日(旧暦2月15日)、金銀貨幣鋳造場玄関前で撮影されたもの。
中央に三条実美右大臣、左側にイギリス公使パークスといった外国人も参列しています。
 
造幣局では文明開化の先駆者として洋服着用・断髪及び廃刀などを率先して導入していましたが、ちょんまげや刀を差している職員も写っているので大変珍しい一枚のようですよ。
 
 
明治政府は造幣局を造るにあたって「第一に水利を考え、広大な面積を取るべし」ということで、ここ桜の宮に場所が決まりました。
 
徳川幕府時代の混乱した貨幣制度の立て直しを急ぎ、品位・規格の均一な新貨幣を発行するため造幣局を操業し、大型機械などは輸入しましたが、必要な機材や資材の多くを自給自足で賄ったようです。
 
しかしながら、自分たち日本人だけではまだまだ技術不足。
それゆえに大型機械や製造設備を揃えるだけでなく、多くの外国技術者を招き入れ、その指導のもと職員に先進技術を吸収させました。
おかげで日本は素晴らしい技術をもった人材を育成することに成功しましたが、その立役者であるお雇い外国人は下記の3人。
 
 
 
T.W キンドル(造幣首長)
イギリス人
勤続期間:1869~1875年
 
造幣局の建設・諸機械の設置及び作業の監督・指導に当たりました。
功績は大きかったのですが、職員と絶えず紛争を起こし、その紛争は造幣局の自主運営を目指す改革運動となる一方、本人に対する排斥運動にまで発展したため解雇。
 
当時のキンドルの月給は1.045ドルで造幣頭の約5倍!
太政大臣(現在の総理大臣)の800円よりも高給取りだったんです。
 
 
 
V.E. ブラガ(地金局計算方)
ポルトガル人
勤続年数:1870~1875年
 
証拠書・日計表などにより勘定を明らかにする方式などを導入し、わが国初の複式簿記の指導に当たった後、大蔵省に転じ、官庁簿記制度を立案。
その後は神戸に在住し、初代ポルトガル日本領事として勤務。
 
 
 
ガウランド(科学兼治金師、試験分析方)
イギリス人
勤続年数:1782~1888年
 
英国式反射炉の築造と操業技術及び精錬作業・金属地金や諸材料の分析技術の指導にあたりました。
一方、余暇には古墳の研究や地質調査を行う研究者として、また「日本アルプス」の命名者としてわが国登山史にも名を残す登山者でもありました。
温厚な技術者として職員の人望も厚く、のちには勲章及び褒章も贈られ、イギリスに帰国後、王立鉱山大学の教授に就任。
 
 
そして造幣局で多大な貢献をした3人の日本人の一人である久世喜弘氏(1826~1882年)。
 
大垣藩戸田采女正の家臣で、科学・写真術・火薬に精通。1868(慶応4)年、京都の金座で外国貨幣や我が国の金・銀貨幣などの分析・研究を行いました。
その結果、造幣局を設置し、純正画一な貨幣を製造する必要性を政府に説き、その実現に尽力する一方、1869(明治2)年、参議大隈重信とともに貨幣の形状は「円形」を統一し、十進法を採用するよう建議し、新貨幣制度に大きな貢献を果たしました。
造幣局では、初代精製分析所長に就任し、1787(明治11)年に退官。
 
退官した5年後に亡くられたんですね。
 
 
 
金に見えますが銀製のもので、金位999から700まで7つの金合金の星がはめ込まれ、横に「以併権試金位」(あわせもって金位を権試す)と彫りこまれており、金を鑑定する簡易な道具として愛用していたそうです。
 
 
 
大野規周氏(1820~1886年)
 
旧幕府天文台機械技師の子息として生まれ、1862(文久2)年から6年間、オランダに留学し精密機械の製作技術を習得して帰国しました。
1869(明治2)年に造幣局へ入局し、天秤をはじめ大時計や計数機などを製作し、その優秀な技術は造幣首長であったキンドルも激賞したといわれています。また明治天皇に体温計を献上しています。
1886(明治19)年に退官しましたが、死ぬまでちょんまげを切らなかった頑固者でした。
 
 
 
 
これが大野氏の作った「天秤」です。
この形式の天秤は現在でも製造貨幣大試験で使われているそうです。
 
 
 
そしてこちらが「手回し計数機」。
金貨・銀貨・銅貨の計数に使われたもので、1回転で24枚数えることができるそうです。
 
 
 
 
加藤夏雄氏(1828~1989年)
 
明治天皇の太刀の金具を彫刻したことがあった夏雄に、1869(明治2)年7月新政府は新貨幣の見本の製作を命じ、その図案及び金属彫刻に従事し、その優秀な技術はお雇い外国人技術者を感嘆させるものであった。
1875(明治8)年退官後、東京美術学校の教授となりました。
 
 
 
加藤氏が試作で作った硬貨の数々です。
これすべて手彫りですよ、すごいですよねぇ~。
 
 
 
こちらは裏面で表面が見えませんが、明治中頃までの貨幣の図案は、ほとんど表面が龍になってます。
外国の貨幣では国王の肖像を使用している国もありますが、日本では天皇の肖像では畏れ多いということから、元首の象徴である龍を使用しているそうです。
 
 
 
 
さて現代の貨幣の造り方ですが、まずお金の材料を電気炉で溶かし、鋳塊を造ります。
 
 
 
 
次に「熱間圧延」といって金属の板を所定の厚みまで延ばし、巻き取ります。
 
 
そして「面削」といって巻き取った板の両面を削った後、コイル状に巻き取ります。
その後、常温で「粗圧延」「仕上圧延」と貨幣の厚みまで仕上げて巻き上げます。これを冷間圧延といいます。
 
 
 
圧穿(あっせん)
 
延ばした板から丸い貨幣の形に打ち抜きます。
これを円形(えんぎょう)と呼んでいます。
 
 
圧縁(あつえん)
 
貨幣の形に打ち抜いた円形の周りに膨らみをつけ、その後、熱を加えてやわらかくします。
 
 
焼鈍(しょうどん)
 
圧縁済の円形を焼鈍炉で加熱して、円形をやわらかくします。
 
 
 
洗浄(せんじょう)
 
油などで汚れた円形を洗浄機に入れ、よく洗い、脱水・乾燥します。
 
 
圧印・検査(あついん・けんさ)
 
表・裏の模様(ギザのある貨幣はギザも)を同時につけます。
貨幣の表・裏を検査し、キズ・汚れなどのついた貨幣を取り除きます。
 
 
計数・封緘(けいすう・ふうかん)
 
検査に合格した貨幣は厳重に計数し、袋に詰めます。
 
 
 
 
このモデルになった500円硬貨にはさまざまな偽造防止技術が施されています。
 
まず、「微細点」。
桐の葉の上部に微細な穴加工がされています。
転写等による偽造を防ぐ効果が大きい技術だとか。
 
そして「微細線」。
『日本国』と『五百円』の周りに髪の毛より細い線模様が施されています。
金属彫刻における最先端の技術だそうです。
 
次に「斜めギザ」。
50円や100円には縦線のギザが側面に施されていますが、500円の場合は「斜めギザ」です。
大量生産型の貨幣では世界初だそうです。
 
最後に「潜像」。
見る角度によって数字が見え隠れします。
光の入射角、反射角による反射光の明暗差によって起こる現象を応用したものです。
 
そういや旧500円玉だった当時、韓国の500ウォンを変造したもので自動販売機を荒らされた事件が多発しましたね。
やはり変造防止技術というのはとても大切なものです。
 
 
 
こちらは「製造貨幣大試験」の様子です。
 
造幣局で製造した貨幣を検査するため、1872(明治5)年から行われている「製造貨幣大試験」は、現在では貨幣の種類ごとに毎日の製造枚数に応じて一定の割合で選種した貨幣の量目が定められた公差の範囲内にあるかどうか毎年一回財務大臣が執行官となって試験を行います。
この行事は明治維新の大業相成って近代造幣局が設立され、統一した新貨幣を発行する運びになったときに、まず第一番に必要だったのが「貨幣に対する信用を取り戻す」ことでした。
貨幣を分析して来場者に見せたというのがこの試験の始まりだったそうです。
 
 
 
こちらの金貨は『天皇陛下御即位20年記念1万円金貨幣』で、2009(平成21)年に「最も美しい貨幣賞」を受賞されたものです。
鳳凰がめちゃくちゃ細かく、そしてリアルに彫刻されたこの金貨は実際目に見ても、魅入るものがあります。
こんな金貨を販売してたの、全然知りませんでした・・・ほしいなぁ~、今でも手に入るやろか?
 
ちなみに新500円硬貨も2000(平成12)年に「最も革新的なコンセプトの貨幣部門賞」を受賞してるんですよ。賞のタイトルがちと長いですが・・・。
 
 
 
なんと本物の金塊と銀塊を触れることができます。
 
そういえば昔、ふるさと創生事業で国から1億円の交付金をもらって金塊に触れるっていうのありましたね。どこの地方自治体も結局は財政難で売却したようですが・・・。
 
 
造幣局は見どころが満載で、じっくり見てると何時間もかかります。
わしも最後は閉館時間に追われてしぶしぶ帰りましたし・・・ブログですべてを書くことは非常に難しいので、興味がある人はぜひ足を運んで自分の目で見てくださいな。
面白いですぜ~。
 
 
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