アップルウォッチの

話をしていたら。。。

 

アップル創業者の

卒業式での

スピーチの話になった。

 

わたしの

10歳のむすめは、

まだ

この話は

理解できないと思う。

 

ここに

書いておこう。

 

 

アップル創業者

スティーブ・ジョブズが

スタンフォード大学の

卒業生たちに

贈ったコトバ。

 

 

”世界で

 もっとも優秀な大学の卒業式に

 同席できて

 光栄です。

 

 私は

 大学を卒業したことが

 ありません。

 

 もしかしたら

 きょうが

 人生で

 もっとも

 大学卒業に

 近い日かも

 しれません。

 

 本日は

 自分が

 生きてきた経験から、

 3つの

 話をさせてください。

 

 たいしたことではないです。

 

たった3つです。ニコニコ

 

 

まず、

点と点をつなげる、

ということです。

 

私はリード大学を

たった

半年で退学したのですが、

学校を去るまでの1年半

大学に居座り続けたのです。

 

では

なぜ、

学校をやめたのか。

 

私が生まれる前、

生みの母は

未婚の大学院生でした。

 

母は決心し、

私を

養子に出すことにしました。

 

母は

私を産んだら

ぜひとも、

だれかきちんと

大学院を出た人に引き取ってほしいと考え、

ある弁護士夫婦との養子縁組が決まったのです。

 

ところが、

その夫婦は間際になって

やはり

女の子をほしいと言いだしたのです。

 

 

こうして

深夜

将来、

わたしの育ての親となる

両親のところに、

電話がかかってきたのです。

 

 

養子にできる

男の子が生まれたのですが、

引き取る気はありますか?

 

 

両親は

「もちろんです。」と答えました。

 

生みの母は、

後々、

養子縁組の書類に

サインするのを拒否したそうです。

 

理由は、

将来

育ての親になる人は、

大卒ではなかったし、

父に至っては高校も出ていなかったからです。

 

実の母(産みの親)は、

両親(育ての親)が、

僕を

必ず大学に行かせる。と約束したため、

数カ月後に

ようやく

養子縁組のサインに応じたそうです。

 

そして

17年後、

私は

本当に大学に通うことになりました。

 

ところが、

私の入学した大学は、

スタンフォード大学並みに

学費が高い大学でした。

 

わたしが

大学に

入ってしまったばかりに、

労働者階級の両親は

蓄えのすべてを学費に注ぎ込むことになってしまいました。

 

そして

半年後、

僕は

両親に

そこまでの犠牲を払ってもらってまで、

大学に通う

価値を見いだせなくなっていました。

 

当時は

人生で

何をしたらいいのか分からなかったし、

大学に通っても

やりたいことが見つかるとはとても思えなかった。

 

私は、

両親が

一生をかけて

蓄えたお金を

ひたすら浪費しているだけでした。

 

私は退学を決めました。

 

何とかなると思いました。

 

多少は迷いましたが、

今振り返ると、

自分が

人生で下した

もっとも

正しい

決断だったと

自信が持てます。

 

 

退学を決めたことで、

興味もない授業を受ける必要がなくなりました。(笑)

 

そして、

おもしろそうな授業にだけ

潜り込んだのです。

とはいえ、

いい話ばかりではなかったです。

私は

寮に自分の部屋もなく、

友達の部屋の床の上で

寝起きしました。

 

食べ物を買うために、

コカ・コーラの空きビンをひろっては店に返し、

5セントをかき集めたりもしました。

 

温かい食べ物にありつこうと、

毎週日曜日は

7マイル(11.26キロ)先にある

クリシュナ寺院に徒歩で通ったものです。

 

それでも

毎日

本当に楽しい日々でした。

 

自分の

興味の赴くままに

潜り込んだ講義で得た知識は、

のちに

かけがえがないものになりました。

 

たとえば、

リード大学では

当時、

全米で

おそらく

もっとも優れたカリグラフ(文字を美しく見せるための手法)の

講義を受けることができました。

キャンパス中に貼られているポスターや

棚のラベルは手書きの美しいカリグラフで彩られていたのです。

 

退学を決めてから

必須の授業を受ける必要がなくなったので、

興味のある

カリグラフの講義を学ぼうと考え方を変えたのです。

ひげ飾り文字を学び、

文字を組み合わせた場合のスペースのあけ方も勉強しました。

何が

カリグラフを美しく見せる秘訣なのか会得しました。

科学では

とらえきれない伝統的で

芸術的な文字の世界のとりこになったのです。

 

もちろん当時は、

これが

いずれ

何かの役に立つとは考えもしなかった。

 

ところが

10年後、

最初の

マッキントッシュ(アップルコンピュータのベストセラーPC)を設計していたとき、

カリグラフの知識が急によみがえってきたのです。

そして、

その知識をすべて、

マックに注ぎ込みました。

 

美しいフォントを持つ

最初の

コンピューターの誕生です。

 

もし

大学で

あの講義がなかったら、

マックには

多様なフォントや字間調整機能も入っていなかったでしょう。

 

ウィンドウズは

マックをコピーしただけのものなので、

パソコンに

こうした機能が盛り込まれることも

なかったでしょう。

もし

私が退学を決心していなかったら、

あのカリグラフの講義に潜り込むことはなかったし、

パソコンが現在のような

すばらしいフォントを備えることもなかった。

 

もちろん、

当時は

先々のために

点と点をつなげる意識などありませんでした。

 

しかし、

いまふり返ると、

将来役立つことを大学でしっかり学んでいたわけです。

 

繰り返しですが、

将来をあらかじめ見据えて、

点と点をつなぎあわせることなど

できません。

 

できるのは、

後から

つなぎ合わせることだけです。

 

だから、

我々は

いまやっていることが

いずれ

人生のどこかで

つながって

実を結ぶだろうと信じるしかないのです。

 

運命、

 

カルマ…、

 

なんにせよ

われわれは、

何かを

信じないとやっていけないのです。

 

私は

このやり方で

後悔したことはありません。

 

むしろ、

今になって

大きな差をもたらしてくれたと感謝してます。

 

2つ目の

話は

愛と

敗北です。

 

私は

若い頃に

大好きなことに出合えて幸運でした。

 

共同創業者の

ウォズニアックとともに

私の両親の家の

物置で、

アップルを創業したのは

二十歳のときでした。

 

それから

一生懸命に働き、

10年後には

売上高20億ドル、

社員4000人を超える会社に成長したのです。

 

そして

我々の

最良の商品、

マッキントッシュを発売したちょうど1年後、

30歳になったときに、

私は

会社からクビに

されたのです。

 

自分で立ち上げた会社から、

クビを言い渡されるなんて。

 

実は

会社が成長するのにあわせ、

一緒に経営できる有能な人材を外部から招いたのです。

 

最初の1年はうまくいっていたのですが、

やがて

お互いの将来展望に食い違いがでてきたのです。

 

そして

最後には

決定的な亀裂が生まれてしまった。

そのとき、

取締役会は

私ではなく

彼に味方しました。

 

それで

30歳のとき、

私は、

自分のつくった会社から追い出されたのです。

 

私の人生をかけて

築いたものが、

突然、

消えてしまったのです。

 

これは

本当につらい出来事でした。

1カ月くらいは

ぼうぜんとしていました。

 

私に

バトンを託した

先輩起業家たちを失望させてしまったと

落ち込みました。

 

デビッド・パッカードや

ボブ・ノイスに会い、

台無しにしてしまったことを謝りました。

 

世紀の大失敗だったので、

このまま

逃げ出してしまおうかとさえ思いました。

 

しかし、

ゆっくりと

何か希望がわいてきたのです。

 

自分は

打ち込んできたことが、

やはり

大好きだったのです。

 

アップルでの

つらい出来事があっても、

この一点だけは

変わらなかったのです。

 

会社を追われはしましたが、

もう一度

挑戦しようと思えるようになったのです。

 

そのときは

気づきませんでしたが、

自分が作った会社(アップル)から

追い出されたことは、

 

人生で

もっとも

幸運な

出来事だったのです。

 

 

将来に対する

確証は持てなくなりましたが、

会社を発展させるという重圧は、

もう一度

挑戦者になるという

身軽さにとってかわりました。

 

アップルを離れたことで、

私は人生で

もっとも

創造的な時期を迎えることができたのです。

 

その後の

5年間に、

NeXTという会社を起業し、

ピクサーも立ち上げました。

そして

妻になる

すばらしい女性と巡り合えたのです。

ピクサーは

世界初のコンピューターを

使った

アニメーション映画「トイ・ストーリー」を製作することになり、

今では

世界でもっとも成功したアニメ製作会社になりました。

 

そして、

思いがけないことに、

アップルが

NeXTを買収し、

私は、

ふたたび

アップルに戻ることになりました。

 

いまや、

NeXTで開発した技術は

アップルで進むルネサンスの中核となっています。

 

そして、

ロレーンとともに最高の家族も築けたのです。

 

アップルを追われなかったら、

今の私は無かったでしょう。

 

非常に苦い薬でしたが、

私には

そういう

つらい経験が

必要だったのでしょう。

 

 

 

最悪のできごとに

見舞われても、

信念を

失わないこと。

 

 

自分の仕事を愛してやまなかったからこそ、

前進し続けられたのです。

 

 

皆さんも

大好きなことを見つけてください。

 

 

仕事でも

恋愛でも。

 

 

仕事は

人生の一大事です。

 

やりがいを感じることができるただ一つの方法は、

すばらしい仕事だと心底思えることをやることです。

 

そして

偉大なことをやり抜く

ただ一つの道は、

仕事を愛することでしょう。

好きなことがまだ見つからないなら、

探し続けてください。

決して

立ち止まってはいけない。

本当にやりたいことが見つかった時には、

不思議と

自分でもすぐに分かるはずです。

すばらしい恋愛と同じように、

時間がたつごとによくなっていくものです。

だから、

探し続けてください。

 

絶対に、

立ち止まらないでください。

 

3つ目の話は

死についてです。

 

私は

17歳のときに

”毎日を

 それが

 人生最後の一日だと思って生きれば、

 その通りになる”

 という言葉に

 どこかで出合ったのです。

 

 それは印象に残る言葉で、

 その日を境に33年間、

 私は毎朝、

 鏡に映る自分に問いかけるようにしているのです。

 

 ”もし今日が

  最期の日だとしても、

  今からやろうとしていたことを

  するだろうか” と。

 「違う」という答えが何日も続くようなら、

 ちょっと生き方を見直せということです。

 

自分は

まもなく死ぬという認識のなか、

重大な決断を下すとき

それが、

一番役立つことを

知っています。

 

なぜなら、

永遠の希望。

プライド。

失敗の不安。

 

これらは、

すべて、

死の前には

何の意味もなさなくなるからです。

 

本当に

大切なことしか

残らない。

 

自分は死ぬのだと思い出すことが、

敗北する不安にとらわれない最良の方法なのです。

 

我々は

みんな最初から裸です。

自分の心に従わない理由はないのです。

 

1年前、

私はがんと診断されました。

 

朝7時半に

診断装置にかけられ、

膵臓(すいぞう)に

明白な腫瘍が見つかったのです。

 

私は膵臓が何なのかさえ知らなかった。

 

医者は

ほとんど治癒の見込みがない

がんです。

余命半年だろうと告げたのです。

 

医者からは

自宅に戻り

身辺整理をするように言われました。

 

つまり、

死に備えろ。

という意味です。

 

これは

子どもたちに

今後10年かけて伝えようとしていたことを、

たった数カ月で

語らなければならないということです。

 

家に帰り、

一日中

診断結果のことを考えました。

 

その日の午後に

生検を受けました。

 

のどから

入れられた内視鏡が、

胃を通って腸に達しました。

 

膵臓に針を刺し、

腫瘍細胞を採取しました。

 

鎮痛剤を飲んでいたので分からなかったのですが、

細胞を顕微鏡で調べた医師たちが騒ぎ出したと

妻がいうのです。

 

手術で

治療可能な

きわめてまれな膵臓がんだと分かったからでした。

人生で

死に

もっとも近づいたひとときでした。

 

今後

何十年かは

こうしたことが起こらないことを願っています。

 

このような

経験をしたからこそ、

死というものが

あなた方にとっても

便利で

大切な概念だと自信をもっていえます。

 

 

あなた方の時間は限られています。

 

だから、

本意でない人生を生きて

時間を無駄にしないでください。

 

ドグマにとらわれてはいけない。

 

それは

他人の

考えに従って生きることと同じです。

他人の考えに溺れるあまり、

あなた方の内なる声がかき消されないように。

 

そして

何より

大事なのは、

自分の心と直感に従う

勇気を持つことです。

 

あなた方の

心や

直感は、

自分が本当は何をしたいのか

もう知っているはずです。

 

ほかのことは

二の次で構わないのです。

 

私が若いころ、

全地球カタログ(The Whole Earth Catalog)というすばらしい本に巡り合いました。

私の世代の

聖書のような本でした。

スチュワート・ブランドという

メンロパークに住む男性の作品で、

詩的なタッチで躍動感がありました。

パソコンや

デスクトップ出版が普及する前の

1960年代の作品で、

すべて

タイプライターと

ハサミ、

ポラロイドカメラで作られていました。

言ってみれば、

グーグルのペーパーバック版です。

 

グーグルの

登場より

35年も

前に書かれたのです。

 

理想主義的で、

すばらしい考えで満ちあふれていました。

スチュワートと

彼の仲間は

全地球カタログを

何度か発行し、

一通りやり尽くしたあとに

最終版を出しました。

 

70年代半ばで、

私はちょうどあなた方と同じ年頃でした。

背表紙には

早朝の

田舎道の写真がのっていました。

あなたが

冒険好きなら、

ヒッチハイクをする時に

目にするような風景です。

 

その写真の下には

 

”ハングリーなままであれ。”

 

”愚かなままであれ” 

 

そう

書いてありました。

 

筆者の別れの挨拶でした。

 

 

”ハングリーであれ。”

 

”愚か者であれ。”

 

私自身、

いつも

そうありたいと思っています。

 

そして

今、

卒業して

新たな人生を踏み出す

あなた方にも

そうあってほしい。

 

”ハングリーであれ。”

 

”愚か者であれ。”

 

ありがとうございました。