消費税率上げても下げても格差拡大 ベーシックインカムでも格差拡大

(目次)
1 消費税率を上げても下げても格差は拡大(自由主義の危うさについて) 
2 ベーシックインカムほか(日本維新の会の政策の危うさについて)
3 投票率が問題なのではない


1 消費税率を上げても下げても格差は拡大(自由主義の危うさについて)

 参院選が始まり、物価高への対応として各政党が軒並み減税を訴えているようです。
 しかし、よく考えてみてください。自由主義的な国民性(後述)で、かつ資本主義経済下では、消費税率を上げても下げても廃止しても、一律型の税自体には格差を緩和する機能がないため、それだけでは格差は拡大します(後述する一律型の給付であるベーシックインカムも同じ)。富裕層は消費額が多い可能性があるから間接的にそこから多く徴収でき、低所得者を助けるような再分配ができると果たして言えるのか(そもそも所得や資産に比例して消費するのか。消費税と再配分の関係は。)。富裕層の消費の話は置いておきます。一応、消費税は導入後に使途を社会保障とするよう目的税化しましたが(導入時は目的税ではなかった)、実感がわきません(なお、税率1%分の地方消費税収である約2割は社会保障財源の対象外)。そもそも社会保障4経費(年金、医療、介護、子育て)に対し消費税収では足りていない(4割程度しか充足できていない)とされます※1。このように社会保障への充填すら覚束ない現状ですし、若い低所得者層への支援はメニューにすらありません。格差緩和の働きが付随していない以上、やはり、消費税率を下げても、多少上げても一律の税自体は資本主義を邪魔しないため格差拡大は止まらないわけです。下げた場合、少なくとも社会保障の財源が減ることになります。消費税というもの単独では単に消費行為に対する一種のペナルティーという感覚しかありません。
 所得税の場合は、社会というものがあって所得を得て、その社会の運営に対する協力金という意味合いが見出せますが、消費税の場合は使途が明確にされない限り単に消費という行為全般へのペナルティーという意味しか見えてきません。使途は明確化されたわけでしたが、今一つピンとこないのは、若い人全般に直結した使途ではないからかもしれませんし(広く全般から徴収し、使途は全般でも低所得層でもない)、また、消費という行為との関連がイメージしにくいからではないかと思います。例えば道路交通法違反の反則金は一度国庫へ行き交通安全対策の交付金として各都道府県に配分されますから、これは意味がよく通りますが、消費税と社会保障にそういうつながりは見えません。高福祉高負担の北欧諸国の場合、非常に高い消費税率ですが、食料品では半分ほどの率、そして使途は教育や医療など「福祉のため」となっており、日本と違って行政の透明性が高く(自由主義の日本と違い、国民性を含めて社会民主主義の国です)、しかも教育という国の未来への投資も入っていて、これならペナルティーと言うよりも募金に応ずるように自然と協力する感覚になるのだろうと想像します(もしそうなら「広く募る」募金の要素と消費税の意味がつながるわけです。つながらない日本と大きく違います。)。日本の使途の社会保障4経費の中にも子育て支援がありますが、支出としては4つのうちで最も少ないです。一つ重要な点は、福祉(welfare)と社会保障(social security)では意味が違うということです。無頓着に同じ意味のように使われてしまっていると思います(それだけでも問題を見えなくしている)。Wikipedia「福祉」※2には、

「福祉(ふくし、英: Welfare)は、「しあわせ」や「ゆたかさ」を意味する言葉であり、すべての市民に最低限の幸福と社会的援助を提供するという理念を表す。」

 とあります。同じくWikipedia「社会保障」※3には、

「社会保障(しゃかいほしょう、英: Social security schemes)は、個人的リスクである生活上の諸問題(病気・けが・障害、出産、老化、死亡、失業など)について、国家・地方自治体が各分野ごとに徴収した保険料による支え合いを基本とし、不足分を税金・借金(国債費)などを充当・所得移転させることによって、上記の諸問題から国民を保障し、医療や介護などの社会的サービス(Social benefits)を給付すること。社会保障制度(Social security system)は社会保障のための制度を指す。」

 とあります。つまり、福祉は「幸福」を意味し、社会的「援助」であり、政府や自治体が行うものに限定されません。一方、社会保障は政府や自治体が国民の個人的リスクに対して「守る」という意味となります。社会保障には「幸福」という意味合いは出てきません。リスクへの対応ですから教育も入っていません。おそらく、社会保障は自由主義資本主義の考え方であり、資本主義の私的独占や搾取という要素が「幸福」とは結びつかないからだろうと私は想像します。「奪われる」という不安、恐怖が自由主義資本主義の起源である(と私は考えます)ことから、「(奪われる)リスクへの対応」という考え方になるのだとすれば理解しやすいです(加齢や病気などにより「自由を奪われる」個人的なリスクということです。追記 しかし、政府が行うことから、「暴動が起こらない程度に」治安の安定のためと考えたほうが正確かもしれません。)。「社会保障」が義務的で防衛的なものであるのに対して、「福祉」は幸福追求のためであるということは、何か根本的な違いを生みそうです(先ほどの、募金の感覚と消費税が「広く集める」でつながったのは「幸福追求」ゆえなのかもしれませんし、そもそも民主主義の根付いた北欧諸国では、社会や自由や責任の「共有」が成り立っているのもあるでしょう。幸福追求は民主主義とも関連しそうです。)。

 話を戻しますが、重要なことは「減税」自体ではなく、格差を緩和する税制の強化と施策をどうするかです。これまで上がってきた消費税率を下げる場合は、格差を緩和する税制や施策を代わりに強化し税収を増やさなければ、「一律であること(=資本主義を阻害しない)」と「(消費拡大による相殺分を加味したとしても減税で)政府の税収、財政規模は縮小する(=小さな政府化)」により、自由主義は一層強まり格差はより一層拡大します。「小さな政府化」という放任により近づくことで自由主義資本主義が強化され格差が一層拡大するわけです。
 消費税減税だけでなく別の税制や施策がセットで必須なのですから、そういう話を合わせて出している政党が正しく、出していなければインチキです。近年流行った「現代貨幣理論」、過度なインフレにならない限りいくらでも財政赤字を拡大してもいいという考えでは、インフレが始まっている現在、対応しにくいのではないかという気がします。このインフレは、不作、戦争、米国のインフレ対策の煽りを受けたコストプッシュ型のインフレであり、外側に原因があって、時を待てば解消するのか否かも不明、通貨の信用収縮ではないのだからいいと言い切れるのかどうかも不明。財政出動がいくらでもできるのではないとすると、減税による財政規模縮小は自由主義の強化になります。
 なお、消費税を増税する場合は、消費抑制(=デフレ化)により、物より相対的にお金の価値は高まります(ますますお金を使わなくなる悪循環に)。(消費の減少による相殺分を加味しても)増税による増収効果で短期的には政府の財政規模は拡大しますが、経済自体は縮小するため、結果的に(長期的には)税収も減り国民も貧困化します。そして、もし消費税増税と同時に所得税などの累進性を緩和していれば、さらに格差緩和機能が弱まり資本主義の強化となるため格差はより一層拡大します。消費税増税は増税なのだから「大きな政府」の方向だと言う人がありますが、何度も言うように消費税自体に格差を緩和する働きは一切なく、むしろ一律ゆえに資本主義を邪魔せず格差を拡大させるため、高福祉高負担の「高福祉」がなければ、一般的に言われる「大きな政府」にはなりません(一律に消費から徴収する意味は「消費の抑制」でしかない)。また、前述の所得税の累進性緩和だけでなく、規制緩和という自由主義政策によりさらなる資本主義の強化も同時に行われれば、搾取の強化や新たな独占が生まれ、格差はより一層拡大し、消費税増税の消費抑制のデフレによる貧困化も同時進行します。消費税増税の負担感が貧困を招くのではなく、デフレ化が貧困化を招くという点に注意が必要です。
 消費税は増税しても減税しても廃止しても、基本的にそれだけでは自由主義資本主義の推進となり格差は拡大します。

 「必要な人へのピンポイントの支援」を実現するには、デジタル化による所得、資産の把握が必要という話がありますが。北欧のように民主主義の政府がするのなら信用もあると思うのですが、日本のような自由主義の政権が行うデジタル化は抑圧に使われたり(後述のとおり自由主義と全体主義は連続している)、あるいは自由主義の無責任さ(後述)では情報管理の安全性が確保されないのではないかという話になりなります(マイナンバーカードがなかなか普及しない本当の理由でしょう。政府への信用が薄いという話です。)。コロナ対策の接触通知アプリの不具合の放置などにその無責任さが現れています。
 富裕層への課税強化、法人税の課税強化で、お金持ちや優良企業が国外流出する、あるいは国際競争力が低下するという話があります。しかし、徹底した「小さな政府」で何でも自己責任と言って放任していたら、社会は荒廃する一方です。荒廃した社会では結局のところは、競争力も低下するし、富裕層や企業にとってもその社会に属する魅力も下がるでしょう。単純に課税の部分だけで他国と比較するのでなく、社会運営とのバランスを見た上での課税が必要なはずです。

(自由主義的国民性について) 
 自由主義資本主義の根本は、「奪われる」不安や恐怖から、私的所有という排他的独占支配が基礎になっていて、自由主義の本分は「自分第一、不寛容に(決めつけ、責任転嫁、無責任、潔癖、相手の自由を許さないことにより)他者から自由を奪い独占し支配する」こと、つまり「破壊的な自由」です。相手の弱さを確かめることで、より一層略奪を行おうとする心理が働き、略奪は加速度的に拡大します。「小さな政府」による市場原理への放任的なあり方は、自由な略奪を保障する(自由主義資本主義における利益の独占者に資する)ことにほかなりません。規制緩和とは既存の秩序の破壊であり、戦争と同質で、搾取の強化、新たな独占を招くだけとなり(つまり争奪だけで発明などイノベーションがないため)成長はありません。緊縮財政は「決めつけ」による削減や課税で「小さな政府化」となり、自由主義資本主義における利益の独占者に資するだけとなります。かつてトリクルダウンという言葉がまことしやかに語られていたことが信じられませんが、自由主義の争奪では、例えばサバンナで餌食になった動物がハゲタカとハイエナによってあっという間に骨だけになるように、トリクルダウンなどありえません。ハイエナの社会には非常に激しい競争と上下関係があるそうで、まさしく自由主義的です。自由主義の争奪を活況と勘違いするため、「成長」だと言われて騙されるわけですが、規制緩和による争奪では成長はありません。
 また、「強きを助け弱きを挫く」状態、自己を放棄、つまり責任放棄し責任転嫁しながら、熱狂という強い依存心などにより自発的に家畜化し、全体主義という「国家が強烈な自由主義を発揮する状態」も導きます。自由主義と全体主義の連続性は、自由主義における破壊的な自由によって「平和的な自由」の破壊が加速度的に急速に拡大すると、「マイナスの平和的自由」という状態を招くと仮定することで理解できます。「マイナスの平和的自由」とは、他者から強制された選択肢しかなく(=マイナスの自由。ちなみに通常の「プラスの自由」とは自己の意思で決定可能、実行可能な選択肢の多様さや大きさと考えます。)、それを抵抗なく受容する状態(平和的)で、全体主義の特徴と一致します。つまり自由主義の延長に全体主義(超自由主義)があり、ロシアや中国は自由主義だと言えます。
 なお、民主主義は後述するように共存が第一となるため、破壊的自由を行使したい人々を完全に排除し尽くすことはできず(強い破壊的自由に対抗せざるを得ない場合は、専守防衛として一定の破壊的自由の行使も必要となる)、超自由主義(全体主義)と対称である超民主主義のようなものは存在し得ず(「マイナスの破壊的自由」を強制への抵抗の状態だとすると、自己の意思による抵抗つまり「プラスの破壊的自由」が含まれてしまい自己矛盾を生じます)、その過剰さや極端さは自由主義に属し、共産主義はそのような架空の極端な理想社会を志向するものであるため、全体主義(超自由主義)と同じになります。そもそも、共産主義の「潔癖さ、不寛容さ」は自由主義の特徴です。共産主義は社会主義などではなく、明らかに自由主義資本主義で、超自由主義である全体主義となります。自由主義どうしの争い(米中とか米ロとか)は見てのとおりで、責任のなすりつけ合い(責任転嫁)、不毛な覇権争い、戦争ということになります。鏡像認知できないかの如く、相手に対する指摘(レッテル貼り、決めつけ)はそのまま自分たちの姿になっています。こうして自己認識ができないため、「反省」などは一切なく無責任で、同じ過ち(戦争)を何度でも繰り返します。日本の選挙も自由主義どうしの争いになり、不毛な権力闘争を招きます。
 人類の歴史で、この自由主義の遺伝的な担い手は中東で生まれたY染色体ハプログループKの系統の子系統の人々だと私は考えます(何らかの変異により、強い不安感受性を生じたのでは)。イギリスや南欧の一部、東欧、ロシア、中国朝鮮、アメリカ大陸の先住民(近世ヨーロッパ人が植民地化した当時の)などに非常に多い人々です(R1a,R1b,N,O,Qの系統)。農耕を発明し(中国の稲作、中東のライ麦栽培)それを支配の拡大に利用、大航海時代を先導し世界に略奪を拡大、産業革命により資本主義を爆発的に進展させ略奪と支配を拡大しました。短期的には自由主義はイノベーションを生まず、長期的にはこのような大きなイノベーションを生み出したわけですが、重要な点は「自己の支配拡大のため」であるということです(つまり、略奪が拡大し人々を家畜化するために利用される。これを「成長」と呼ぶのか否か。)。日本へは弥生時代以降の「渡来人」として支配を拡大し、一般住民への混血も進んで、日本人の多くは自由主義的(全体主義志向)であり、もはや国民性です(特に近畿四国地方の人々は全ゲノムの一塩基多型の多変量解析から北京の漢民族と近い傾向があるとされます※4)。顕著な同調圧力、バブルを起こした拝金主義、潔癖、不寛容、過剰サービス、全体主義を成す自発的な家畜化(対米追従もその一つ)などは自由主義の現れです。桓武平氏や源氏の残虐な権力闘争はおそらく渡来人の血筋の影響でしょうし、国学や水戸学の国粋主義を基礎として明治以降の全体主義、軍国主義が成立しています。

 自由主義の程度は、中国やロシアは単一の政治勢力しか許容しない超自由主義であり、米英は2つ程度の政治勢力を許容する自由主義、日本は2大政治勢力を許容しない強めの自由主義です。これは遺伝的な構成による国民性が反映されたものであり、制度の問題ではない(制度も国民性によって選択されている)ということです。
 一方、民主主義とは、例えば「国民主権」の意味を解釈していけば、まず「国民、人々」という人の集団が存在することが前提となります。つまり、相互に個人を尊重し合う人々の「共存」が第一です。なぜ「相互に個人を尊重」が必要かと言えば、個人の否定は全体主義となり、自己を喪失し、当然に主権を失うからです。「主権」については、「個人の尊重」に加え、さらに社会や自由や責任を「共有」する状態を必要とします(「共有」の感覚に必要なものは、いくらかの意思の反映)。誰かが「独占」すれば他の人々の権利が失われるからです(自由は有限だから)。各人が無制限の自由を求めれば前提である「共存」が失われるため、「自由は有限(もともと、時間、空間、エネルギーなど物理的にも既に有限で、社会の成立のためにはさらに限定される)」であり、だからこそ何らかの方法で「共有」する必要があります。小選挙区制は「決めつけ」により即席で誰かに自由を独占させる方法であり、民主主義の「共有」のための方法ではなく、明らかに自由主義の道具となります。戦争とは激しい自由の独占であり、対戦国のみならず他の国々の自由も減少します(資源逼迫、インフレ、どちらの側につくかの選択)。独占の側には軍需産業もあるでしょう。民主主義は共存が前提のため、「共有」とは矛盾するはずの自由主義を排除し尽くすことはなく、いくらかの自由主義を含み、絶妙な「中庸」の領域にあります。最も端的な例は、侵略戦争という自由主義は否定しますが、専守防衛のための武力は否定しないということでしょう。これに対して(純粋な)自由主義は「過剰」や「極端」を成します。民主主義に近いのは社会民主主義であり、これも遺伝的な国民性と関係があります(Y染色体ハプログループI1の系統の人々)。
 自民党の2012年の憲法草案には、「個人の尊重」の「個」を削除し、「公共の福祉」を「公益、公の秩序」に変えるという部分がありました。これらは明らかに全体主義です(自民党は自由主義の政党であり、自由主義が全体主義と連続していることがここにもよく現れています)。「公益」という言葉で巧みに善意を自発的な家畜化に振り替えて、国民の家畜化を促すわけです。「福祉」が消えるということは「幸福の追求」は無くなるわけです。

 



2 ベーシックインカムほか(日本維新の会の政策の危うさについて)

 明らかな自由主義(新自由主義)の政党はほかに大阪にもあります。日本維新の会です。党の政策を見れば、国民や国を丸裸にし、フラットにし、内閣主導の強化(省庁も自由に改変)ですから、要するに独裁国家を志向していることがありありとわかります(公務員への能力主義導入も、自民党の官邸による支配と同じ「忖度」の導入です)。そして、規制緩和を成長戦略だと言っています(前述のとおり規制緩和では成長はなく、争奪を活況だと勘違いさせるだけです)。
 昨年の「政策提言 維新八策2021」には驚きの記述もありました。いくつか挙げます。
 情報公開透明性として、マイナンバーの「フル活用」、マイナンバーとすべての銀行口座の紐づけの義務化を掲げていたことです。普通、透明性と言えば行政の透明性を言うと思いますが、全く逆で、国民に情報を差し出しせと命令することだとしています(北欧のように政府への信頼に対して情報を提供するという感覚ではなく、独裁政治による強制です。強制によってモラルは破壊されるため、不正が横行するでしょう。)。
 ベーシックインカムの一律さは冒頭で書いたように資本主義を邪魔せず格差を拡大します。そして、国民を家畜化し全体主義化します。
 税をフラットにするという記述もあり、累進性は弱まるため(富裕層がより有利に)、フラット=「公平」という言葉で惑わせて、実は格差が非常に拡大します。
 「ジョブ型」雇用の記述もありましたが、前述のように「恐怖心が無責任を生む」自由主義的な日本人の気質を考えると、不安定な雇用環境になれば不安から無責任を生じ、発揮される仕事の質が低下して、社会全体として生産性は下がるでしょう。派遣労働の状況にそれがよく現れています。しかも、企業側が都合よく制度を使って、ますます雇用環境が不安定になるため、仕事の成果の質の低下から生産性低下の悪循環がますます深まります。「ジョブ型」雇用には、不安定な雇用環境を打ち消すもの(次の受け入れ先の見つかりやすさなど)が必要ですが、日本のように年齢などの採用条件が厳然と残る社会では弊害だけとなり、国として生産性が下がります。
 「誹謗中傷の抑止」も掲げていましたが、以前の記事にも書いたとおり、先般の国会で通った侮辱罪の厳罰化は誹謗中傷対策の名を借りた言論統制になります。誹謗中傷には相手の何らかの要素に言いがかりをつける部分があるはずで、名誉毀損罪に近いはずなのですが、侮辱罪にはそのような条件はつかず拡大解釈がしやすいからです。誹謗中傷を盛んに行ってきたこの政党が侮辱罪の厳罰化に賛成している時点でもう既に怪しいということになります。

 ベーシックインカムについては、一見すると格差を緩和する印象を与えますが、なぜ新自由主義の政党がそういう主張をするのかを考えれば「福祉」とは違うものだと想像できます。「生かさず殺さず」で支配し、搾取するためのものでしょう(家畜化と同じです。搾取は資本主義の基本です。)。幸福にはならないです。中国が途上国に投資し、自由を奪い支配するのと同じです。もしくは、中国において当局に反抗さえしなければ見かけの平等があるために、自由を奪われていることにも、国家そのものがポピュリズムや示威行為を行い少数民族を弾圧していることにも気づけない状態と同じです。そして、前述のとおりその一律さは資本主義を阻害せず格差を拡大させます。
 教育無償化も同様に、北欧で行われている「幸福」な政策の印象がありますが、やはり、なぜ新自由主義の政党がこれを掲げるのかを考えなくてはいけません。そうすれば「支配」のためではないかという疑いが生じます。要するに教育に介入し、若者を洗脳して将来にわたり社会を支配する(愛国教育のように、あるいは公務員への能力主義導入と同様に忖度の推進)ということです。

 日本維新の会の政策はどれをとっても、一見するとバラ色に見せた実は超ブラックな政策としか私には考えられません。上記の疑念が払拭されずこのままでは、私はこの政党だけはどうしても容認することができないということになります。
 
 新自由主義によって幸福になれるのか、成長できるのか。一例としては、大阪でのパンデミックに対する脆弱さに新自由主義の姿が現れていたのではないかと思います。超自由主義(全体主義)である中国のパンデミックへの対応はどうであったのか。忘れていけないのは新型コロナは中国から拡散したということです。ゼロコロナという潔癖、不寛容(つまり自由主義)で成功したといいますが、拡散させた責任は全く感じていないようであり、また、ロックダウンの激しさにより奪われた自由はどうであったのか。


3 投票率が問題なのではない

 投票率の低さは一般的に問題視されます。民主主義における非常に重要で根本的な権利行使であると。行使しない権利は失われると。しかし、いくらか意思を反映させることができて初めて、社会や自由や責任を「共有」する民主主義となるわけで、まず、小選挙区制あるいは参院選の1人区では、人によって意思の反映感が非常に乏しい(無い)ということが生じます。そして、民主主義の前提は、前述のとおり「相互に個人を尊重」した状態での人々の「共存」であり、煽りたてる情報の氾濫(扇動)などによって「自己の判断力を喪失した(他者に操作されている)」人々は、民主主義の前提からは外れているため、そのような状態で投票に参加しても民主主義とはならないという点があります。
 若者の中には、投票に参加しない理由として、「まだ判断力がない」という人もあるようで、その謙虚さは私は正しいと思いますし、尊重すべきだと思います。
 何でもいいから投票に参加すれば良い、それが民主主義だ、というのは違うと思います。それは衆愚政治ともつながり、自由主義勢力による支配(大衆の心理を操作し選挙で勝つこと)とつながっているようでなりません。
 

※1:財務省「消費税の使途に関する資料」
https://www.mof.go.jp/tax_policy/summary/consumption/d05.htm
※2:「福祉」フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/6/23  14:54 UTC 版)https://ja.wikipedia.org
※3:「社会保障」フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/4/8  22:11 UTC 版)https://ja.wikipedia.org
※4:東京大学大学院理学系研究科理学部サイトから2020/10/14「都道府県レベルでみた日本人の遺伝的集団構造~縄文人と渡来人の混血がもたらした本土日本人内の遺伝的異質性~」https://www.s.u-tokyo.ac.jp/ja/press/2020/7056/