セロトニン不足と新自由主義による社会の衰退(まとめ)


 ご訪問くださりありがとうございます。
 どういうタイトルにしたら読んでもらえるのか悩ましいところでしたが、また失敗かもしれません(結局「怖がり」を「セロトニン不足」に変更しました)。
 なかなか読まれない記事ですが、1年前に比べたらずいぶんと(自分自身としては)理解が深まったように思います。
 一つは自由主義と民主主義それぞれの定義を、様々な現象の因果関係などを追っていくことにより詳しく明らかにしたことです。なお、ここでは古典的自由主義や新自由主義(ネオリベラリズムのほう)など放任的なものを単に「自由主義」と表現し「小さな政府」とほぼ同義でも使います。また、自由主義を生む精神性として、闘争性、強者優遇、差別主義、我が儘、無責任、自己責任主義、社会問題の「不共有」、自己の価値観を他に押し付けて拡大させるなど、自由主義が生む状態として、混沌(争い)、富や権力や自由の「独占」、その極限である全体主義まで含めて「自由主義」としています(全体主義までいく場合を「濃い自由主義」と表現)。規制緩和(放置)によるバブルも、引き締め(強権)によるバブル崩壊もともに自由主義で起こります(後述「小さな政府」は「強権と放置」)。

 新自由主義と全体主義を結びつける人はあまりないかもしれませんが、富や権力や自由が極度に偏在化し極限まで独占された状態が全体主義だと考えれば理解できるように思います。もう独占の兆候は十分出ているではないですか。自由主義は全体主義に繋がっている、連続している、同じであると考えると、今の自民党が目指す本質的な方向が非常にクリアに理解でき、例えば、なせ明治に戻りたいかのような復古的な動きを見せるのか(明治政府は、教育勅語で明らかですが全体主義を推進していました)、なぜ認証機能のついたマイナンバーカードの普及ばかりを急かすのか(様々な場面で強制的に使わせて自動的に国民の情報を集めたいからではないのか)という想像に説得力が出てきます(後者は妄想に近いのかもしれませんが、前者はかなりはっきりしています)。そして、もしそうであれば、それは全体主義という危険な道ということになります。


 米国共和党も日本の現自民党も、いわゆる「保守」は自由主義です。なかでも、日本の国粋主義は自国優位の思想と国家第一主義で、国家第一主義は全体主義なので、国粋主義は自由主義です。2012改憲案(「個人」を「人」に→教育勅語と同じで個人の良心を否定する全体主義、民主主義の「公共の福祉」を国家権力支配の「公の秩序」に、など)に現れているように国粋主義濃厚な現自民党はこの点から見ても自由主義であり、自由主義「小さな政府」の政策を推進していることとも矛盾なく一致しています。つまり、これが自民党の本質です(選挙などでの「きれい事」の提示に多くの人が騙されます)。自民党は自由主義の政党であって民主主義の政党ではありません。自由主義と民主主義は完全な対立概念になります(自由主義・資本主義「小さな政府」、民主主義・社会主義「大きな政府」)。民主主義と言えるのは、北欧諸国やニュージーランドなど社会民主主義である少数の国だけです。なお、ナチスやソ連などは明らかに独占支配の全体主義だったので、自称「社会主義」でも社会主義ではなく自由主義でした(社会主義に悪いイメージをつけましたが、本来の社会主義は「共有」を基礎とし、「共有」であるためには民主主義により関与できることが必須であり、セットです)。

 

 自由主義「小さな政府」は、独占を追求する闘争性と「強権と放置」の政策、喩えるなら「兵站なしで戦え」という人をスポイルする政策です。(「隠蔽」は公の情報を「共有」させないことであり、権力の私物化そのものです。一方で社会問題の「共有」を政府が拒絶します。)
 民主主義「大きな政府」は、社会を「共有」し「話し合いと合意」により「助け合って人を生かす政策」、社会を安定させる政策です。(「透明性」が「共有」「民主主義」を担保します)


 もう少し大きな話で喩えると、宇宙でガスが塵になり塵が星になるように重力で寄せ集まり「冷え固まって」濃淡がはっきりしていく自由主義「小さな政府」の作用に対して、太陽のエネルギーで動的平衡を繰り返す生物のように社会を維持し命を営むかのような民主主義「大きな政府」の作用ということをふと思いました。

 

 さて、扱ってきたのは、自由主義が個人の心理や精神傾向に及ぼす影響、社会制度に及ぼす影響、経済成長に及ぼす影響、戦争など対外拡張政策への影響など、生態学的要素も入れた社会科学的なアプローチによる「あれこれ(分析、考察と言うには烏滸がましいので)」です(と自分なりに思っています)。メタ認知的な上から目線になってしまい、「冷たい」「偉そうに」と反感を持たれてしまう可能性はありますが、それが今の自分にできることであり弱点です。反感を持たれたり、共感を得られないのでは公開する意味は薄まりますが、私の実力なので仕方はありません。

 内容に関しては端的に表現するとどうしても足りない部分が出てきて、あとからあとからどんどん追加することになってしまいました。詳しくは以前の記事(リンク先)をお読みいただきたく思います。ただ、結局のところ本記事だけでも、ある程度わかるようになっていますし、本記事が新たな気付きも入れた最新版ということでもあります。
 毎回、初めてお読みくださった方を想定するため、各記事には重複する内容がかなり多いことをお断りしておきます。
 

 

↓2021/11/1追記

 

↓「明るい明日のため、セロトニンを増やす 2021-09-18 23:14:03」

 


↓「明るい明日のため、40年後の日本のために 2021-09-14 07:51:40」


↓「多数決は民主主義を破壊する、根回し会議は本来の民主主義に近い知恵 2021-09-13 06:34:59」


↓「自由主義という自己免疫が暴走し鏡を見ない国 日本の社会の未来は 2021-09-10 18:04:01」

 

↓「徳川幕府は変種の「大きな政府」だった 今そこから学ぶべきこと 2021-08-24 07:22:55」



 昨年の段階では、近年の若い人の傾向として新聞等でも扱われていた、政府に反抗的な野党の姿勢やそれを応援する人への嫌悪感(野党が政府与党の不備を指摘し主張するほど、野党から「引いていく」→社会問題が「共有」されず放置されるため長期的には国は衰退することになる。)、あるいは無関心、干渉(してくること)への嫌悪(自分は自分でやるからほっといて)について、まだよく理解できていませんでしたが、今はもう少しわかるようになったと思います。
 第一に、遺伝的にセロトニントランスポーターが少ないタイプが日本人は圧倒的多数であることと関わりがあるのではないかということです。つまり、怖さや不安を感じやすい性質です。「セロトニントランスポーターの機能が低いタイプの遺伝子多型“S”アリル保持者では、不快な刺激に対して脳の扁桃体(情動に関係)と腹内側前頭前野(共感、社会性、モラルに関係)で血流量が共変的に上昇する(この回路は情動の表出に関連し、うつ病患者では過活動がある)」という研究があります(※1)。ここからは私の想像ですが、怖さや不安を取り除こうとする自己保身的反応として、「強者に靡く」反応と(弱者や、自分を少しでも不快にした人に対して)「激しく攻撃する」反応があるのではないかと考えます。自己保身(自分第一)なので他者への思いやりもなく無責任、冷酷です(適度なら自分を守る反応でもあります)。同調圧力(受ける側も、圧力をかける側も)や、「キレる」がその例です。同調圧力は他国から見ても日本人に顕著な性質です。この強者優遇や攻撃性という点が自由主義に合致し通じていて、自由主義の様々な弊害をより生みやすい下地になっていると考えられるわけです。混乱を恐れ社会の安定を求める心理は全く問題はありませんが、「強者に靡く」が自由主義の環境に煽られることでより顕わになり弊害を生むということです。社会の安定を生むのは「本来は」民主主義のほうなのですが、反対の自由主義に行ってしまうのは、民主主義が理解されていないことも少しは関係しているかもしれません。小選挙区制が民主主義だという誤り(後述)をずっと教えられているのですから理解されないのも当然です。
 つまり、近年の若者にはこの同調圧力がより浸透し、普段から顕在化していると考えられることで、それが前述の傾向の答えになります。背景としては、20代、30代の方々は生まれた時、物心ついた時からずっと「小さな政府」の影響を受けて育っていることがあります(中曽根政権が「小さな政府」に舵を切り、都市再開発の規制緩和がバブルを生み、崩壊と長期低迷となりましたが、それなのに政府は変わらず「小さな政府」をますます濃厚にし推し進めています←自由主義の自己濃縮、自己拡大)。自由主義「小さな政府」は、人々の競争心、欲を煽るためモラル低下を招くという理解ではまだ「浅い」です。先ほどの冷酷、無責任な同調圧力を生む「もともとの性質」が「小さな政府」に刺激されて、より強く引き出され顕わになると理解するのが正確だと私は思います。昔からあるいじめと、SNSが浸透した現在のいじめは比較は難しいですが、今は結構酷いのでしょう。今の若者の同調圧力の強い顕在化の背景に「いじめ」の構造があると考えるとわかりやすく、仮に昔よりさらに酷くなっているとしたら、SNSがいじめを促進したのか、自由主義が促進したのかですが、規制をできない自由主義「小さな政府」が促進したと思います。いじめは同調圧力(自由主義)の一つです。新型コロナ対策で当初の「緊急事態宣言」において行動抑制の効果を高めた「同調圧力」は、「思いやりのある国民性」などではなく、ここまでの説明どおり強権(自由主義)と同類のむしろ冷酷なものです(同調圧力による自粛に「補償」はありませんし、行動抑制の効果は薄れていきました)。良いことのように政治利用するのは危険です。


 「新自由主義」について、「小さな政府」として政府の関与が小さく自由競争を推進し、究極的には税も集めない(実際、竹中平蔵氏などは無税を唱えていたようです)主義なのに消費税を増税するのはおかしい、「大きな政府」なのかと言う方もあるようですが、自由主義がどういうものかよく理解されていないのだろうと思います。
 この件についてはまず、「大きな政府」は「共有」することにより自分たち自身で社会を運営し、社会を安定させようする民主主義が基礎になっていて、なおかつ、「小さな政府」の自由主義が自由な競争を放任することで富や権力や自由の「独占」を生み社会を不安定化させ様々な弊害が生じることへのアンチとなっていることの理解が必要です。「大きな政府」では、富の独占の回避として累進所得課税による再分配があり、権力の独占の回避としては比例代表制の選挙などかあります。(日本の小選挙区比例代表「並立制」は、「併用制」とは全く違い、比例代表制の本来の機能である政党への票に基づく議席配分はないため実質的に小選挙区制です)
 何が言いたいかと言えば、税に関しては、富の独占を回避し再分配が機能するかどうかがポイントということです。累進所得課税を否定して消費税増税をする場合、再分配機能はさほど向上しないだろうということ、つまり「小さな政府」のままであるということです。


自由主義「小さな政府」と「セロトニン不足(恐がり、不安の感じやすさ)による自由主義的傾向」の様々な影響(弊害)の例

〇 基本的に自由主義と民主主義は矛盾するので、自由主義を推進すれば民主主義は失われます。(しかし、自由主義と民主主義の混同が甚だしく、このことをなかなか意識できないでしょう。小選挙区制が民主主義だと思っているくらいですから・・自由主義の推進で民主主義が失われる最もわかりやすい例なのに。様々な、いわゆる「民営化(私企業化)」で公共インフラが「皆による運営」から離れれば民主主義ではなくなります。特に「水道事業」は、その弊害は非常に困るため、世界各国では民営化されても後に再公有化されています。JRにしても、地域差が無視され一律に分割民営化され、まさに儲かる会社と、北海道や四国など赤字で維持困難を生じ整備が行き届かない会社に別れ、格差が生じています。)

〇 自由主義「小さな政府」は連鎖的に人々のモラルを低下させます(競争を煽り他者を傷つけることへの抵抗を失わせ、もともとの冷酷さをあからさまに引き出す。強者の優遇が同調圧力に火をつけ「不寛容」が蔓延。自己責任主義による社会問題の放置。扇動やポピュリズムの「熱狂」が生む理性の喪失と非科学性。政府が「弱い者いじめ」の見本を示す。規制緩和が投機を過熱させ拝金主義が蔓延。)。自由主義による格差拡大、分断、排他性、差別助長とも関わります。自由主義の自己濃縮、自己拡大にもつながります。お祭りの「高揚」が人々の一体感を高めるのとは紙一重ですが、激しい攻撃性、排他性を伴う「熱狂」を生むのが自由主義です。

〇 「セロトニン不足」の恐怖心から生じる自由主義的傾向は、理性的思考を弱め、デマや非科学的な主張の妄信も生み、そこに激しい攻撃性が加わってより過激な同調圧力となり、デマの拡散への加担、実際の加害行為を生みます。「熱狂」による理性の喪失や「いじめ」とも関連します。(米国にもセロトニントランスポーターが少ない一定数の人々があり、トランプ氏への熱狂的支持を生んでいると考えられます)

〇 「勝ち負け」の価値観に支配され自由主義を反映する小選挙区制(主に、有権者一人が一人に投票し一人を決める単記非移譲式投票)は、多くの死票を出して勝者総取り(独占)を生むだけでなく、選挙運動で情報が歪み「透明性」が損なわれるという意味でも民主主義は壊されます(つまり、勝ち負けの争いになるため扇動やポピュリズムを伴い「レッテル貼り」などの意図的な偏見による一方的な攻撃を生みやすく、また「熱狂」により理性が奪われ、有権者が正確な情報に基づいて科学的で冷静な判断を下すことが困難となるということです。特に無党派層がこれらに影響され、より鋭敏に投票に結びついて自由主義の拡大につながる可能性があります。)。「小異を捨て二者択一」の選挙に向かわざるを得なくなるため、小党の各野党の主張は不明瞭になり混乱、混沌を深め、国民の不満を生み小党はますます弱体化する(与党独占をますます促進する)ことになります。国会運営でも、議席数で圧倒的な与党が恣意的な運営を行いがちになるため、対立分断型(自由主義)に引きずられた野党のあり方が支配的になり、話し合いと合意による合意形成型(民主主義)にはなりにくく、さらに国民の不満を生むことが、後述するようにますます自由主義を濃縮、拡大させます(自由主義の自己濃縮、自己拡大)。自由主義は全く蟻地獄のようです。この時、セロトニン不足は「不満」の加速剤として働きます(自由主義の政権を支え不満の原因をつくっているのは自分たちなのに、それを棚に上げ人のせいにする無責任さはまさに自由主義です)。このように、内容は関係なく強弱(勝ち負け)の支配が促進されるだけとなり、社会問題(最初は小さくても重要なものもあるでしょう)の共有がされにくければ、様々な問題が放置され国は衰退するでしょう(重要)。この小選挙区制は、強者に非常に都合がいいため改める動きは具体化、現実化しません。まさに蟻地獄です。
 もう一つ「セロトニン不足」の影響を別の視点で見れば、日本では、日本人の気質として自由主義の傾向が圧倒的に強いため(強者に靡く)、小選挙区制で二大政党とはならず、「独占と混沌」しか生まないということになります(英米は全体としては日本人ほど自由主義の気質は圧倒的ではなく二大政党が成り立つ)。このことが政党の党勢の大きな変動を生むことがあり、党勢回復期に新人議員が大量に生まれ(新陳代謝を超えて)政党を劣化させています。また、公認権による執行部支配の強まりは党に全体主義をもたらしました。

〇 「小さな政府」では経済は持続的には成長しません。「小さな政府」は端的に言えば、●「強権と放置(兵站なしで戦え)」の政策(人をスポイルするので続かない)、●社会問題が「共有」されず放置され、社会がいずれ崩壊する全体主義の政策、●「安全第一、品質第二、生産性第三」が経営を上向かせた話(昔、米国鉄鋼大手USスチールで)に擬えるなら「大きな政府」がこの「安全第一」で、「小さな政府」はその逆の「生産性第一」の政策、●再分配や社会保障に否定的で規制緩和により雇用を不安定化させるなど社会不安を増すため消費を抑制するデフレ促進政策、●規制緩和(放置)でバブルを生んで、引き締め(強権)でバブルを崩壊させる「放置と強権」の政策。

 中曽根政権が始めた「小さな政府」がバブルとその後の長期低迷を生んだことを考えれば明らかです。新型コロナ対策でも明瞭で、同調圧力を当てにし(強権)、要請なので補償に否定的で取り締まりもされず(放置)、「緊急事態宣言」の効果は落ちていき長続きしませんでした。全体主義(濃厚な自由主義)体制の寿命は70数年(明治から太平洋戦争終結までの日本、ロシア革命からソ連崩壊の例により)で、徳川幕府(「大きな政府」の要素を持つ→以前の記事参照)は260年続き維持しました。日本は中曽根政権から始まる現在の「小さな政府」をこのまま続けると、30数年後には、全体主義の困窮の中、国が崩壊する可能性もあります。
 反対に民主主義「大きな政府」が成長を生むことを類推させる事例として、前述の「安全第一」や、日清食品創業者が即席麺の製法を公開し、つまり皆で「共有」し、業界全体の技術・信用を高め大発展した事例(目的も素晴らしかった)などがあります。「大きな政府」は社会保障などが安心を生み消費を促進するインフレ(成長)促進政策です。

〇 「セロトニン不足」と自由主義「小さな政府」の相乗効果と考えられることとして、「不寛容」が蔓延する一方で、嘘をつく権力者には寛容です(心の不安を取り除くための無責任で冷酷な自己保身の反応である「強者に靡く」と「(弱者や、少しでも自分を不快にした人への)激しい攻撃」という同調圧力そのものが自由主義に煽られ顕在化)。

〇 「小さな政府」を推進する自民党の総裁は、選挙などでは「小さな政府」とは矛盾した「きれい事」を掲げることが多く、言っていることとやっていることが真逆の政治となります。例えば「1億総活躍」と言いながら、やっている「小さな政府」は人をスポイルする政策でした。「国を守る」という勇ましい主張は果たして...。自由主義の米国に追従する同盟による安全保障が本当に安全かということでもあります。

〇 自由主義は自己濃縮、自己拡大します。「強権と放置(兵站なしで戦え)」の「小さな政府」は必然的に不満を生むため、不満が「改革せよ」の声を生み、より(改革してくれそうな)強権的な政府(つまり、より自由主義「小さな政府」)が選択され、自由主義の自己濃縮、自己拡大が起こります。再度言いますが、この時、セロトニン不足は「不満」の加速剤として働きます(自由主義の政権を支え不満の原因をつくっているのは自分たちなのに、それを棚に上げ人のせいにする無責任さはまさに自由主義です)。今回の自民党総裁選で残念ながら河野氏が選ばれれば、これに当たります。

 また、例えば、マスコミなどによる自民党総裁選での派閥力学や議員だけによる決戦投票への批判的批評のように、広く多数決を行うことが正義であるかのように煽る動きも同様で、実は民主主義を壊す働きのある多数決を求めることで、自由主義の濃縮につながります。人気投票は衆愚を招く可能性があり最もやってはいけない形です。実は「根回し会議」のように個別の(個別には透明性のある)話し合いと合意のほうがずっと民主主義に近いです(ただし、多数の人ではなかなか行いなくい訳ですが、多数による人気投票の危険さ(そもそも選ぶ対象を日頃から身近で見てよく知っているわけではないのですから)と比べれば、たとえ一部の人で行うものであっても絶対とは言い切れませんが、事情をよく把握した上での「常識(良識と言ってもいいかもしれません)」の通りやすさがあると思います。)。

 

〇 自由主義の自己濃縮、自己拡大の例(2)。「セロトニン不足」と自由主義「小さな政府」の相乗効果として、「政治離れ」「無関心」による選挙での投票棄権は、その無責任さ、冷淡さは同調圧力(自由主義的傾向)の一つと見なすことができ(権力闘争という政治劇への嫌悪、強者に刃向かう者への嫌悪などの不快を心から取り除くために「関わらない」という消極的な攻撃の反応では)、それが増えるということは、争いを旨とする自由主義が引き起こす、やはり自由主義の自己濃縮、自己拡大です。


〇 自由主義の自己濃縮、自己拡大の例(3)。自由主義「小さな政府」の攻撃性、排除、差別に対し怒りを生じることで、もともと攻撃性が無かった人々までも自由主義の世界に巻き込まれ同化されてしまい、自由主義の自己濃縮、自己拡大が起こります。

 

〇 強権(自由主義)は、一見「自由を統制し社会を安定化」させそうですが、自由主義では権力が規制されず強まる一方で、強権自体が自由主義であるためモラルが低下し社会は安定化しません。むしろ、自分たちで自由を統制する民主主義のほうが、例えば今の新型コロナ対策で言えば「規制と補償」がセットになるなど、社会を安定化させます。

 

〇 国粋主義(自由主義)は、都合の悪い自国の歴史に蓋をして、社会問題を「共有」せず放置するため、国を衰退させます。国粋主義(自由主義)の国家第一主義(全体主義)は、真逆である民主主義の「公共」「公益」に偽装して浸潤してきます(2012自民党改憲案では「公共の福祉」という民主主義を「公の秩序」にして国家権力支配にすりかえています)。御用心!「国を守る」という勇ましい主張は、自由主義「小さな政府」を行う政権が言うと、実際には真逆のことが行われる可能性が十分あります。御用心!

 

〇 自由主義「小さな政府」の「デジタル化」は、国民の一元管理が様々な情報の紐付けにより抑圧につながる可能性があり(自民党政権は、デジタル化による利便性をチラつかせながら、認証機能のあるマイナンバーカードの普及をあからさまに推し進めようとしています。様々な場面でマイナンバーカードの認証機能が利用されれば個人の情報を自動的に集積させることも可能になりそうです。)、また、強権で作られたシステムには欠陥が生じやすく、放置により改善されません(「小さな政府」=「強権と放置」の政策ですから。新型コロナ対策の接触通知アプリCOCOAの例。)。認証機能の脆弱性からなりすまし被害が出るかもしれません(米国では多発しているらしいです)。ヨーロッパなどでは個人番号はあってもカードによる認証機能まで普及しているわけではないようです(「日本は遅れている」と政府などが「煽って」いるということです)。自治体のシステムを強権的にリセットさせ国民を一元管理するのは、自由主義「小さな政府」による中央集権です。自治体別の管理、省庁別の管理など分散管理のほうが全体としては情報漏洩などに対して安全性が高いと考えると、「国民を守る」という掛け声とは逆行している(言っていることとやっていることが逆)とも言えます(情報漏洩やなりすまし被害という国民にとってのリスクよりも、国民の情報を集めることが優先されていないでしょうか。もし、そうなら大変危険な兆候だと思います。)。「大きな政府」による「デジタル化」(北欧など)では信頼の構築を最も大切にしていると言い、「小さな政府」とは全く異なる結果になると思います。

 

〇 自由主義「小さな政府」は、強権を生むため中央集権で、表面的な「関与が少ない小さな政府」という理解では間違いを生じます。

 

〇 自由主義「小さな政府」が生む富や権力や自由の「独占」では、本来は公である権力においてもしばしば私物化を生じ、それが「隠蔽」となって現れ、その「透明性」の毀損は即ち「共有」「民主主義」の毀損となります。

 

 自民党総裁選で(せめて)岸田氏が選ばれなければ、望みは立憲民主党です。立憲民主党がアベノミクスの評価を発表しましたが(2021/9/21ニュース)、ずばり正解だと思いました(岸田氏よりもちろんイチオシになりますが)。河野氏では安倍氏と同じで「言っていることとやっていることが真逆」な詐欺的な政治になるでしょう(もう既に「小さな政府」推進派の本性を隠し「ぬくもり」とか「暖かい」とか評価不能な「イメージ」を出してきました。そもそも、ここまで書いたとおり「保守=自由主義=小さな政府」は冷たいですが。)。国粋主義の高市氏は論外、野田氏も討論会の話を聞いていて、何か「おかしい」、ひっかかりました(例えば、「日本の年金制度は世界最高であり不安を煽るな」と。やはり「保守」の人。論外です。)。

 

 

提案としてこれまで記事に書いたことは

① 小選挙区制(多数決)が民主主義ではなく、一方、「根回し会議」は、個別に腹を割った(透明性がある)「話し合いと合意」により(本来の)民主主義であると考えられることから、仕事や身近なことでも、多数決はなるべく避け、話し合ってみてはということ。 

② 「竹槍」の発想である可能性はありますが(セロトニントランスポーターの少なさを補うだけの効果があるのか素人の私にはわかりません)、セロトニンを増やす健康法を多くの人が行うこと。食べ物(大豆食品、乳製品、ただし魚や肉のトリプトファンは吸収されにくいらしい)、日光浴、ウォーキングなど単調なリズムの運動、腸内環境を整えるなど。

 ここまでお読みくださり、ありがとうございました。

 

※1:CiNiiArticles「セロトニントランスポーター遺伝多型による扁桃体 : 前頭前野間の連絡強度の差」水野 資子 (東北大学大学院医学系研究科行動医学) 抄録から/NII論文ID(NAID) 110002320161/本文言語コード JPN/ISSN 0385-0307/DOI 10.15064/jjpm.45.7_503/データ提供元 NII-ELS  J-STAGE
https://ci.nii.ac.jp/naid/110002320161/amp/ja