「選挙の投票の前に」補足 銃撃事件への政党の反応でわかること 
「言論封殺」ではないでしょう

(最終更新 2022/7/9 20:42 表題変更と末尾の追記ほか)


 単に前の記事への追記とするには大きい内容だと思ったので、新たな記事を起こしました。
 安倍元総理が亡くなられたことについて、お悔やみを申し上げます。

 短く書きます。
 安倍元総理の狙撃事件について、犯人の動機は特定の団体への恨み(母親がのめり込んで生活がめちゃくちゃになった)ということらしいので(恨みによる殺人事件であり、相手がたまたま元総理で犯人がたまたま元自衛官だったということ)、事件への政党の反応として「暴力に断固反対」なら筋は通りますが、「言論封殺だ(それに準ずる内容も含む)」と言っている政党(NHK政治マガジン2022/7/8「首相・閣僚・各党の反応 安倍晋三 元首相 銃で撃たれる」の記事内容や私がテレビ、ラジオで聞いて記憶するニュース報道で知る限りにおいては、公明、維新、国民、共産、れいわ、NHK党が言っていました。ただし、立民は代表は言っていませんが幹事長が言っていて、自民は森山前国対委員長と大島前衆議院議長が言っています。)はおかしいと思います。そのコメントの時点で、動機に関する情報がどの程度出ていたかにもよりますが、同じ条件でその「決めつけ」をしていない政党もあるわけです。犯人がその団体と安倍元総理の関係について何らかの「決めつけ」をしたように、勝手に「言論封殺」だと「決めつけ」ています(危うい反応だと私は思います。前の記事で書いたように「決めつけ」は破壊を生む可能性があります。)。「言論封殺」やそれに準ずる言葉(ただし「民主主義」という言葉は、事件がたまたま選挙の妨害でもあったので許容することにします)を、少なくとも代表者は(今のところ、私が知っている範囲では)言っていないのが、自民党、立憲民主党、社民党です(追記 ただし、社民党のHPの幹事長の談話には「言論の自由の破壊」への非難や「言論封殺」を許さないの記述がありました)。この3党以外は認識を歪め「煽る」可能性のある危うい政党ではないのかと思います(普段の印象と一致します。ただし、後述も考えると自民党を「言わなかったほう」に含めるのはややフェアではないかもしれません。)。
 

 追記1 「こんな人たち」とか「古い政治」とか、レッテル貼りは「決めつけ(責任転嫁)」の一つです。このレッテル貼りで「悪」と名指しされたほうは、風評により自由を奪われます。そして、自由を奪われた存在を見ると、「もっと奪ってやれ」という(快楽に似た)心理が働いてしまう場合があります。戦場で残虐行為が起こるのはこれと全く同じ原理だろうと思いますし、誹謗中傷や炎上による特定の人への攻撃が一気に拡大するのもこのためでしょう(そういうものが起こりやすい日本の社会で、そういうきっかけを作ってはいけないと思います)。また、レッテルを信じてしまう人に「あいつは悪」という感情を植えつけることで、理性を喪失させます(扇動です)。そのような状態は民主主義の前提から外れます(自己喪失では主権者にはなり得ないからです。また、これは民主主義では「(相互の)個人の尊重」がまず必須とされる理由でもあります。自分勝手のことが個人主義と勘違いされやすいと思いますが、おそらく本来は「相互の個人の尊重」なのだろうと思います。)。「熱狂」も強烈な依存心で自己喪失を導くので、民主主義にはなり得ません。たとえ熱狂で独裁者を倒しても、そういう国では結局同じことを繰り返しているでしょう。何が言いたいかというと、レッテル貼り、「決めつけ」をしている政党こそ民主主義の破壊者ではないかということです。いずれにせよ「決めつけ(責任転嫁)」は破壊を導き、今回の事件もまさに犯人の「決めつけ」が起こしたものでしょう。

 追記2 「決めつけ(責任転嫁)」をしてしまう根源は何かと言えば、自由主義資本主義と同じで、(自分の自由が奪われるという)不安や恐怖があり、その苦しみから一刻も早く逃れたいと思い、すがるように誰かに責任転嫁して責任を逃れ(安直に)楽になろうということ、その相手の自由を奪い自分のものにするということです。戦争も同じです。しかし、責任転嫁という「逃げ」では根本的な問題は解決せず、他者の自由を奪い続けることになります。今回の犯人は特定の宗教により家族の自由が奪われ、自分の自由も奪われ、それを奪い返す道が見つからないために、恨み(許さない)という感情となり、他者の自由を奪う気持ちに抑制が効かなくなったのでしょう。その末に、標的を安倍元総理とする「決めつけ」が生じたのだろうと思います。

 一方、今回の事件で、自民党へは同情票、追悼票が積み上がる可能性があり、他の政党は「票を奪われる」不安を感じたために、事件を「言論封殺だ」と「決めつけ」て不安の全責任をそこに押し付ける主張をすることで、これに対抗して自分たちの政党の主張をこれまでよりも強める自由(口実)を得るということになります。しかし、各党の政策と今回の事件は無関係であり、国政の諸問題が解決に向かうこととも無関係です。そして、事件の本当の背景が無視されると、カルト宗教の問題も放置されることになります。

 

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