覚醒体験中の人の特徴として、「断言できる」ことをお話しした。
「自分は悟った」と勘違いしているので、これが「断言」となってあらわれる。
だけど、本当の悟りは「悪いもの」が見えなくなるので、「断言は不要」になる。
「悪いものがある」といっていたのは思考で、その思考が間違いだったとわかるので、世界から「悪いもの」がなくなるからだ。
そもそも最初から、すべてが真実だ。
「間違っている」といっているのは、頭の中の、過去に学習した思考にほかならない。
まだこれが意識の奥に残っており、この人に「分離の錯覚」をつくり出すのだ。
「分離の錯覚」がなくなれば「すべては一つ」だとわかるので、否定できるものが存在できない。
それは「ある」のだから。
それ以外「ない」のだから。
何も悪いことは起こっていない。
何も間違っていない。
「これが真実だ」という断言があるということは、それがその人がまだ「真実」と「真実以外」を見ている証拠なのだ。
そしてその人が真実を語っているかどうかは、「常に一つのものを語っているかどうか」で判断できる。
その人の語る「真実と称することば」を証左すると、「一つのものについて語っている」か、「二つ以上のものをまだ見ているか」が判断できるだろう。
何かを否定できるということは、意識の中に二つ以上のものが見えていることを意味し、これがこの人が「ノンデュアリティ」を見ていない証拠だ。
僕たちはこうやって、「自分で考える能力」を使って、誰かにだまされにくくなることが可能なのだ。
とはいえ、僕は「この段階で停滞している人」を、間違いだとは思っていない。
それも、「その人がその段階だ」というだけだ。
そういう事実があるだけだ。
これを共有することで、僕たちに、「この段階からの脱却が可能になる」から、これを示唆して僕たちは遊んでいるんだ。