アメリカで

 

飛行機をつくる

 

会社がある。

 

 

 

 

ボーイング社。

 

 

 

最近、

 

トラブルのニュースが

 

多い。

 

 

 

 

しかし、

 

わたしは

 

心配していない。

 

 

 

なぜ?

 

 

この会社

 

すごいんです。

 

 

過去


倒産寸前になるたびに

 

強くなるんです。

 

 

 

 


 

 

日本の農機具メーカー

 

クボタの伝説の技術者だった三木さんが

 

ボーイング社を訪れた時の話。

 

 

 

”はじめて

 

 アメリカ、

 

 ボーイング社の工場を見学したとき

 なんとも従業員が楽しそうに働いている姿を見て

 

 おどろいた。


 服装も自由♪

 

 フレンドリー♪
 

 

 日本の工場を

 

 見慣れているクボタの三木さんには、

 

 その光景が信じられなかった。


 なぜなら、

 日本の工場は、

 

 全員が同じ作業着を着て

 黙々と

 

 作業に従事している姿しか

 

 なかったからだ。


 三木さんは

 

 ボーイングの技術者に話を聞き、

 

 さらにおどろいた。

 その

 

 ボーイングの技術者の話によると。。。



”一番大切なことは、

 

 なによりも

 

 ”procedure(プロシージャ)”なんだ。

 

 

 そう、

 いわれたそうだ。


”なによりも”procedure ”を


より新しく、

いいものにどんどん変えて行く姿勢なんだ。”と教えられたそうだ。



*プロシージャ 【procedure】の意味は、

 

 ”やり方”




三木はびっくりした。

大勢の人々の命を乗せ、


事故の許されないジャンボジェット機の製作は安全第一のはず。

安全を一番に考えるなら、

本来、長年にわたって築き上げられてきた実績のある規格を厳正に守って、

つくられるべきものだと思っていたからだった。


確固たる技術体系があり、

それは、よほどのことがないと変えるものではないと

 

三木さんは

 

思っていた。


ところが、

 

ボーイング社の考え方は、

 

まったく

 

違った。

 

 

 

ボーイング社の技術者は言う


”飛行機メーカーというのは、世界でも少数精鋭です。

 軍用機はさておき

 

 民間機のマーケットは

 

 とても激しい競争にさらされております。

 

マーケットにおいて

 

優位性を維持し続けるためには、

むしろ、


”スタンダードのやり方に安住することは危険なんです。”


 ”やり方”を

 

 少しでもいいように変え、

 

 その”やり方”を新たなスタンダードにしてゆく。

 そうやって、

 

 つねに

 

 スタンダード

 

 そのものを進化させてゆくことが

 とても大事なことなんです。”と 教えられた。



 三木さんは、

 

 話を聞き、

 自分が、

 

 いままで

 

 持っていた”物づくり感”が、

 いかにも狭いものだったと

 

 痛感させられた。

 

 三木さんは、

 

 その後、

 

 仕事の

 

 やり方において

 

 ”従来からある聖域”を無視するようになっていった。

 


 す。る。と。


 売り上げ、

 

 利益のとれる製品が

 

 ぞくぞく

 

 出来るようになっていった。


 し。か。し。


 同時に

 

 会社の他部署からの

 

 反発も激しさを増していった。

 

 反発と

 

 比例して

 

 バンバン売り上げも伸びた。

 

 


三木さんは言う。

”ゴルフでパーをセーブする

 

 パターを決めるためには? ”

”ボウリングで

 

 ストライクを取るためには? ”


みんな、

 

理屈は

 

分かっているんですよ。(笑)


でも

 

出来ない。


 

なぜ?

 

結局、

 

答えは、

 

出来るようになるまで

 

練習するしかないんですよ。

そして、

 

その練習は、

 

結果を出すための練習

 

でなければいけないんです。

 

だから、

 

練習の方法論、

 

つまり

 

”やり方”が

 

とても

 

重要なんです。”




プロセスの

 

話をしないで、

”ケッカ” ”ケッカ”という

 

元気な人に限って、

あんがい

 

結果を出せていない。

 

だいたい

 

ケッカという

 

赤ちゃんは、

”やり方”という

 

親から

 

生まれてくるのだから。
 

 

 

 

 

ボーイング社は

 

いまでこそ、


大型ジェット機をつくる

 

世界一の

 

優良企業です。


 

しかし

 

この会社のはじまりは

 

悲惨。

 


空軍の競争入札に負け

 

作った飛行機は

 

人々に

 

バカにされました。

 


 

創業当時、

 

潰れなかったのが

 

不思議なくらいの

 

ダメ会社でした。

 


しかし

 

この会社


その後

 

ウサギとカメのレースと

 

同じ

 

展開になって行く。

 

 

 

 

ボーイング747

 

ジャンボジェット機という

 

飛行機がある。

 

 

 

開発の時の

 

エピソードが

 

山あり

 

谷あり。

 

 

 

この

 

大型旅客機、

 

ちょうど

 

アポロが

 

月面に降り立った

 

1969年に完成する。

 

 

そして

 

いまでも

 

現役で飛んでいる。


すごい飛行機なんです。

 

 

約70メートル近い

 

大きな飛行機で、

 

一度に400名以上が乗ることができる。

 

この

 

巨大な飛行機を見た人々は、

 

”空とぶバス”

 

エアバスとよんだ。

 

 

 

ボーイング747ジャンボジェット機を

 

一機売ると。。。


当時

 

売り上げは、

 

150億円くらいになる。

 

中小企業の年間の売上を

 

軽く超える数字なんです。


 

それが、

 

新型機になると

 

200億円を超えてくる。


 

値段が高いので、


航空会社はリース契約で、

 

この飛行機を

 

運用しているところも少なくない。


だいたい

 

一ヶ月のリース料が、

 

6000万円ぐらいで

 

割安になるからだ。


 

もともと


ボーイング社は、

 

旅客機ではなく

 

戦闘機をつくるメーカーだった。

 


あの

 

戦略爆撃機Bー29も

 

ボーイング社で作られた。


”B”は、ボーイングのことなんです。

 


だから、


会社の取引先の売り上げの

 

五分の四は、

 

”アメリカ空軍”だった。


しかし、


そのため、

 

戦争が終わると

 

ボーイング社の売り上げは

 

どんどん

 

下がっていった。

 

 

ボーイング社は生き残るために、

 

民間航空機分野へ

 

挑戦することにした。

 

 

そして、

 

周囲の反対を押し切って、

 

収益予想を無視し、


開発された旅客機、

 

それが

 

ボーイング747だった。

 

 

この

 

大型ジェット機。。。


当時の世評は。。。

 


”400人も乗れる大型ジェット機などつくっても、


 客席が埋まらず赤字になるに決まっている。 ”

 

 

 

”そんな

 

大型ジェットをつくっても航空会社は採用しないだろう。”

 

といわれていた。

 

 

 

完成後。。。


予想通り

 

航空評論家から

 

空席だらけの機体として酷評された。

 

 

これだけ、

 

”大勢の人々”

 

そして

 

”専門家”から

 

発売前から

 

酷評されながら。。。

 

 

なぜ、

 

ボーイング社は、


747ジャンボジェット機をつくったのか?

 

 

当時、

 

取締役の一人だった、

 

グリーンワルトの話。

 

 

経営会議で、


この機体の投資収益の見通しについて

 

尋ねたことがあった。

 

 

すると。。。

 

経営幹部の

 

一人は

 

こう答えた。

 


”調査することはしたが。。。

 

 収益予測の結果は思い出せない。。。。”

 

 

 たぶん、


 正確には、

 

 ”思い出せない” 

 

 ではなく 

 

 ”思い出したくない。”

 

 だったんだと思う。

 

 

 わたしは、

 

 あきれて

 

 テーブルにつっぷしてしまいましたよ。(笑)

 

 

 

そして、


あらためて、


私は

 

”そんな投資予測も立たないプロジェクトはやめるべきだと主張したんですよ。”

 

 

すると、

 

経営幹部は

 

”ボーイングとは


 ボーイングという会社とは、

 

 航空業界の最先端に位置する企業でなければならない。”

 

 

”なぜ、予測の立たない大型ジェット機をつくるのか? 

 

 それは、

 

 われわれが、

 

 ボーイングだからだ。”

 


と、

 

議論を

 

締(し)めくくってしまった。

 

 

そして、

 

ようやく

 

ボーイング747ジャンボジェット機が完成すると、


アメリカ西海岸の町シアトル(ボーイング社の本社工場)は、

 

失業者であふれかえった。

 


ボーイング747は、

 

専門家の予想通り、

 

まったく

 

売れなかった。


 

当時、


飛行機の平均的な乗客数は

 

だいたい100名ちょっとだった。


 

なので、

 

一度に

 

400名もの

 

お客様を乗せる飛行機など

 

必要なかったんです。

 


ボーイング社は。。。


この

 

飛行機を作ってから

 

三年間。


 

従業員を

 

減らして、

 

減らして、

 

減らし続けた。


 

じつに、

 

この時期、

 

ボーイング社は全従業員の60%

 

86.000名をレイオフしている。

 

 

ボーイング社の

 

企業城下町シアトルの

 

高速道路5号線のわきに、


こんな

 

看板が立てられた。



 

”シアトルを最後に出て行く方へ


    電気を消し忘れないようにお願いします。 ”

 

 



 

シアトルの人々は

 

”ボーイング社は、おとなしく爆撃機を作っていればいいんだ!

 

”バカヤロー”と怒った。



 


ボーイング社の取締役会


ある取締役の一人が

 

ふっきれたように


”われわれは、

 

 こんなにも困難なプロジェクトに挑んでいるんだ。”


”だから、うまくいかなくなったら、いつでもやめられるし、


 やめたからといって評価が下がることはない。”と話した。

 


すると、


社長の

 

ウイリアム・アレンの顔色がガラリとかわる。

 


”やめるだって、

 

 とんでもない。


 ボーイング社が、

 

 この航空機をつくると宣言したからには


 会社の資源を

 

 すべて

 

 つぎ込んでも、

 

 社員が一人になっても、

 

 必ず

 

 成功させる。

 

 

 安全なところにとどまっていては、

 

 進歩も

 

 進化も

 

 

 ない。


 

 

 

 わが社、

 

 ボーイングは

 

 航空業界の

 

 最先端に

 

 位置する企業でなければならない。

 

 

 なぜ、

 

 予測の立たない大型ジェット機をつくるのか? 

 

 

 それは、


 われわれが、

 

 ボーイングだからだ。”

 

 

 

 

ボーイング社の本社は、

 

少し前まで

 

シアトル市、郊外にあった。

 

シアトルの街を地図で見ると、

 

大きな空港が二つあるように見える。

 

わたしは、


こんな地方都市なのにアメリカは

 

たいしたもんだと思いました。

 

そしたら、


ひとつは、

 

なんとボーイング社の工場の飛行場だったんですね。

 


工場を見学させていただくと。。。

 

スケールが○△*+☆


 

 

ボーイング社とは

 

本当に、

 

飛行機が好きな人たちの集まりなんだなあと実感しました。

 


 

 

 

結局、


ボーイング747は、

 

その後

 

おとずれる、


空前の個人旅行客ブームの波に乗り

 

世界中から注文が殺到し


一機、150億円もする高価な飛行機であるにもかかわらず、


結果的に、1300機以上を販売する大ヒット商品となった。

 

 

この飛行機の

 

開発成功で、

 

人類は、


”気軽に”世界へ遊びに行くことができるようになった。


 

大量輸送が可能となり

 

航空運賃が

 

飛躍的に下がったからだった。


 

このとき、


ボーイング社には、

 

もはや

 

世界に

 

ライバルは

 

ひとつも

 

存在しなかった。



 

 

ボーイング社が

 

奇跡の成功を成し遂げたとき、

 

記者から質問を受けた。

 


”なぜ、あなたがたは、そんな無謀な挑戦をし続けるのですか? ”

  


 

ボーイング社の

 

広報担当者は

 

にっこりと

 

微笑み

 

”理由ですか?

 

 それは、

 

 われわれが

 

 ボーイングだからです。”

                                  


 


山形apron