福祉と社会保障の違い

 前の記事で福祉と社会保障の違いについて触れましたが、この部分を一つのトピックとして、この記事にしました。

 

 福祉と社会保障は同じような意味で使われがちだと思いますが、少し考えてみると本質的な違いが見えてきました。
 
関連部分だけ若干修正し再掲しておきます(Wikipediaからの引用部分を除く) 
 

 福祉(Welfare)は「幸福」を意味し、社会的「援助」であり(全ての市民に最低限の幸福と社会的援助を提供するという理念)、政府や自治体が行うものに限定されません。一方、社会保障(Social security schemes)は政府や自治体が国民の個人的リスク(生活上の諸問題)に対して(分野ごとの保険料や税・国債を財源として)「守る」という意味となります。社会保障には「幸福」という意味合いは出てきません。リスクへの対応ですから教育も入っていません。おそらく、社会保障は自由主義資本主義の考え方であり、資本主義の私的独占や搾取という要素が「幸福」とは結びつかないからだろうと私は想像します。「奪われる」という不安、恐怖が自由主義資本主義の起源である(と私は考えます)ことから、「(奪われる)リスクへの対応」という考え方になるのだとすれば理解しやすいです(加齢や病気などにより「自由を奪われる」個人的なリスクということですが、政府が行うことから「暴動が起こらない程度に」治安の安定のためと考えたほうが正確なのかもしれません。)。「社会保障」が義務的で防衛的なものであるのに対して、「福祉」は幸福追求のためであるということは、何か根本的な違いを生みそうです(先ほどの、募金の感覚と消費税が「広く集める」でつながったのは「幸福追求」ゆえなのかもしれませんし、そもそも民主主義の根付いた北欧諸国では、社会や自由や責任の「共有」が成り立っているのもあるでしょう。幸福追求は民主主義とも関連しそうです。)。


 福祉は幸福追求であり、幸福が基準になっているということは、人々の個人の意思の尊重が含まれるに違いないと考えます。つまり、福祉は社会民主主義(=民主主義)の概念とも言えるでしょう。北欧では消費税の使途が「福祉」とされ、その中に教育も含まれるようです。
 「福祉」の考え方により、消費税に「善意による募金」という感覚を生じた時、広く集める消費税として意味がつながり、真の意味で消費税が目的税化するのではないかと私は思いました。

 日本では、憲法には現状として民主主義が書かれていますが(「公共の福祉」という考え方も入っています)、それに対して大多数の国民は自由主義的(全体主義志向)で(前の記事参照)、それを反映し政府も自由主義であり、今の日本では「福祉」の実現が難しいように思います。「最低限の幸福(福祉)」と「生活上の諸問題に対する政府による保障(社会保障)」は、具体的には重なる部分もあるのでしょうが、やはり「幸福」という価値観の有無の違いは大きいように思います(個人の意思を尊重されるか否かということでもあります)。
 戦争を経て、まだ自由主義化が著しくなかった時代にできた日本の健康保険制度は「福祉」に近いものでしょう。本当に貴重だと思います。

 

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↓以前の記事からの再掲(追記)