こんにちは、やまがみてるおです♪

 

 

いつも、来てくれて、ありがとう!

 

 

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もしもいまのキミが、「自分のやりたいことをしていない」のだとしたら、それはキミが、「つくられた自分」「ニセモノの自分」を生きている証拠だよ。

 

 

 

「自分のやりたいことをしていたら、それだけで幸せ」になる。

 

 

 

もしも「自分のやりたいことをしている」のに、幸せじゃないって感じているのだとしたら、それはキミの「本当にやりたいこと」じゃないのかもしれないね。

 

 

 

まだ、「過去に学んだことの制限を受けている」んだ。

 

 

 

 

過去に学んだことを、「真実と錯覚している」から、「学んだこと」の中に、自分を閉じ込める

 

 

 

だけど本当は、キミは「人間という制限さえも、こえた存在」なんだ。

 

 

 

「人間という制限さえも、こえた存在」であるキミの「本当にやりたいこと」は、キミの想像をはるかにこえている可能性がある。

 

 

 

だから、「それをするのは恐ろしい」かもしれないね。

 

 

 

だから僕たちは、それを見つける手前の、「比較的恐ろしくない、やや、やりたいこと」なんかで、自分を偽ったりするんだ。


 

 

だけど、この恐怖は、過去に学んだことを「真実と錯覚している」ときだけ、「その錯覚の真実の外にチャレンジする」から、感じることだよ。

 

 

 

だけど、過去に学んだことは真実じゃないので、この恐怖も真実ではないんだ。

 

 

 

「その錯覚の真実の外にチャレンジする」ことで、これが明らかになる。

 

 

 

 

蜃気楼の中に入っていったら、蜃気楼は消えるのと同じだよ。