香港は明日の日本の姿?もう目前?


 『NHK NEWSWEB「マイナンバーカード未取得者 約8000万人に申請書発送へ 総務省」(2020年11月27日 11時58分)』このニュースを見落としていました。
 政府は完全に国民の支配に向けて動いているように感じます。デジタル化は当然その一つです。コロナで生活に困っている人、疲弊する医療機関を放置しても、国民支配の準備だけは強引に進めようとしています。武道か何かの攻撃で、相手に考える隙を与えず一気呵成に押し倒すようなやり方です。この現状をどう思われるでしょうか。 

 

 北欧(特にデンマーク)の電子政府が引き合いに出されることがあるかもしれませんが、日本とは状況が全く異なることをまず大前提として理解しておく必要があります。北欧の国々は、社会民主主義で、高税率高福祉、セーフティーネットも行き届き、歴史的にも平等思想が浸透しており、選挙制度は比例代表制で民主主義が尊重され、政府への信頼が非常に高い(悪いことをする政治家がいるとは思えない)社会らしいです。これをほぼひっくり返したのが日本の社会です。日本での電子化では、「政府が悪いことに使う」という疑いがくっついてきます。菅義偉政権からは、その疑いを払拭する制度設計、説明、どのような社会を目指すのかという展望も一切示されていません。たとえ示されたとしても、それを信用できるのかという問題が結局発生してしまいます。そこが北欧の国々との決定的な違いです。

 

 さて、本題に戻ります。

 まず、マイナンバーカードが給付金などの速やかな交付に必要という説明は現状では成り立ちません。勘違いさせて一気に普及させたいという政府の意図は感じます。

 まず、デジタル化やマイナンバーカード普及はコロナの前から進めようとしていましたので今出てきた話ではありません。将来ではなく、現に今困っている人がいるということが無視されています。そして、今年の春、オンライン申請において、誤入力や照合作業のためかえって給付の遅れを招いたことについて総括されたようには見えません。この見立てが正しければ、国民の命を守ることが第一ということにも疑いが持たれます。

 

 「脱はんこ」に拍手している人は、政府に踊らされている可能性があります。「脱はんこ」は電子化、マイナンバーカード普及とマイナンバーへの個人情報の紐付け、マイナンバーカードとスマートフォンの一体化につながっており、その先は監視抑圧社会と考えるのが自然です。小泉政権では劇場型政治に拍手喝采するうちに新自由主義(ネオリベラリズム)の政策が次々導入され格差が拡大していったように、表面的なことと別の目的がありそうです。
 携帯料金引き下げに拍手している人も同じかもしれません。携帯料金引き下げは、スマートフォンを持たない残り2割の人にスマートフォンを普及させる(全国民にスマートフォンを持たせる)ことが目的だと想像すると、マイナンバーカードと一体化させ、国民の管理に使うものと考えるのが自然です。GPSで行動履歴が把握され、「監視されてるぞ」という脅しになります。

 これが妄想であればいいのですが、現実であると考える材料のほうが多いと思います。

 純粋に電子化による利便性だけを享受することはできるのか、そもそも電子化自体が危険性と隣り合わせなものなのでしょうか。少なくとも民主主義により国民が権力を監視するシステムが成り立っていなければ、国民に都合のいい運用は無理でしょう。状況は真逆に見えます。
 

 『東京新聞WEB版「デジタル監視社会 自由を死守する正念場」中島岳志(2020年11月01日 07時00分)』の記事の中で、

「政府はこの(マイナンバーと個人情報をリンクさせる)情報処理事業をAmazonに一任しようとしている。一国の全ての個人情報が入っているものを、外国企業に任せて大丈夫なのだろうか。

 とありました。つまり、私たちの個人情報は外資(アメリカの)企業に筒抜けになります。そしてもちろん政府にも筒抜けになります。また、次のような記載もありました。

「マルクス・ガブリエルは、中島隆博との対談(『全体主義の克服』集英社新書)の中で、「デジタル全体主義」という概念を提示する。(略)かつての全体主義体制では、人々は自分の考えを隠そうとしたが、今は自ら喜んで公に晒(さら)している。ガブリエルは、このような状態を「市民的服従」と呼び、全体主義を自ら引き寄せていくメカニズムに警告を発する。
フランスの哲学者ミシェル・フーコーは、「監視すること」よりも「監視されているという思い」を国民に植え付けることによって、国民を効率的・効果的に服従させるメカニズムがあることを明らかにしたが、現在はこの原理が起動する寸前にある。

 そして、中島岳志氏は、上川法相と小此木国家公安委員長の人事に菅義偉内閣が検察と警察をコントロールしようとする意思が表れていると言います。上川法相は検察庁法案を再提出しようとしている人です。押し通される可能性があります。中島岳志氏は1年、2年前には「正念場」とまでは言っていなかったように思いますが、その中島氏が「正念場」というのですから相当危ないのではないかと思わされます。こうした全体主義に抵抗する記事を投稿することも「市民的服従」として全体主義を引き寄せる要因になってしまうのでしょうか。その場合のメカニズムは「叩かれる」ということでしょうか。   

 

 政府が、立法権も司法も手中にし恣意的な警察権の行使も可能な状態は、今の中国の一党独裁体制のようなものです。立法権は事実上、既に自民党の思うがままになりました。政府与党に国会が踏みにじられています。最近の象徴的出来事として、菅義偉政権により政府国会答弁が意味を持たなくなりました(時の政権により簡単に覆ることを自ら示しました)。日本学術会議法の過去の改正時の国会答弁を、解釈を変えたとも言わず(もはや閣議決定すらせず)に反故にしています。

 今の香港の姿は明日の日本の姿のようでなりません。自公政権をこうした民主主義の廃棄と国民支配に向かって突き動かしているものは一体何でしょうか。アメリカ資本か、日本の大企業資本家か、日本会議(極右カルト)か、マスコミか、おそらくそれだけではなく、記事にもあったように「人々が自ら引き寄せている」部分も否定できません。

 まず、渡してはいけないもの、手放してはいけないものを簡単に渡し、手放してきました。取り戻すことは非常に困難です。国民の代表で構成される国会にあったはずの立法権を実質的に自民党という一つの政党に渡してしまいました。これは小選挙区制の導入に反対運動もせず、マスコミと一部の政治家が煽るままに認めてしまっことから始まります。なぜ押し切られたかと言えば、同調圧力に弱い国民性に加えて享楽的、情緒的で「勉強しない」からでしょう。勉強とは物事を理解し見極め真理を知る力を養うことです。扇動と熱狂は洋の東西問わず起こりますが、扇動により騙されやすい要因になり得ます。

 「数学なんて社会に出たら役に立たない」というのは国民を支配したい側にとっては都合のいい風説になり得ます。支配層に都合の悪い事実を分析し見通すような賢い国民ばかりになったら支配層は困るということです。国民が勉強しないことは国民を支配し家畜化したい勢力にとって都合がいいということになりますが、それでは国力は低下してしまうので「支配層にとって都合が悪いこと」は勉強させないということになるのだろうと思います。ところが、それ以前に日本人は勤勉どころか、高校を出た後、大学でも、社会人になっても勉強しなくなる(強制されないと、又は必要に迫られた時しか勉強しない)極めて怠惰で享楽的な民族です(私自身がそうでした)。支配層にやられっぱなしになる救いがたい性質です。そうした中で「小選挙区制の危険性」に全く気づかないまま「小選挙区制」が導入され、それは将来の自決権を放棄したようなものでした。

 

 日本人のように同調圧力に極めて弱く、加えて勉強をせず怠惰で享楽的、情緒的な(だから扇動により騙されやすい)国民に小選挙区制を適用したら独裁政権ができるに決まっていることを、知る人は知っていたはずです。警鐘を鳴らす学者はいたと思いますが、勉強しない国民には届きませんでした。その後、小選挙区制の特性を知る小泉政権により明らかな専制が行われたにも関わらず、それでも気付かずに拍手喝采までしていました。救いようがありません。第2次安倍政権になってしばらくしてからようやく騒ぎ始めましたが時既に遅しです。

 小選挙区制導入がスイッチとなり、今もこの独裁の流れは止まりません。強制されないとできない国民性に対して「強制する政治」が出現しようとしているようにも見えます。コロナ第1波で、強制されなくても自粛したと言われるかもしれませんが、本当に自発的なもの(趣旨に賛同して協力)だったでしょうか。同調圧力という透明な(正に空気のような)伝染性の「強制力」があったのではないでしょうか。
 もう一つは、日本人の弱者に対する冷酷さが政治に反映されているのではないかということです。同調圧力への弱さと冷酷さの源泉は、島国で封建時代を経験し「村八分」への恐怖と、「村八分」の「巻き添えは御免」ということが染みついてきたことではないかと私は思います。同調圧力への弱さに加えて冷酷さという同調圧力の伝染力(他者への抑圧)があります。同調圧力への弱さと冷酷さ(同調圧力の伝染力)が自民党の政治を支持したのではないでしょうか。
 

 現在の自民党の政治とは、人権や国民の生活の保障や民主主義よりも優先するものがある政治、不公正な競争と覇権主義、大企業資本家が力を持ち弱肉強食で格差を拡大し強者が富を吸い上げ支配する政治、本来なら保守主義が大事にするはずの伝統や経験知を軽視する政治、憲法が権力を縛らない非法治主義など「現在の保守主義」の政治であり、同調圧力を刺激する「支配」という要素、「冷酷さ」を持っています。通常は別の仮面をつけているため「勉強しない」と気付くことができません。


 今の国民にこの流れを止める力があるようには思えません。しかし、手遅れだとしても、勉強して知るべきでしょう。突然何もかも奪われたように感じた時にやっと気付くというのはあまりにも惨めではありませんか。 
 政府は、国民の管理監視、支配を確立して何をしたいのでしょうか。中国のようになりたいのでしょうか。私自身、勉強が足りないためわかりません。これが妄想であることを祈りたい気分です。

(表向きと本当の狙いが違うと感じる例)
 例えば、小泉純一郎氏は、反原発を掲げて勝てない候補を担ぎ都知事選にしゃしゃり出ることで反原発票の分断をしたり、放射性廃棄物最終処分場選定の調査受け入れを表明した自治体に出向いて講演し「ガス抜き工作」をするなど公然と(本当にやりたいこととは)逆のスローガンを掲げて工作活動をしているようにしか私には見えませんが、的外れでしょうか。根拠としては、選挙に関しては、なぜ小泉氏本人が出馬しなかったか、選挙後細川氏のほうは何も活動していないこと、など腑に落ちませんし、自民党政権が何か批判を受けるタイミングで小泉氏のニュースが流れ、批判報道を薄めていると感じたことが何回かあったこと、小泉氏の話はいつも全く同じで関心があって勉強している人の話ではないことなどです。あとは、この人は、扇動(劇場型政治)で国民をたぶらかし、強引に新自由主義(ネオリベラリズム)政策を推し進めて格差社会の進展を決定的にした人であり、私はこの人を信用しないという点があります。非正規で職を失い命を落とす人は、この人の被害者とも言えます。堂々と公衆の前に出てくるということは、本人は無自覚です。



熱狂、誹謗中傷(人への攻撃)、レッテル貼り、道理のない話、はまず疑って考えることです。
煽って考えさせない人の話には乗らないことです。
政府は、脱はんこ→電子化、マイナンバーカード普及を「煽って」います。

 

皆が賢くなる必要があります。

 

2020/12/4 18:00 追記

 高橋洋一という人物がNHKのEテレ売却論を言っているそうです。これは完全に「国民を啓蒙しないほうがコントロールしやすい」という支配層の側に都合のいい考えです。啓蒙しないと国力は低下しそうですが、それでもいいというのは目の前の金儲けしか関心がないということです。竹中平蔵の仲間でもあり、国民を家畜化し金儲けの道具としか思わない人達でしょう。菅義偉政権はこういう人達をブレーンにするというのですから、日本国民の将来は真っ暗闇です。

 

 

↓同調圧力に関する新しい記事
「北欧の文化Lagomの幸福と対照的な日本人の同調圧力による極端さ」2021/12/15
も参照してください。今、本稿を読むと稚拙な部分もあります。(2021/12/17追記)