カーネル・サンダースの経営する

 

 

”サンダース・カフェ”は、


 

ケンタッキー州コービンという町にあった。


 

このコービンという町、

 

人々からは、

 

恐るべき名前で呼ばれていた。



 

  ” 地獄よりは、少し ましな場所 ”

 


 

コービンは密造酒の製造が盛んに行われており、

 

ギャングたちが堂々と生活していた。


 

毎日、町のいたる所でケンカや銃の撃ち合いが行われており、


警察や裁判所、町の治安組織も裏ではギャングと仲良く手をつないでいる町だった。

 

警察官の中には、裁判所と共謀し、町を通りかかった旅行者から、


スピード違反や不注意運転などをでっちあげては、


旅行者を逮捕し、罰金を巻き上げていた。


逮捕された旅行者は一晩警察署に泊まらされたあと、


次の日、裁判所に出頭させられた。


そこで、支払われる罰金を、


警官と裁判官の二人で山分けしていたのだった。





 

カーネル・サンダースは。。。この時どうしていたのか?

 

ご存じのとおり。。。



 

カーネル・サンダースは、


 

”悪いこと”が大嫌いな人間だった。

 


そして、


”悪いこと”を見て見ぬふりすることも大嫌いな人間だった。



 


カーネル・サンダースは思った。




 


    ”このまま放って置くわけにはいかない!”





 

その言葉を聞いたカーネルの奥さんは必死にカーネルを止めました!


 

”子どもたちの命が危険にさらされるから、


あなた! お願いだから。。。

 

 

や。め。て。く。だ。さ。い!”

 

 

カーネルを、

 

なんとか止めようとしたのだが。。。



 

カーネル・サンダースは、

 

 

”正義をやめる理由は

 

 

  微塵(みじん)もない。” と、断言。



 

妻の説得を拒絶。

 


そして、カーネルは、早速、行動に出る。


 

カーネルは、昔、様々な職業を経験したなかで、

 

弁護士の仕事も少ししたことがあった。


 

さっそくカーネルは、自分の法律知識を生かして、


 

”裁判に負けないための秘訣”を紙に書きだし、

 

毎朝、裁判所へ行き、裁判を待っている旅行者に配った。



 

予想通り、

 

カーネルは、町の実力者たちを、ことごとく激怒させてしまう。

 


ギャングも、

 


行政官も、

 

警察官も、

 

裁判官も、激怒させてしまった。




 

    ”なんなんだ、あいつは!”


 

   

 


ある朝、

 

いつものようにカーネルが、裁判所に行くと、


ニコニコと警察官がカーネルに近寄ってきた。

 

”カーネル、おまえさんに逮捕状が出ているぞ”

 


カーネル

 

”なんの理由ですか?”

 


警察官

 

”無許可で弁護士活動をしている容疑だ。”

 

”牢屋に放り込んでやる!”

 

警官は、カーネルを脅しにかかった。

 

だが、カーネルは警官がそこまでする権利を持っていないことを知っていたので、


かまわず平然と車に乗り走り出した。

 

警官もパトカーに乗ってカーネルの後を追ってきた。


しばらくして、街はずれまで来ると、


警官はカーネルの車を強引に止めた。

 

出てきて警官は言った。


” 逮捕歴がつくとかわいそうだ、今ここで罰金を払えば、

 

  すべてなかったことにしてやる。”


 

警官は、笑顔で、拳銃のあたりを、ゆっくりと なでながらカーネルに話しかけた。

 

 

カーネル

 

”や。れ。る。も。の。な。ら。やってみろ! ”と言い放ち、


警官を振り払い、車に乗り込み、隣町まで避難したのだった。


その日、警官は、あきらめて引き返していった。



 

しかし、

 

カーネルは、あきらめなかった。

 


カーネルは、あきらめるどころか、さらに過激な挑戦に出る。



 

カーネルは、


サンダース・カフェの前に、


たて5メートル、よこ6メートルの大看板を作った。


 

その看板には、

 


”ようこそコービンの町へ!


 コービンに来たら、警官とひったくりには気をつけてください!”と大きく書かれてあった。


 


警官や裁判所の人間が怒ったのは言うまでもない。

 

しかし、

 

ウワサを聞きつけた新聞社が、この看板を新聞に大きく取り上げてしまった。


そのため、


町の権力者たちは、カーネルに強引な手段を使うことができなくなってしまった。

 


町の権力者たちは、


カーネルに看板を下ろすように何度も説得したが、

 

カーネルは、


”コービンの町から不正がなくなるまで看板は下ろさない!”と言い張った。

 


この出来事は、カーネルに副産物をもたらした。


この看板の写真が新聞に掲載されたことにより、

 

アメリカ全土から、


”正義の人”を一目、見に行こう! と、

 

大勢の人々がカーネルの店を訪れ、

 

ますますカーネルのサンダースカフェは大繁盛していった。


 

だが、

 

代償も大きかった。。。



 

カーネルが39年間一緒に苦楽を共にしてきた妻、ジョセフィンとの離婚だった。


ジョセフィンは、


カーネルの

 

  ”まっすぐ ”  に、疲れ果ててしまっていた。




 

カーネルは、

 

妻、ジョセフィンと別れた後も、彼女の面倒をよく見ていた。


 

彼女に家を買ってあげたり、


生活に困らないように毎月、銀行口座に送金し続けていた。


 

またジョセフィンが、カーネルの家やレストランに来ても、


いつでも歓迎し迎え入れていた。

 


以前、


カーネル・サンダースのビジネスの基準を、このブログにも書いたことがあるが、


 

基準は、たった二つ。


 

”人に喜んでもらっているか?”

 

”人の役に立っているか?”  


 


カーネルの、


このビジネスの基準は、


たとえプライベートであっても、揺らぐことはなかった。

 


                                       つづく