覚醒体験中の人の特徴は、二つの世界を見ている点だ。

 

 

 

 

 

 

 

「ノンデュアリティ」ということばを知っているだろうか?

 

 

 

 

 

日本語では「非二元」と訳されている。

 

 

 

 

 

世界は「一つなるもの」だけど、意識は「一つなるもの」を意識化すると、その性質から必然的に「それ以外」を想像し、本当は「一つなるもの」しか存在しないのに、無自覚に「二つの世界」を想像してしまう。

 

 

 

 

 

この性質を知った先人が、世界は「(そもそも)二のない、一つの世界」と伝える目的でつくったことばが、「非二元」や「ノンデュアリティ」だ。

 

 

 

 

 

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人生の前半、意識は「現象世界」だけを、真実のすべてと錯覚した。

 

 

 

 

 

覚醒体験によって、今度は、「源世界」だけを真実のすべてと錯覚することが起こる。

 

 

 

 

 

覚醒体験の期間、意識は「源世界」だけを真実のすべてだと錯覚する。

 

 

 

 

 

そしてこれが、過去の苦しみを一掃してくれたのだから、これを悟りと錯覚する場合が多い。

 

 

 

 

 

 

この逆転現象を悟りと勘違いした意識は、その認識で、世界に働きかける場合がある。

 

 

 

 

 

 

覚醒体験によって、自分の苦しみが全部一掃された。

 

 

 

 

 

エゴイズムはこれで優越感を得る。

 

 

 

 

 

そして宣言する。

 

 

 

 

 

「私は悟った」と!

 

 

 

 

 

 

意識はこれでまた、「悟った私」と「悟っていない人々」を無自覚に分離させているのだが、このことには気づけない。


 

 

 

 

「意識を当てたもの」と「それ以外」を、無自覚に分離させるのは、意識の性質だからだ。

 

 

 

 

 

 

現象世界を意識から隠したから、一時的に苦しみ(を含む現象世界の体験)が、意識化できなくなっているだけなのだ!

 

 

 

 

 

「悟った」という錯覚は、断言をつくり出す。

 

 

 

 

 

無自覚に「悟った私=正しい」になっているため、「これが正しい」と断言し、まだ無自覚に「正しくないもの」を見る。

 

 

 

 

 

意識が、「一つなるもの(ノンデュアリティ)」を見ていたら、外の世界に否定するものは見えない。

 

 

 

 

 

それ(その「一つなるもの」)以外、存在しないのだから。

 

 

 

 

 

 

「私は悟った」と断言できる人は、「悟った私エゴイズム」と一体化してしまったのだ。