ワクチンを口実に、政府と国民の信頼関係抜きでマイナンバー推進か(目的は国民の直接一元管理 抑圧のために使わないと言えるのか)

 新型コロナワクチンで、また河野大臣が据えられました。ワクチンを口実に、政府と国民の信頼関係抜きでデジタル化とマイナンバーによる国民の一元管理を推進しようとするのでしょうか。これだけ新型コロナで混迷している中、それでも相変わらず菅義偉総理は新型コロナ対策はおざなりで、デジタル化とマイナンバーだけは前のめりでやろうとしているようです。「国民の生命が第一」は口先だけで、それよりもデジタル化とマイナンバー(による国民の直接一元管理)がどうしてもやりたいようです。マイナンバーは新型コロナ対策に必要ですって?それは口実かもしれません。
 ワクチン接種を国がマイナンバーで一元的に管理したいという平井デジタル担当大臣の「ワクチンの副反応をマイナンバーでトレースしたほうが安全」とはどういことでしょうか。副反応があった人の病歴などの個人情報を引っ張り出したいということでしょうか(報道ステーションの解説者はそう解釈していました)。それとも1回目に副反応の兆候が出た人に2回目を打つミスを防ぐ目的でしょうか(私はそんな感じに聞こえた気がしましたが)。「後者ならまだ」と書こうとしましたが、先般の国勢調査でやったように「ワクチン限り」の番号で管理ができるはずです。民間企業に作業を委託するのでしょうから漏れます。ワクチン限りにしてもらいたいものです。前者の場合なら、さあ、そのシステムを構築するのに何年かかるのでしょうか。いったいいつワクチン接種をするつもりなのでしょうということになります。
 いずれにせよ、平井大臣の説明は、明確に意味が伝わらないよう敢えて不透明にする「菅義偉総理流」が出ているようですし、マイナンバーがセットのデジタル化を、しかも国が直接一元管理することを是が非でもやりたいが故のこじつけとしか思えません。また、菅義偉総理の至上命令が伝わってくるようで、この人を頼りない人だと侮ってはならない(悪い意味で)と思いました。恐ろしい暗黒の人です。この方に「国民のため」は微塵もなさそうです。在任中に是が非でも、「マイナンバー一体のデジタル化で国民の直接一元管理」の道筋をつけることがしたいようです。自民党のためなのか誰のためかは不明です。

 また、ワクチンを自国で開発できなかったことについて、安全保障上どうなのかといった声が(マスコミや国民から)ほとんど上がってこないこと自体にこの国は本当に大丈夫だろうかと思います。政府の頼りなさは、国民の姿そのものではないかと思えてきます。安全保障よりも、新型コロナから国民を守ることよりも、国民の一元管理がやりたいとはいったいどういうことかと思います。
 ここでまたパフォーマンス大臣の河野太郎氏が起用されるのは、マイナンバーとセットのデジタル化推進と関わるためかもしれません。何らかの「破壊」を期待してのことでしょう。省庁の縦割り打破と言って、各省庁の領域を全部取っ払って独断的な意思決定にするのは、前に「スチュアートカウフマン著、米沢富美子訳『自己組織化と進化の論理』」の記事に書きましたが、良いとは限りません。ワクチン接種が単純なことなら、それが効率的ということにはなりますが、果たして単純なことでしょうか。
 以前から何度も書いていますが、「デジタル化+マイナンバー推進(国民の直接一元管理)」は新型コロナ以前からのもので新型コロナとはそもそも無関係です。電子政府で引き合いに出される北欧諸国は、社会民主主義の国々であり、国民と政府の信頼関係が強く、日本とは全く前提が異なります。日本は小選挙区制によって強い権力を作り、扇動(デマ)も蔓延り強者を優先する国です。格差が拡大し、平等感、安心感が薄く、政府に対する国民の信用が非常に低い国です。この状態を生むのは、何度も書きますが国民性もあります。同調圧力を他人に及ぼす攻撃性と同調圧力への弱さ=島国日本で培われた「村八分、巻き添え」への極度の恐怖心、そして、その抑圧の反動なのでしょうか、高揚感(情緒)を過度に求める享楽的性質(政治にさえ求める)=扇動を誘発し(デマを拡散)扇動に弱い(デマを盲信)、さらに強欲さでしょうか。
 「デジタル化+マイナンバー推進(国民の直接一元管理)」の問題は一般的に言うセキュリティの話(技術の問題)だけではなく、政府と国民の信頼関係の話(法令、制度、統治の問題)が最大の課題だと思います。利便性はそのあとの話です。自民党は、憲法が権力を縛る立憲主義には極めて後ろ向きで、「運営する側」が間違いを犯さないようにする法制度はおそらく取り組まないでしょう。そこが最大の問題です。
 マイナンバーカードを持ちたくない人が多いのは、万能の本人証明能力があり、悪用されたら困るような個人情報が記載或いは電子的に記載されたものを日々持ち歩いて、そんなものを落としたりとられたら大変ですし、お店や病院などでそういうものを提示すること自体にも抵抗感があるということだと思います。そういうことへの対処工夫の話は全く出てこない中で、ただただ「推進」と言っています。そして、マイナンバーと一体でデジタル化が実現した時、国民の情報を一手に握った政府が国民を抑圧するためにそれを使わないだろうかという問題です。何事も曖昧で不透明な今の政府にはその懸念が間違いなく付随しています。それだけではありません。政府が、(明らかに紐付け情報からわかったと思われることにより、当人に不利益な取り扱いをするなど)見せしめに何かを行い「紐付けされた様々な個人情報を握っているぞ。監視しているぞ。」と「暗に」示すだけで(曖昧だからこそ)圧力になります。菅義偉総理は既に日本学術会議のことでそれをやっています。「理由を示さない(=「暗に」示す)」が要所であることを熟知しているのです。そして、疑惑に対して「当たりません」を言い続ければ、そのうち国民は忘れることも熟知しています。野党は表面的なことに惑わされて攻め所を誤り自滅しがちです。マイナンバーにより、今度は全国民が対象です。意に沿わない国民は粛清される(かもしれない)。その懸念を払拭するだけの法令制度の話が「前面に」出てこない限り信用出来ません。自民党が新型コロナなど危機に対応するための具体的な立法にまともに取り組まず、よく憲法の緊急事態条項(こそこそと憲法の空文化を招きかねない国家緊急権が入りました)に言及するのも同じことです(「国民のため」ではなく「支配」のためではないか)。菅義偉総理から「信頼」というものが見えてこないことについては、前に「緊急事態宣言と政府への感情」にも書きました。その他のここで書いたこともいくつか書いています。つまり、同じような記事を何度も書いています。こんなことを何度も何度も書かなくて済むのが良いのですが。
 とにかく、マイナンバーとセットのデジタル化そして国民の直接一元管理は、政府が悪用しないための法制度の話と、セキュリティの話を抜きにして、利便性だけに注目していては危険だと思います。肝心なところを全くやらずに、しかも「マイナンバー」よりも「デジタル化(利便性)」を前面に出して、ただただ「デジタル化推進」と言っていますが、おそらく本丸はマイナンバーの「利用」です(わざと主従を逆転させ騙そうという意図を感じます)。立憲民主党もそういう指摘はしていないようですので、このままどんどん推進されることでしよう。悲しいというほかありません。

 

 お読みくださりありがとうございました。

 

↓マイナンバー+デジタル化は社会主義(大きな政府)・民主主義的に導入する必要があります。「隠す」のは私的支配だからです。以下、新しい考察からです。資本主義自由主義のもとでは平等・民主主義を求めることはできません。社会主義(大きな政府)とセットで平等・民主主義を求めなければ国は崩壊します。

 

(追記)その後の考察により、資本主義自由主義のもと(国民性としての自由主義の性質を含む)では、平等・民主主義を形式的に行おうとしても無効化されてしまうと考えました。自由主義の無責任さや社会を壊す働きを制御するには、民主主義だけでなく社会主義(大きな政府)による介入や生活保障など具体的な政策が必要です。
 前提として、まず自由主義と民主主義が全く相反するものであることを説明します。自由主義では自由競争の結果、私的独占支配を生みます。政治と経済は不可分で同じです。小選挙区制は自由主義的な多数決の制度であり、便宜的な多数決の勝者による権力の私的独占を生みます。全体主義は自由主義の究極の状態(一切の私的独占支配)で、皆さんが思い浮かべる独裁者も、自称社会主義であって実態は私的独占支配の資本主義自由主義でした。無制限の自由は社会を破壊するため非常に危険なものです。民主主義とは、社会の運営、意思決定に皆が主体的に(自分事として)関わる「共有」であり社会主義です(社会を維持します)。そして共生するために自分たち自身で自由を制限するルールを作り共有します(現行日本国憲法の「公共の福祉」は民主主義の要です。自民党が掲げる「公の秩序」は権力の独占支配です。)。民主主義は理性的(大人)と言えます。「共有」を相互に支え合っているのが「平等(必要な人に必要なものを分け隔てなく)」と「民主主義」であり、民主主義が欠けた「共有」は弱いため私的独占支配(自由主義)に容易に乗っ取られ「共有」ではなくなります。この平等と、全体主義(自由主義)の「均質化」を混同する方もありますが、後者に主体性はなく根本が違います。
 自由主義(小さな政府)は資本主義とセットとなり、民主主義は社会主義(大きな政府)とセットになります。自由主義(小さな政府)の政策は、緊縮財政で内需(消費)を抑制し、規制緩和と自由競争で供給を促すため、高度経済成長によりインフレ過剰気味でもない限りデフレを作る政策になり、国民は貧困化し社会は縮小衰退します。消費税は内需を抑制する自由主義(小さな政府)の政策であり、「大きな政府」では累進所得課税などにより再分配を図り、消費の主体である低中所得層の消費を増やします。外需で稼ぐにしても国内の貧困化を放置しては駄目で、「大きな政府」寄りで社会を維持存続させないと経済成長できません。そもそも、煽って対立分断を生む自由主義は「協力し合わない社会」つまり将来の経済損失を生みます。「納得と合意」という民主主義の「成果」を得ることなく、便宜的な多数決に基づき短絡的で恣意的、修正のない素のままの提案による強引な意思決定のため、これもいわば将来への「ツケ」となります。
 資本主義自由主義か民主主義社会主義かどちらか両極の二択の話をしているのではありません。二択を煽るのは自由主義です。まず、社会を維持、安定化させるには民主主義社会主義寄りにしておく必要があります。放置は自由主義の一種で、民主主義に自由主義を混ぜるのは易しく、自由主義に民主主義を混ぜるのは難しい(エネルギーを要する)のです。また、複雑系の理論「カオスの縁で自己組織化が起こる(スチュアート・カウフマン)」を参考にしても、カオスの自由主義よりも、統制側の民主主義へ寄せたところに、持続的な秩序のバランスがあると考えます。小さな政府と大きな政府のどちらに寄っているか見分けるバロメーターの一つは「国民の政府への信頼度」です。小さな政府では、小選挙区制で半数の国民を無視し、私的独占支配で「隠蔽」もあり、政府への不満、不信は大きくなります。国民と政府の不協力を生み経済損失につながるでしょう。社会民主主義の北欧では透明性のある政治と言われるのと対照的です。
 さて、(国民性を含む)自由主義下で、平等・民主主義が無効化し自由主義を増長さえさせる話です。自由主義派はだいたい誹謗中傷や扇動で対立分断を煽り(倫理観に欠ける人が非常に多いと思います。トランプ氏は襲撃を煽り死者が出ても知らん顔、日本のリコール偽造も倫理違反を超えています。反省しないので成長もないのでは。)、民主主義派がこれに対立で応じてしまうと自由主義に同化したことになります。掲げたものとやっていることが真逆になる例として、例えば、地方分権、男女平等、一億総活躍などがあります。差別偏見が蔓延する自由主義社会のままで、ただ女性を投入するだけでは男女平等にはならず、自由主義(小さな政府)により財源を渡さず地方分権と言ってもそうなりません。自由主義のままデジタル化を進めるとおそらく支障が出るだろうと思います(成功しているのは社会民主主義の北欧などです)。
 そして、例えば、比例代表制(政党名簿)のような平等・民主主義の選挙制度を、自由主義のまま導入すると失敗するでしょう(「小さな政府」への不満や自由競争が増幅されてしまいカオスを生む)。第二次大戦前、資本主義自由主義体制下、ドイツでは完全比例代表制のもと小党乱立のカオスとなりナチスの台頭を許しました。日本も大正デモクラシーで普通選挙導入後、大政翼賛会(政党崩壊)、全体主義となりました。ドイツでは現在、阻止(小党乱立防止の足切り)条項付き比例代表制です。基本は、社会主義(大きな政府)と民主主義はセットであり、民主主義を求めるためには社会主義の政策(介入や生活保障)が必須です。社会民主主義の北欧やニュージーランドの姿が民主主義と言えるでしょう。
 もう一つ、国民性の壁があります。日本人はセロトニントランスポーター遺伝子のS型を持つ人が9割以上で、世界一、不安や恐怖を感じやすいと言われ(東アジア人共通)、これが不満に転じると自由主義(強欲、自分勝手、無責任、自己責任主義、冷酷、権威権力に弱く私的独占支配を受け入れ勝ち馬に乗りたがる、自分勝手な人の集団をまとめる強いリーダーを求める)となります。日本人のこの傾向は自己責任意識(怠け者を助けるな、公助は頼らない)の強さにはっきり現れています。
 さらに、この遺伝的な要素は、不快に対する反応として、脳において感情の中枢の扁桃体、理性による制御の働きをする眼窩前頭前野の両方に作用し、ここからは私の推論ですが、おそらくその相反する部位への刺激が混乱を生み、それが同調圧力を生みます。村八分などの恐怖から逃げるため、「空気」への無責任な服従である見かけの統制、忖度、見て見ぬふりの多く、恐怖からの逃避としてはほかに、享楽性や怠惰、理性よりも感情に傾きやすさ(騙されやすさ)などがあり、巻き添えなどへの恐怖の打ち消しとして、「空気」への服従の強要という威圧や責任転嫁による激しい攻撃などがあります(誹謗中傷、様々なバッシング、自粛警察、あおり運転など)。基本的に相手への関心や思いやりはなく無責任、自分勝手、冷酷で残忍、思考停止状態です(自由主義と共通)。真偽不明な情報で煽り思考停止にして、敵を仕立て上げ攻撃型の同調圧力の連鎖を誘導する「扇動」もあります。「前例打破」「自虐史観」「押し付け憲法」などのレッテル貼りは、思考停止と攻撃の誘導を含む扇動です。歴史修正主義も見て見ぬふりの同調圧力です。扇動に似た「詐欺」(恐怖と味方を偽装し服従型の同調圧力を誘導)もあります。
 日本人は全く自由主義的で民主主義・社会主義嫌いのため、民主主義は難しいと言えます。しかし、難しいからと言って努力せず求めないままでは国は確実に没落します。前述のとおり、自由主義はデフレを作る政策になり、貧困化と市場(国)の縮小衰退の循環を招くからです。嫌いだからと言ってやらないわけにはいかないのです。自由主義を促進する小選挙区制も最終的には改めるべきでしょう。
 なお、自民党は、戦後の米国による反共「逆コース」で作られた、反民主主義で自由主義の政党であり、米国自由主義の傀儡です。「逆コース」前に出来た奇跡的に民主主義的な現行日本国憲法を目の敵にしています。もちろん、米国は自由主義の国であり(特に共和党)民主主義の国ではありません(表面的に保護主義を掲げたトランプ氏もオバマケアなど福祉政策を全否定し、大いに分断を煽って深刻化させ、共和党の自由主義路線でした)。富と力を独占する支配層は自由主義に立脚するからでしょう。自由主義を民主主義と混同させ民主主義だと詐称しているように見えます(日本でも全く同じ)。
(2021/5/29修正追記)