クローゼットから

 

服を

 

3着ほど取り出し、

 

ファスナーの

 

タブを調べてみてください。

 

 

そこには

 

おそらく

 

少なくとも

 

1つには

 

YKKと

 

名前が

 

刻まれているはず。

 

 

 

YKKは、

 

世界一の

 

ファスナーメーカー♪

 

 

 

年間売上高は

 

グループ合計で

 

9000億円を超える。

 

 

そして

 

ファスナーの日本市場の95%

 

世界市場の45%のシェアをもつ。

 

 

 

 

 

 

ファスナーの世界で、

 

トップを独走する会社♪

 

 

 

 

ファスナーとは、

 

スライダーをひっぱり

 

2列ある

 

小さな歯をかみ合わせると、

 

バック

 

ジャケット、

 

パンツなんでも

 

しっかり閉じる。

 

これが

 

ファスナーだ。

 

 

 

この

 

便利な日用品(ファスナー)は、

 

アメリカで

 

1893年

 

特許が申請された。

 

 

しかし

 

その特許は

 

しばらく

 

使われることはなかった。

 

 

実際に

 

使われたのは、

 

特許申請から

 

25年後

 

ゴム長靴の

 

ファスナーからだった。

 

 

人々にとって

 

ファスナーは

 

必要

 

無かった。

 

 

人々は、

 

安価な

 

ボタンで十分だった。

 

 

ファスナーは、

 

苦労の末に普及した

 

象徴的な

 

発明だった。

 

 

やがて

 

時は流れて

 

1969年

 

アポロが月面着陸に成功する。

 

その時

 

月の表面を

 

ぴょんぴょんと

 

飛び跳ねていた

 

宇宙飛行士の服の

 

ファスナーは

 

YKKのファスナーだった。

 

 

 

 

”YKK”

 

この会社は、

 

昭和9年の創業当時、

 

社長の吉田忠雄と、

 

二人の従業員がいるだけの小さな会社だった。

 

 

それが

 

現在では、

 

従業員数、

 

4万4527名を超える

 

世界企業へと成長を遂げている。

 

YKKを

 

創業することになる

 

吉田忠雄は、

 

小学校と高等小学校を

 

学年トップの成績で卒業するほど頭が良かった。

 

しかし、

 

吉田の

 

家は貧しく、


吉田は大学へ行くことは叶わなかった。

 

 

見かねた、

 

吉田の

 

二人の兄が、

 

”学費は俺たちがなんとかするから大学へ行け”と言ってくれた。

 

 

吉田は、

 

”学校なんか行きたくない。

 

 僕は商売をやって、うんと儲けるんだ。”と言って、

 

 トイレに駆け込んで

 

 声を殺して

 

 泣いた。

 

 

 

彼には

 

一つの哲学があった。

 

”善の循環”という

 

考え方だった。

 

 

小学生だった吉田が、

 

読んだ本の中で、

 

ある人物が語った言葉から来ている。

 

 

 

 

”他人の利益を図らずして、

 

 自ら繁栄することはありえない。”

 

 

 

 

アメリカの鉄鋼王、

 

アンドリュー・カーネギーの言葉だった。


 

 

のちに

 

吉田は、

 

カーネギーの言葉を自分のものとした。

 

 

吉田は言う。

 

”商品を安く買って高く売れば儲かるが、

 

 それではお客様の利益にはならない。

 

 だからといって

 

 高く買って安く売ったら、

 

 自分が滅びることになってしまう。

 

 だが、

 

 発明と工夫、

 

 貯蓄と投資を繰り返してゆけば、

 

 お客様も自分も繁栄することができる。”


 

昭和48年、

 

日本を

 

オイルショックが襲った。

 

物不足、

 

物価の高騰が深刻な状況の中、

 

吉田は

 

ある決断をする。

 

 

激しいインフレが続くなかで、

 

吉田は

 

取引先を集めて語り始めた。

 

 

”わが社は、

 

 これから、

 

 100億円の損失をかぶります。

 

 だから、

 

 皆さんは出し惜しみや値上げをしないでいただきたい。

 

 

 日本を全力で支えましょう。”

 


 

吉田は、

 

 

社会貢献をするときだと思った。


 

やがて

 

オイルショックが日本を通り過ぎた後、

 

YKKは、

 

当時の金額で

 

40億円の損失を被った。


 

しかし

 

かわりに

 

お金で買えない

 

大事な

 

”信用”を

 

得た。


 

 

吉田の、

 

あるエピソードを紹介したい。


 

海外へ派遣される社員に、

 

吉田が語った励ましの言葉だ。


 

”どこの馬の骨だかわからない奴が売りに行って、

 

そんなに簡単に商品が売れるわけがない。

 

朝、早く行って会社の前で待っておれ。

 

そうすれば、うるさいやつだといって、ボスが出てくる。

 

その時がチャンスだ。”

 
相手をつかまえたら、

 

 

”YKKはこのような能力を持っています。”

 

といって、


”御社の発展のために我々を利用してほしい。”とお願いするんだ。

 

 

いいか、

 

お客様の利益を

 

まず

 

第一に

 

考えろ。

 

 

国が違っても、

 

同じ人間だ。

 

それぞれの繁栄につながるということは、

 

国内だって、

 

海外だって

 

かわりはないんだ。

 

 

売ろう、売ろうとするからダメなんだ。”