現在の哲学で一番の問題といってもよいものに「心身問題」というのがあります。
心と身、心と物の関係についての問題ですが、
心のありかを問う問題といってもよいと思います。

科学は「物」については解らないところがないと言ってよいほど解明されていますし、
「身」についてもかなりのことが解ってきていますが、
「心」との関係はまだまだ解らないことが多いのです。
景色を眺めている人の、脳を開いて観察した事実と、
その人が今ありありと見ている景色の感覚(クオリア)をどう関係付けるか、
この難問には全く答えられていないのです。

人間の感覚器官は身体の外に向いています。
外の景色を眺めたり、音楽を聴いたり、臭いを嗅いだり、
すべて外からの情報を受け止めているものです。
そして「心」では、
美しい景色が見え、楽しい音楽が聴こえ、不快な臭いが感じられているのです。
これがクオリアでそれを自分の心として感じているのですが、
それは外界を観察して得た結果です。


観察することとその結果を無理やり分けると、
その結果がクオリアとなるのですが、本来観察と結果は分けられません。
となると、いかなる方法を取ってみてもクオリアを観察することは不可能だということになります。
景色を見ている人の脳を観察しても、景色のクオリアは見えません。
なぜなら脳を見ているのであり、景色を見ているのではないからです。

それでは心のありかを知るのに、どんな方法があるのでしょうか。
結論は、ほかに確認する方法は、人間には与えられていません。
論理による推理は経験を超えることはできないのです。
 

この記事は2005.08.05.に投稿したものです。