スチュアートカウフマン著、米沢富美子訳「自己組織化と進化の論理」

 土曜日の早朝、NHK総合で「映像ファイル あの人に会いたい」という番組をやっていますが、たまたま起きていて見ることが時々あります。1月16日は「アンコール 米沢富美子(物理学者)」でした。米沢富美子さん(1938年10月19日~2019年1月17日)。幼少期から数学に目覚め、湯川博士に憧れ、物理学者になり、良き夫に恵まれて育児と物理学者を両立し、研究でも素晴らしい業績を残され、また女性として初の日本物理学会会長も務められ、とても格好いい方だと感じました。宝石のような人生です。間違いなく天国に行かれたことでしょう。

 この方の名前を見て忘れられない本があります。スチュアートカウフマン著、米沢富美子訳『自己組織化と進化の論理 宇宙を貫く複雑系の法則』という本です。手にした当時、日経新聞社による単行本でしたが、今は、ちくま学芸文庫による文庫版が出てることをネットで知りました。当時、私事ですが、林学の部署から試験を受けて環境の部署に移ろうとしていた頃で、影響を受けた本の一つとして、バイブルのような本でした。その単行本は段ボールにしまって荷物の奥深くにあり簡単に取り出せなくなっていますが、今回テレビで(生前の)米沢富美子さんを見て、また読みたくなりました。文庫版も結構値段がするので、簡単には買えません。自分の記憶をネットの情報で補いつつ以下に書いてみます。

記憶に強く残るキーワードは「最適な妥協解」です。

 酵素のとる状態を反応を起こす起こさない(オン、オフ)の2つの状態とし、酵素、基質、生成物による生命の物質代謝のネットワークを、導線でつながった電球のネットワーク(電気回路 ブール代数的ネットワーク)に喩える。適当な条件を与えれば、周期性をもったパターンが現れる(アトラクター)。各電球を制御する入力の数(K)。Kが大きいとカオスだが、Kが2の時、周期的な秩序が突然に生じ、Kが1では凍結する。つまり、「カオスの縁」で生じる複雑な秩序。十万個の電球を想定すると、Kが2では、本来は2の10万乗個の状態を持つが、10万の平方根であるわずか317個の状態を循環する。ヒトは、10万の遺伝子のゲノム系を持ち、細胞の種類が256種であることと符合する。
 単純なものが徐々に順々に積み重なって生命のような複雑な化学物質の代謝ネットワークができるのではなく、化学物質の種類がある閾値を超えれば、「カオスの縁」で恒常性のある複雑なネットワークのパターン(アトラクター)が自発的(創発的)に突如出来上がるという考え方です。しかも、この化学物質における反応ネットワークのセットは壊れにくさ(恒常性)とともに自己複製能力を持つといいます。「カオスの縁」の「臨界状態」については、砂時計の砂山のように表面で頻度の多い小さな崩壊と頻度の少ない大きな崩壊を繰り返し起こしながら全体の山の形が維持されている様子を最も端的な例として挙げていたと思います(自己組織化臨界現象)。これは、質量やエネルギーの供給が継続されながら秩序が維持されるという非平衡系から生じる秩序で、物質代謝を続けながら秩序を維持する生命活動も同じです。
 また、進化を「最適な妥協解の探索過程」と喩えていたことが強く記憶に残ります。適応地形、空間という概念を用いて、でこぼこした地形を、より安定した谷側に向かって進んでいく過程とし、複雑な適応地形の穴にはまって抜けられない時、逆向き(地形では上側)の作用によって障壁(適応地形の壁)を飛び越えることがあります(押しても駄目なら引いてみるのような)。この事例として、金属の焼き鈍し(加熱と徐冷を繰り返し、内部のひずみを取り除くこと)を挙げていたように思います。また、条件の一部をランダムに無視するという言い方もしていたように思います。単為生殖なら突然変異により他の適応地点へ、有性生殖なら遺伝子の交配により親の適応地点の中間へ飛び越えることができます。
 最適な妥協解について、社会組織の現象にも当てはめがありました。矛盾したものを含む複雑な課題(複雑な適応地形)に対処する場合、「適切な規模の部分組織化」が行われている場合に上手く解決でき、個人が直接支配されるような大きな組織(独裁)では単純な課題(なめらかな適応地形)なら良くても複雑な課題では対処できず、逆に適切に組織化されない(個人が強調されるなどの)場合はカオスになるというものです。前述のブール代数的ネットワークのアトラクターのようです。
 複雑な課題に対処するには、全体主義的、独裁的な組織では駄目、かと言って個人がバラバラでも駄目で、「適切な規模の部分組織化」が必要だと言っています。おそらく、地方自治体、中央官庁の省庁、政党という組織、業界団体、学会といった様々な組織など、また、地域や組織の後押しで選ばれた国民の代表らによる議会制民主主義が機能することがそれにあたるのではないかと想像します。これらが適切な規模に調節される必要があります。というよりも適切な規模に進化するということなのでしょう。また、社会の課題の複雑性に応じて変わるということでもあるでしょう。それとも、より万能に近い規模があるのかどうか。当てはめ方が間違っているかわかりませんが、各部分組織が意思決定に際して2つのテーマを持つ状態が適正な部分組織の規模で、3つや1つでは意味がないということなのでしょうか。つまり、各部分組織の抱えるテーマが3以上になるとカオスとなり、1つでは創発的な自己組織化には寄与しないということでしょうか。省庁の縦割り打破とか言って、全部直轄で一本線の意思決定にしてしまっては、駄目ということでしょう。

 ここからは私見ですが、小選挙区制は二大政党という(おそらく)複雑な課題に対しては大き過ぎる組織を、失敗すると今のような一党独裁という、さらに大き過ぎる組織を作ります。ただ、一党独裁の中国や小選挙区制二大政党の米国という大国による覇権は何なのかということにはなります。米国のほうは今劣化の局面を見せています(社会の課題が複雑化し、合わなくなったとも言えそう)。かつてソ連が崩壊したように中国もなるのかどうか。
 もう一つは、緊急事態、有事に課題が単純であれば独裁的な組織のほうが効率的で有利にも思えますが、「課題が単純なのか」が問題です。まさに、今の新型コロナ対策では、経済と感染抑止のための規制が真っ向から対立し、単純にこちらに舵を切れば解決という課題ではありません。利害の板挟みでフリーズしていては駄目で、一部の条件を「ランダムに」無視しながら、最適解に向かって調整していくしかないのだろうと思います。一つの条件を継続的に無視しては駄目で、そういう意味で独裁的ではなく、各利害の代表者の存在が必要だと言えます。菅義偉総理は、Gotoキャンペーンについて、再三見直しを求める声があったのに、観光業への配慮が続き「影響は限定的」「移動では感染しない」「影響があるというエビデンスがない(影響がないというエビデンスもなかったのに)」と言い続け、見直しの判断が遅れました(屁理屈をつけてでも押し通すいつものやり方にも見えます)。特定の条件を「ランダムではなく」継続して無視し続けたということです。オンかオフなのだから、何回か言われたら1回聞く必要があったのだと思います。(多様な顧客の声と向き合う)接客業には融通が効かない頑固な人は向かないという、ごくありふれたことに帰結しそうです。もう一つは、現実の問題に対して屁理屈で対処してはいけないという点があります。「エビデンス」という一見科学的なカタカナ語を使うあたりは前にも書きましたが、扇動的(人を思考停止にする要素になる言葉)だったと思います。
 この本を読んだ当時、愛知県で開催が決定した環境万博(愛地球博)に向けて開催場所に関わる課題などがいろいろと浮上し紛糾していましたが、愛知県は時に一部の条件(特定のものを継続的にではなくその時々で)を無視しながら(反発もありましたが)、少しずつ課題をクリアしていきました。まさに、複雑な条件の一部をランダムに無視し、穴にはまりフリーズすることなく最適な妥協解の探索を上手くやっていると感心して見ていた記憶があります。
 もう一つ、林業の現場の作業で行われている方法についてです。林業の間伐において、密な林分では根元を切っても枝葉が絡んで自重だけでは簡単に倒れないこと(かかり木と言います)がしばしば起こります。径がある程度大きい場合、正式には金属のワイヤーローフをかけて、離れた木にブロック(滑車)をつけて(自分のほうに倒れないよう)方向を変え、さらに別の木に簡易な手動式牽引具(チルホール)をつけて、引っ張って倒しますが、木がかかってからの準備では危ないので予めセットして行う必要があり、結構な手間ですし道具の持ち運びも面倒です。法令上は今どうなっているか調べていませんが、一般的にはやってはいけない(死亡事故にもつながるため)方法である、いわば宙ぶらりんのような状態になった倒れない木の根元側を達磨落としのように切っていく方法(元玉切り)が現場では行われたりします(かかられた木を切るのも同様に危険)。これに対して、万能ではないものの簡易な方法としてあるのが、木回し(フェリングレバー)という、棒(木か金属)と金属のフック(先端に返しの刃があり)がセットになったものにより、丸太状の木の樹皮にフックを引っ掛けて、梃子の原理により重い木を回転させるような動きを小刻みに繰り返し行い(揺さぶりによって)枝葉の絡みを外して倒す方法があります。倒れた木の根元が跳ねるとやはり危険ではありますが、牽引より簡単で、元玉切りよりは安全です。この木回しによる「揺さぶり」で枝葉の絡みを外す過程が「徐冷」に似ていると思いました。

NHK映像ファイル あの人に会いたい
総合 毎週土曜 午前5時40分
Eテレ 毎週金曜 午後1時50分
1月16日土曜NHK総合 午前5時40分~ 午前5時50分 1月22日金曜NHKEテレ1 午後1時50分~ 午後2時00分
NHK映像ファイル あの人に会いたい「アンコール 米沢富美子(物理学者)」

米沢さんは昭和13年大阪吹田市生まれ。わずか5歳で数学に目覚め、京都大学に進学。日本初のノーベル賞受賞者・湯川秀樹に憧れ、理論物理学の道に進む。結婚後は子育てと研究を両立させながら「コヒーレント・ポテンシャル近似」など数々の新理論を発表。度重なる病や愛する夫の死を乗り越え、平成17年には優れた女性科学者に贈られるロレアル・ユネスコ女性科学賞を受賞した。自然界の不思議に挑み続けた80年の生涯だった。

【出演】物理学者…米沢富美子,【語り】柘植恵水


↓筑摩書房のサイトから
https://www.chikumashobo.co.jp/product/9784480091246/
『自己組織化と進化の論理 ─宇宙を貫く複雑系の法則』
スチュアート・カウフマン 著 , 米沢 富美子 翻訳 , 森 弘之 翻訳 , 五味 壮平 翻訳 , 藤原 進 翻訳

この本の内容
地球上の生物の複雑多様な進化の謎は「自然淘汰」と「突然変異」のみで語れるのだろうか?答えは「否」!秩序ある生物世界に関しては、自然淘汰や突然変異も重要だが、これに加えて「自己組織化」が決定的な役割を担っている。すべての秩序は自然発生的に生まれる、と自己組織化理論は主張する。本書では、この理論に則って進化の様子を丹念に読み解いてゆく。さらにこの理論は、カンブリア紀の大爆発、生物のネットワーク、経済システムから、民主主義の生まれた所以にいたるまでを説明する。新しい視点からの理論的挑戦でわくわくできる一冊。

この本の目次
宇宙に浮かぶわが家で―自己組織化と自然淘汰が生物世界の秩序を生んだ
生命の起源―単純な確率論からいえば生命の誕生はありえなかった
生じるべくして生じたもの―非平衡系で自己触媒作用をもつ分子の集団
無償の秩序―自然に生じた自己組織化は進化する力ももっていた
個体発生の神秘―一個の卵から生物体ができる「法則」は何か
ノアの箱舟―生物の多様性は臨界点の境界への進化から生まれた
約束の地―分子の自己組織化を応用すれば新しい薬を作ることができる
高地への冒険―生物や生物集団はより適した地位へと進化していく
生物と人工物―技術や経済や社会もより適した地位をめざして進化する
舞台でのひととき―生物集団はたがいに影響し合って進化し、絶滅していく
優秀さを求めて―民主主義の正当性も自己組織化の論理で説明が可能
地球文明の出現―生態系・技術・経済・社会・宇宙を貫く自己組織化の論理