ホテルの

 

窓。

 

 

雨で

 

目をさます。

 

 

 

ヤフー天気予報は、

 

晴れ

 

だった

 

はずなのに。

 

 

 

駅で

 

ビニール傘を買う。

 

1本880円。

 

 

 

家を出るとき

 

持ち物を

 

少なくしようと

 

カサは置いてきた。

 

 

まるで

 

自分の人生を

 

見ているようだ。

 

 

 

 

今日は

 

閉店が決まった

 

店に行き

 

スタッフに

 

お礼を

 

伝える日。

 

 

 

わたしが

 

入社する前からある店。

 

 

 

 

 

なんの権限があって

 

がんばっている店に行き

 

閉店の話をするのか。

 

 

 

じぶんに

 

腹が立つ。

 

 

 

 

雨で

 

良かった。

 

 

 

 

 

” 次の仕事は大丈夫ですか。”

 

 

”まだ、さがしていません。”

 

 

。。。。。。

 

 

 

どう

 

ことばを

 

返せばいいのか

 

見つからない。

 

 

 

 

”いま

 

 仕事を探し始めて

 

 新しい仕事が見つかってしまうと

 

 おそらく

 

 すぐに来てほしいとなるじゃないですか。

 

 店は

 

 9月まであるから

 

 いま辞めちゃうと

 

 迷惑をかけてしまうので

 

 8月に入ってから

 

 あたらしい仕事は探します。(笑)”

 

 

 

 

○○店に

 

移動してくれると

 

うれしいのですが。

 

 

 

”それはムリですよ。

 

 仕事は家の近くって決めているんです。

 

 電車は嫌いなんです。”

 

 

 

 

たしかに

 

わたしも

 

レールの上は

 

キライ。

 

 

 

いつの

 

時代も

 

苦労をかけるのは

 

立場の弱い人。
 

 

 

 

会議で

 

偉そうに

 

スクラップ&ビルドの話をしているヤツ。

 

 

話の中には、

 

生身の人間の人生がある。

 

 

 

 

今回の出張は

 

出店依頼のあった物件も

 

確認してくることになっている。

 

 

 

嫌味な

 

スケジュール。

 

 

 

 

どの

 

物件も

 

閉店する店より

 

魅力が無かった。

 

 

 

帰ったら

 

そう

 

報告する。

 

 

 

嫌味な報告。

 

 

 

 

 

 

白石康次郎を思い出した。

 

 

 

彼は

 

地球上で

 

もっとも過酷なレースといわれる

 

”ファイブ・オーシャンズ(5OCEANS)で

 

2位になった男。


 

 

わたしは


ヨットや


冒険には

 

無縁の人間。

 

しかし

 

彼の言葉は


わたしのビジネス人生に大いに役に立っている。


 


あんがい


そういう意味では


ビジネスも

 

冒険。



 

白石は


たったひとりで

 

118日間

 

4万8507キロの行程を、


小さなヨットを操り、

 

世界を一周した。



 

嵐の時の波の高さは

 

10メートルを超える。

 

 

大波を受けたヨットは

 

海に漂う

 

木の葉のように揉(も)まれ、


横転することも

 

めずらしくない。

 

 

特に

 

南氷洋のレースは最悪。

 

ちょっと

 

油断しただけで、

 

氷山や

 

流氷に激突し

 

タイタニック号のように、

 

簡単に船は

 

海の底に

 

消えてゆく。


 

 

ひとりで

 

操縦しているので

 

海で眠ることは

 

死を

 

意味する。


 

 

 

船の浸水や

 

故障も

 

修理は

 

一人

 

 

強風の中

 

 

28メートルもあるマストにのぼり


1時間も過ごさなければならない時もある。


 


白石は言う

 

”やっぱり

 

 一人ですから


 つらいのは我慢できないですよ。(笑)

 


 限界があります。

 

 そんな状況の中で、


 いかに楽しめるか

 

 それが長続きする秘訣です。”

 


彼は、

 

何か月もの間

 

たったひとり。

 

自分を見失わないために

 

自分をコントロールする必要があった。

 

 

な。の。で。


 

”船内一人クリスマスパーティー”

 

 

”船内一人お正月”

 

 

そして

 

どうしても

 

つらい時は

 

”アントニオ猪木のテーマ”をかけていた

 

らしい。


 

気持にゆとりがない時には

 


禅の本を読んでいた。

 

 

 

白石はいう。

 

 

”自然は

 

 わたしに合わせてくれない。

 

 

 自分が

 

 自然に合わせるしかないんです。”


 

”そこで大事なことは、


 

 頭で考えないで、感じるようにすること。 ”



 

”頭で考えると

 

 ついつい

 

 損得勘定になる。”


 

”だから

 

 頭で考えたことは

 

 信じないことにしています。”



 

”勝負どころでは、


 

 ”こころ”に従う。”


 


”ただ

 

 調子が悪いときは

 

  データを信じます。


 

 自分がノッているのか


 

 普通なのか


 

 ネガティブなのかを把握するため。


 

 なにせ

 

 長いですから

 

 
 

ずっと調子がいいということも


 

ずっと調子が悪いということも


 

あり得ません。



 

自分の波を見極めて

 

その波に

 

うまく乗っていく


 

”逆らわないこと” が大切。 



 

白石の

 

人生は

 

順調じゃなかった。

 

 

むしろ


人より

 

運は悪かった。


 

白石が

 

はじめて

 

単独世界一周ヨットレースに出発した時、

 


大勢の人々の援助と

 

見送りを受けて出発した。

 

しかし


わずか


出発して九日目

 

ヨットの船体の故障によりレースを断念。

 


その

 

2ヶ月後

 

再出発するも

 

今度は

 

マストのワイヤーが切れて

 

2度目の断念。


 

 

白石は


 

応援してくれた人々に合わせる顔がなかった。

 

 

その時

 

友人の一人が

 

白石に

 

額に入った

 

 

1枚の色紙をプレゼントした。


 

その色紙には

 

こんな言葉が書かれていた。

 


 ” 大切なのは、

 

   大きな志を抱き


   それを成し遂げる技能と忍耐をもつこと。


   そのほかは


    いずれも

 

    重要ではない。”



 

白石は


最後の一文。


 

”その他は、いずれも重要ではない” というところが特に胸に響いた。

 


その時

 

白石は

 

”人に申し訳ない ” とかじゃなくて

 


とにかく成し遂げるためには

 

技能と忍耐を身につけることが大切なんだ。


そのことだけに集中しようと思った。

 

 

そして

 

2度にわたる挫折から2年後

 

1994年。


26歳に成長した白石康次郎は


史上最年少、単独、無寄港、世界一周を成し遂げた。




 

白石は言う


 

”よくあきらめちゃいけない。といいます。

 

でも

 

そんなことはないんです。


 

僕は

 

今まで

 

なんども


なんども

 

なんども

 

あきらめてきましたから。


 

1回目のレースも

 

2回目のレースもあきらめて
 

引き返してきました。

 

 

世界1周をしてからも

 

あこがれのファイブ・オーシャンズ・レースに参戦するまでには

 

7年もかかりました。(笑)



 

僕は

 

レースで

 

リタイアばかりしていたから

 

だれからも

 

信用がなく、

 

参加するための資金が集まらなかったのです。





あきらめるという決断は、

 

決して悪い決断ではありません。



 

あきらめることも

 

時には必要なんです。



 

だから


”SOSを出す前に引き返すことが、正しい決断なんです。”




”やるだけやったあとは、引き返せばいい。”というのは

 

海では通用しません。


 

それでは、

 

自分も死んでしまうからです。

 

まわりに

 

もっと

 

大きな迷惑をかけてしまいます。

 



 

引き返すときは


引き返さなければならない。

 


断念しなければならないときには、


断念しなければならないのです。

 

 

ただ

 

誤解しないでもらいたいのは


 

”あきらめる”という意味は

 

”明らかに” ”見極める” という意味なんです。

 


投げ出すことや


やめることとは

 

違います。



 

 

僕は

 

どんなに

 

恥をかいても

 

投げ出したことは

 

一度も

 

ありませんでした。



 

それが

 

一番良かった。



 

 

 


帰りの新幹線

 

富士山が少しだけ顔を出してくれた。