僕たちが過去体験したこと、そしてこの先で体験することは以下だ。






 

親や学校で教えられたことをそのまま、「学ぶ→信じる」。





 

「いい/悪い」「正/誤」「善/悪」を盲信し、必然的に「自分が正しい=相手が間違い」になる。





 

とはいえ、「相手が間違い」の部分は、無自覚に、だが。




 

うまくすれば、自分が「自分が正しい」と信じ込んでいたように、他者も「自分が正しい」と信じていることが想像できるようになる。





 

これで「自分が正しい=相手が間違い」が混乱をつくることがわかる。





 

「自分が正しい=相手が間違い」が間違いだったことに気づくのだ。





 

一度自分が間違いになる=「いい/悪い」「正/誤」「善/悪」の盲信→「自分が正しい=相手が間違い」が間違いだと気づく。





 

過去の虚偽が崩壊する。





 

過去の虚偽を信じていた自分が一度崩壊する。





 

そうして見つけたもの=過去に学習したこと=過去「学ぶ→信じた」ことが間違いだったと気づいた自分が誕生する。





 

「学ぶ→信じた」ことの盲信がないから、「『学ぶ→信じた』ことが正しくて、『それ以外』は間違い」がない。




 

これで、「学ぶ→信じた」ことを守る必要がないので、自分と違う考え方の相手を、そのまま尊重できる。




 

「自分が正しい」と「相手が正しい」が両立する。




 

こうしてこの人は、人類全体で遊んでいる「集団不幸への飛び込みごっこ」から目覚める。




 

人間がわざわざ不幸になる遊び、「集団不幸への飛び込みごっこ」をしていることが丸見えになる。



 

 

「集団不幸への飛び込みごっこ」をやめる方法が丸わかりになる。




 

ここまで「おろかな遊び」が丸見えになると、「どうよ?」と提案する遊びをはじめる。




 

だって、ウソから目覚めると、「丸わかりのウソ」を信じるという、おろかな遊びをしていることが、丸わかりになるからだ、笑笑。




 

こんな、「どうよ?」って遊びを、いっしょに存分に遊びたいな、と思う。