ビジネスで

 

成功したいと思っている人は多い。

 

 

 

わたしは、

 

ビジネスの成功より

 

家庭があるほうが

 

成功だと思う。

 

 

 

それは、

 

今日、

 

日曜日だというのに

 

朝、

 

早くから

 

お弁当を作ってくれる

 

家内がいるからだ。

 

 


 


 

晩年の

 

シャネルは、

 

 

孤独の中にあった。




 

 

ビジネスで

 

成功した

 

ココ・シャネル。

 


 

シャネルのリリースするデザインは、


つぎつぎと

 

女性たちから、

 

支持されていった。


 

 

 

しかし、

 

シャネル本人は、

 

沈んでいた。



 

シャネルは

 

名声を手に入れた。


財産も手に入れた。

 

社交界では、 


一躍、時の人となった。

 

 


しかし、

 

プライベートは。。。




 

このころ

 

シャネルは、複数の男性と恋をしている。


 

ロシア亡命貴族

 

ドミトリー大公。


 

詩人

 

ピエール・ルウェルディ。


 

イギリスのウェストミンスター公爵。


 


シャネルは、

 

孤独を癒すため

 

次々と新しい恋をしていた。


 


だが、


そこは、

 

シャネル、

 

恋におぼれることはなかった。


 

新しい恋を、

 

ビジネスへとつなげていった。

 

 

彼女は新しい恋をする度に、

 

新しいインスピレーションを得て、

 

新しいデザインを生み出していった。


 

 

たとえば、

 

ロシア亡命貴族ドミトリー公とのロマンスののちに生まれた、

 

ロシア伝統の刺繍やビーズ飾りを取り入れた、

 

新感覚のロシアン・ルック。


 

また、


ウェストミンスター公爵から頂いた宝石からヒントを得て、


イミテーション(模造宝石)・ジュエリーへの取り組みなどがある。

 

シャネルは新しいヒントを次々と具現化し、


ビジネスとして大きく育てていった。


 


あるとき、


シャネルはイミテーション・ジュエリーの件で、記者から質問を受けた。



 

”シャネルさん。


 あなたの財力からいったら、


 わざわざイミテーション・ジュエリーなどつくる必要はないのでは?”


 本物の宝石を買うことなど わけないでしょ。 ”

 


すると、

 

シャネル。

 

 ” 首のまわりに 小切手をぶら下げるなんてシックじゃないわ ”


 

 

シャネルにとって、


財力を着飾るということは、


 
              ”下品” なことだった。。


 


シャネルのイミテーション・ジュエリーの装いは、フランス女性の手本となっていった。

 

あふれる財力と名声を持つシャネルが、

 

率先して、 


イミテーション・ジュエリーを身につけることで、

 

風になびく 草木のように、人々はこぞって、


シャネルのつくるイミテーション・ジュエリーを身につけていった。


 

 

イミテーション・ジュエリーは、

 

値段も手ごろなことから、


より多くの人々が身につけるようになり、


シャネルのビジネスは、

 

さらに大きく成長していった。

 

 

とうとう、

 

シャネルは

 

偽物さえも

 

流行させてしまった。

 

 


彼女のセンスは、

 

もうだれも止められなかった。


 


ちょうど現在、

 

不景気のなかの日本にあって、


絶好調のユニクロという会社とシャネルの手法がよく似ている。

 

 

手頃で

 

安価な商品を扱いながらも、


テレビCMでは、


超一流の俳優を起用し

 

躍動感あふれる映像を発信する手法だ。

 

 

まさに、


シャネルが、

 

いまから100年前、

 

ユニクロに先駆けて実践した手法だった。

 

 


シャネルは、

 

その後も、

 

リップスティック。

 

ショルダーバックなど、


今でも、

 

定番商品と呼ばれるデザインを次々と生み出していった。


 


シャネルは、

 

事業家、デザイナーとして、成功した。


 


しかし、


はたして

 

彼女は 幸せだったのか。



 


シャネルは晩年、

 

親しい友人に語った言葉が残っている。

 

 


 ”わたしの愛した男たちは、


   なぜ お金に困らない女が、


   働きたがるのかを理解してくれなかった。”


 


そして、もうひとつ。


 

 ”わたしの愛した人は死んだ。


   それからは もう なにも 私の興味をひくものは なくなってしまったわ ”


 


晩年のシャネルは、


成功者となり、


”与えられる側 ”から

 

 ”与える側”の人間となった。

 


しかし、


最期まで、


彼女は、


安心して 

 

よりかかれる大木を見つけることはできなかった。

                                            
 


ひとつ

 

興味深いエピソードがある。
 

フランスのパリ、 

 

コンコルド駅で下車し、


オランジュリー美術館に行くと、


一枚の絵に出合うことが出来る。


 

暗い色づかいで描かれた女性の肖像画になります。

 


その絵のモデルは、

 

ココ・シャネルだとう。

 


そして、

 

その絵を描いた画家は。。。

 

 

マリー・ローランサン。

 

 

 

じつは、

 

ふたりとも同時代を生きた女性になります。

 

そして、

 

ふたりとも

 

大きな成功を手に入れた女性でもあります。


 

じつは、


マリー・ローランサンは、

 

私生児として生まれた。

 


シャネル同様、

 

若い頃のローランサンは、

 

差別、

 

貧困など辛酸を嘗(な)めた。

 


しかし、

 

マリー・ローランサンは、

 

ゴッホなどとは異なり、


時代に認められ

 

売れっ子画家として、

 

成功の階段を勢い良く登って行った。

 


当時、

 

パリの上流階級の間では、

 

ローランサンに肖像画を注文することが

 

ステイタスのひとつだった。

 


 

シャネルも、

 

また

 

当時、

 

上流階級の一人として、

 

ローランサンに自身の肖像画を書いてもらったようだ。


 

ところが。。。


 

出来上がった肖像画をみたシャネルは、




 

絶句。。。

 

 

言葉を失います。。。





 

そして、


 

マリー・ローランサンに、

 


”気に入らない!” といって、


 

肖像画を突き返してしまいます。



 

わたしが、

 

オランジュリー美術館で出会った、


その暗い女性の絵。。。

 

それが、

 

シャネルが突き返した絵だったのです。






 

わたしの知る、

 

マリー・ローランサンの絵とは、

 

元来、

 

パステル調で、

 

メルヘンチックな明るい印象の絵が多いはずなのですが。。。

 


シャネルの自画像にかんしては。。。

 

とにかく。。。暗い。。。

 


シャネルが怒って、

 

突き返す気持ちは、

 

素人の私でも

 

十分に理解できる。

 


しかし、

 

シャネルを

 

知れば。。。知るほど。。。

 

現在、

 

数多く出回っているシャネルの力強い写真よりも、

 

ローランサンの描いたシャネルの肖像画のほうが、

 

はるかに

 

シャネルの魂を

 

みごとに描ききっていると

 

わたしは

 

感じた。

 


 


さすが、


マリー・ローランサン

 

天才は、

 

天才を知る。