最後の波が引いた後、西棟5階の会議室には、避難者と患者、医療スタッフの42人がいた。


水も、食料も、毛布もない。外は雪が降る寒さであった。


患者7人が次々と息を引き取った。死因は低体温、津波による窒息とみられる。



自衛隊の救助ヘリが屋上に到着したのは翌日の昼過ぎだった。


ヘリは患者を石巻赤十字病院に繰り返し搬送したが、最後の患者数人を搬送し終えたのは、2日後の3月13日の午前中だった。


医療スタッフたちはここで2晩を過ごした。


入院患者107人のうち72人、看護師と看護助手3人が死亡・行方不明となった。



河北新報は津波の記憶を後世に伝える、「語り部」になることを決めたのだろう。



3ヶ月経っても、昨日のことのように丹念な記事が載る。


6月11日は3ヶ月目にあたるが、この日の河北は広告を除く30ページ中、実に20ページを震災記事に当てた。

収集した膨大な事実をすべて吐き出すつもりだ。


それは年内に終わるのだろうか。



PS

3月11日、志津川病院・整形外科のS先生はたまたま非番で、仙台の自宅にいて難を逃れた。


その運の強さを買われ(?)、志津川病院の新院長に指名された。


行政との折衝、医療スタッフの確保を期待され、両肩に責任がのしかかる。


当面、金曜の夜仙台に戻り、日曜の夜志津川に赴く、という生活になる。


しかしS先生の実家は福島にあり、こちらも大変なのだそうだ。




「震災を丹念に追う河北新報」 了




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