愛国心と拝金主義は実は同類 資源逼迫で全体主義有利を企てるロシア



 5月27日と27日深夜にNHK総合で過去(2009年)のNHKスペシャルからロシア(プーチン)関連の4番組が放送された。
 

①NHKスペシャル「プーチンのリスト~強まる国家資本主義~」
[総合] 2022年05月28日 午前1:55 ~ 午前2:43 (48分)
プーチン大統領の思考の深層に迫る「揺れる大国・プーチンのロシア」(2009年放送)全4回を一挙アンコール放送。第1回は新興財閥・オリガルヒのし烈な闘争に密着
②NHKスペシャル「失われし人々の祈り~膨張するロシア正教~」
[総合] 2022年05月28日 午前2:43 ~ 午前3:34 (51分)
プーチン大統領の思考の深層に迫る「揺れる大国・プーチンのロシア」(2009年放送)全4回を一挙アンコール放送。人びとが救いを求めるロシア正教と政権の蜜月を描く
③NHKスペシャル「離反か 従属か~グルジアの苦悩~」
[総合] 2022年05月29日 午前2:32 ~ 午前3:21 (49分)
プーチン大統領の思考の深層に迫る「揺れる大国・プーチンのロシア」全4回(2009年放送)を一挙アンコール放送 ※グルジア:現在の国名表記は「ジョージア」です
④NHKスペシャル「プーチンの子どもたち~復活する“軍事大国”~」
[総合] 2022年05月29日 午前3:21 ~ 午前4:10 (49分)
プーチン大統領の思考の深層に迫る「揺れる大国・プーチンのロシア」(2009年放送)全4回をアンコール放送。軍人をめざす10代の若者たちの実態と政権の狙いを描く

 
(各内容メモ)
 国家資本主義について(番組①) プーチンのリストに入るため奔走し各国の指導者に営業をかけるオリガルヒに密着。国家の支援を受ければ築き上げてきたものを失うかもしれない危うさ、支援と引き換えに基幹産業を掌握していくプーチン(当時首相)。1人のオリガルヒが言った「ロシアの歴史を知るものは決して国家にたてつきません。ビジネスを始めて以来私もそうしてきました。国家と同じ方向を向き政府とともに歩むしかないのです。これまでも。そしてこれからも。」という言葉が非常に象徴的であり印象的。完全に全体主義の状態で、それは昔から同じということ、そしてこれは国民性ということ。
 ロシア正教について(番組②) ソ連時代は医療が無料など生活の最低限の保障があったが、ソ連崩壊でそれがなくなった。苛烈な市場経済で急にお金を得て理性を失い転落した者、貧富の格差の拡大で増えた困窮者を紹介。一方、伝統的にあったロシア正教がソ連時代は無神論という国是により弾圧破壊されていて、ソ連崩壊後に再生が進み、政治との距離を縮める一方、弱者の拠り所になりつつもある。
 番組③は略
 愛国心教育について(番組④) 軍事大国復活のため子供たちを軍人に育てる学校(カデット)を取材。プーチンは愛国心を最重視。帝政ロシア時代に活躍しソ連時代には避けられた勇猛で国家に人生の全てを捧げる高い忠誠心のコサックの精神を復活させ、精鋭の軍隊を作ろうとしている。愛国心がもたらした負の面、中央アジア系労働者への若者(ロシア人以外の排除を訴える自称愛国主義者)による暴力事件なども紹介。インターネットで軍の負の側面を知り、軍の仕事への意欲を失ったカデットの生徒も紹介(母親は経済状況を踏まえ軍の仕事を希望)。卒業で生涯に渡る忠誠を誓う生徒と対比。愛国心を植え付け軍国化、ジョージア侵攻勝利に対する国民の熱狂(アメリカや欧州への対峙を支持)→かつての日本の軍国主義と全く同質(私の印象)。「国土を自分たちの手で守る」意識(正当化のプロパガンダ)、旧ソビエトの領域はロシアの権益圏という意識、軍事大国化によりアメリカと対等になり、さらには越えるという意識がある(強国化路線)。

(分析)
 ソ連時代と一見全く違うようでも、全く変わっていないのは国家が右と言えば右になる極めて不寛容(自分に対しても)な全体主義(自由主義の極み)の国民性。「国民性」と言ったのは、国家の指導者のせいにする(象徴的なのは、革命などで体制がひっくりかえると前の指導者の像が引き倒されること)、国家の指導者にすがる、このような両極端な無責任さは典型的な自由主義的国民性(利己的で自由を「奪う」あり方)と言える。以前の記事に書いたように、私が考える自由主義とは強い不安を起点として責任転嫁などにより他者の自由を奪い、利己的に責任を放棄し、それがさらなる破壊的状況を生み出してしまうようなあり方、不寛容=自由主義(短期的局面)は不安を起点として過剰つまり両極端を招き、また同様に不安を起点として同調圧力を伴うため、責任転嫁や強い依存心という無責任が全体主義に向かう。

 強烈な愛国心は一見すると強い責任感や自国への愛着のように見えても、自己の全てを国家に捧げるということは自己(個人)を放棄する(我を失う)のと同じとなり(自分を国家に同化させるとも言える)、その結果、「個人」に付随する人としての理性や生得的普遍的モラル(憐れみや自制心)を失う(一種の狂信)。だから、残虐非道ができるようになる。信奉対象以外や自己への極端な無責任を生み、自分を破壊してもいい、後先考えないという考えを生む。つまり愛国心は極めて利己的で無責任で自由主義的である。
 全体主義には必ずと言っていいほど愛国心が「利用」され、自分たちの民族の優越性や自分たちの民族が他民族を支配するという意識を伴う(「愛国心」はそのような状況に誘導し全体主義を成立させる道具になっている)。そして熱狂が伴う。熱狂は我を失った状態(理性も生得的普遍的モラルもない)で、崇拝対象に全てを委ねる強烈な「依存心」の結果でもある。依存からは責任感は生まれない。愛国の対象である国家とは何か、支配層が作り出した虚像を崇拝してはいないか、そういう疑念を封殺していまい安易に支持する(虚像に支配され自由を奪われた状態)・・それが無責任をもたらす。愛国心と拝金主義は時に対照的と思われがちだが、虚構への過度な信奉(虚構に支配されている)という点で何ら変わらない。その証拠に共に理性の欠如、生得的普遍的モラルの欠如を招く。資本主義が(本当に幸福に寄与しているのかという)真偽不明性も利用しながら(「真偽不明」は2020米大統領選挙のように破壊的な自由につながる)巧みに搾取(自由を奪い独占する)するシステムであるように、全体主義も愛国心を利用し巧みに人々の(心の)自由を国家に(自発的に)差し出させ奪い独占するシステムである。愛国心は偏狭さ不寛容を生む、つまり心の自由を奪っている。「不寛容=自由主義(短期的局面)」なので、愛国心が見下す拝金主義と愛国心は実はともに自由主義で同質である。
 強要・強制・命令というもの自体には、自己を放棄させる要素があり、理性や生得的普遍的モラル(憐れみや自制心)を失うため、軍隊では規律の乱れ、軍事行動以外の略奪・暴行を必ず生ずる。心の自由については、前回の記事をお読みいただきたい。
 かつてのソ連時代の象徴、マルクス主義=共産主義は、存在し得ない理想社会の追求が、潔癖つまり不寛容なので、それは自由主義であった。また、生産手段の「社会化」という誤魔化しにより、「共有」ではなく、事実上は中央政府の自由の「独占」で、「支配」であり、社会主義でもなかった(言っていることとやっていることが逆)。ソ連時代の生活保障は果たして本来の社会主義における「共有」だったのか、それとも資本主義での労働者に対するのと同じ「生かさず殺さず」だったのか、そのような真偽不明性がある(真偽不明は分断を招き破壊的自由=自由主義に寄与する)。民主主義がないのだから「共有」というのはあり得ない(普通はいくらか意思が反映されないと自分が「共有者」だという感覚は生じない)、とすれば資本主義(国家権力による「私的な」独占)であったということ。つまり、ソ連時代も国家資本主義であった。何も変わっていない。
 国民性というのは、基本的に遺伝的に近縁な人々の集団から生ずるもの(いくら多民族国家と言っても、ロシア人は、Y染色体ハプログループにおいてKの系統であるNやR1aの系統が大多数。Kの系統から利己的で自由を奪う動物的な自由主義的性質が始まったと私は考える。)ということから考えても、また、仮に利他的行動をする変異をある個体で生じたとしても、生き残りにくい環境なら、この性質は基本的には「変わらない」と言える。つまり、ロシアはこれまでもこれからも全体主義(国内に対しては抑圧、対外的には侵略的)であり続ける。遺伝的な国民性となると、いくら理屈で倫理的な解決を図ろうとしても無駄ということになる(血が望むものを理屈で曲げることはできない。たとえ、「自分は望まなかったが怖くて反対できなかった」と言う国民があっても、その状況自体が同調圧力そのもので、それは自由主義の現象である。)。
 Oの系統(Kの子孫)が圧倒的多数派の華北の漢民族や朝鮮民族も同じこと。日本人も弥生時代以降にOの系統が流入し混血がかなり進んでおり、それに近づいている(日本で遺伝的に=全ゲノムの一塩基多型の多変量解析による遺伝的近縁度の解析から、北京の漢民族に最も近いとされるのが近畿四国地方で、独裁や新自由主義を掲げる政党が大阪で強く支持されている)。日本では戦後年数を経て戦争に懲りた人々が少なくなり次第に自由主義が強まっている(近年のポピュリズムは世界的傾向としてあるが、日本の新自由主義は1980年代から始まっている。なお、分断や扇動を伴うポピュリズムは自由主義に付随すると考える。自民党そのものが極右化して全体主義を志向する政党になった。)。
 つまりもともとの「国民性」としての自由主義がKの系統の遺伝子の多さに応じてあるのではないか。ユーラシア、アメリカ大陸では男性の半分以上がすでにKの系統である(拡大している。古い系統=民主主義は劣勢。実際、搾取され抑圧されるのは民主主義の側。Kの系統の民族に囲まれ陸の孤島のように古い系統が残るチベットがその例。)。

 


 今もロシアは食糧資源を世界との交渉のカードにしていることにはっきり現れているように(非常に肥沃なチェルノーゼムという土壌がウクライナからシベリア南部にかけて存在することから、食糧を人質に有利な交渉ができることをはっきり計算に入れている。世界を支配するにはウクライナのチェルノーゼムは絶対に必要と考え、どうしても欲しいと思っているとさえ思える。)、資源に困らない状況下なら、タカ戦略とハト戦略との混合戦略(民主主義に近い?儀式的な「威嚇」の応酬のみで留まる状態)が有利となり安定戦略であるのに対して、資源が逼迫すれば(Wikipediaの記事※1での説明では「争う資源の、獲得による利得が非常に高い場合」とあり、私は資源逼迫の場合をその一つと解釈)タカ戦略の純粋戦略(実際に軍事的な争奪戦を起こし力ずくで奪う)が有利となる(「進化的安定戦略」※の考え方によればだが・・本当だろうか)。おそらくロシアは世界を支配することを視野に入れており、国民の多数派も自由主義的・全体主義的国民性によりこれを支持している(全体主義は「自分たちの民族が世界を支配する」「自分たちは最も優れた民族」という国民的な意識を必ず伴う。日本もそうであったように。今ロシアは、他国をナチス呼ばわりして侵攻の口実にしているが、自分たち自身こそがまさにナチスと同じなのにそれを自覚できない、この自己認知できない動物的性質も自由主義の特徴。自由主義の相手を自分たちと異質だから攻撃するのでなく、実際には同種であることを無自覚のまま攻撃している。安倍元総理が野党を「印象操作」と批判しながら、自分自身が頻繁にする印象操作を自覚できなかったように見えたのと同じ。日本の戦争も全て自由主義と自由主義の戦争だった。)。
 「進化的安定戦略」の考え方が本当に正解なら、現在の状況はロシアが勝つことを示し、資源の逼迫化自体は世界の人口増や環境破壊によりロシアの状況と無関係でも増していくであろう今後は、ますます民主主義は劣勢となり全体主義(濃厚な自由主義)に飲み込まれていく可能性を示している。
 ただ、約7万年前の人類激減(おそらく気候変動による)からボトルネック効果で生き残ったのは「協力し合う」ハト戦略の人々だけであった。ボトルネック効果なのでやはり「たまたま」だったのか、それとも「進化的安定戦略」(資源逼迫下ではタカ戦略純粋が有利)の考え方は間違っているのか。
 生物進化に関する研究で、個体数が少なくなった種では種内の個体間の競争が抑制され種の存続にエネルギーを集中させ、個体数が増えると種内の個体間のムダな競争(オスがメスにアピールする不可解な形態のような一見ムダに見える進化)を促進し、エネルギーを消耗させ、種の増え過ぎを抑制して多種生物との共存に寄与するというものがあり※2この考え方では絶滅の危機では種内において利他的になるとも言える。「個体間の競争」の有無という視点では、全体主義は一見すると個体間の競争がない利他的個体の集団のようにも見えるが、私の理解では全体主義は、人類全体を同一種とした時に「自分達の民族が支配する」を志向する利己的な集団で、人類全体の存続を危うくする働きをする。全体主義はその集団内は一見利他的だが、対外的には極めて利己的である。ややこしい。まだ、この視点による(私の)分析が足りない気がする。
 「進化的安定戦略」の考え方によれば、ハト戦略(利他的行動)の個体だけによる集団の中に、他から移入あるいは変異によって生じたタカ戦略(利己的行動)の個体がポツンと現れるだけで利他的個体は排除されて最終的に利己的個体が個体数を増やし圧倒してしまう(ハト戦略だけの純粋戦略は不安定=利他的個体だけではいられないということ、人類の7万年前以降の歴史がそれだったということか)、逆にタカ戦略(利己的行動)の個体だけの集団では闘争がエスカレートして疲弊してしまい、闘争しない利他的個体がポツンと現れれば有利となる(タカ戦略だけの純粋戦略も不安定=利己的個体だけではいられない)とされ、今の人類は前者の途上なのか。純粋戦略では混合状態を通り越してしまい安定には至らないということ(最初から混合でないとダメというのがややこしい)。7万年前の出来事は、利己的個体は互いに争って自滅してしまい利他的個体だけが生き残ったのか、それともボトルネック効果によるただの偶然か(現存最古のY染色体ハプログループAは27万年前からの系統であり7万年前より以前から存在)。仮に偶然でなかったとすると、資源逼迫時の「進化的安定戦略」の考え方(タカ戦略純粋が安定)は間違いなのか。間違いであることを祈りたい(Wikipedia「進化的安定戦略」※1に書かれていた数学的説明は今の私の知識では理解できず、合っているとも違っているとも論評できない)。
 「資源逼迫→全体主義有利」を回避するには、資源逼迫からの解放が必要。技術革新により、エネルギーや食糧のロシアによる独占状態から離脱すること、各国が自給率を高めること、非全体主義の国々で資源の共有を図ることなどが考えられるが果たしてどうか。自由主義の延長線上に全体主義があることを考えると、非全体主義とは言っても、自由主義的傾向が弱い国は北欧の国くらいなので難しい。その北欧もロシアの拡張路線の強まりでNATOに加盟しようとしている。

※1:「進化的安定戦略」フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/5/8  12:59 UTC 版)https://ja.wikipedia.org
※2:『自然界の「ムダの進化」が生物多様性を支える 生物種の個体数増加に寄与しない利己的な性質の進化が導く多種共存』2020年7月10日 09:30 | プレスリリース・研究成果 東北大学大学院生命科学研究科の近藤教授、クイーンズランド大学 山道上級講師のほか、兵庫県立人と自然の博物館、理化学研究所数理創造プログラム、京都大学、千葉大学、琉球大学、弘前大学、東京大学の研究者からなる共同研究グループ
https://www.tohoku.ac.jp/japanese/2020/07/press20200710-01-muda.html
https://www.u-ryukyu.ac.jp/news/14822/
https://www.hirosaki-u.ac.jp/topics/50028/