「口を閉じたまま話そう。その方が疲れない」と兄が言った。
「わかったよ」と私は口を閉じたまま同意した。
どうやら夢を見ているらしいと私は考えた。私達は河川敷の公園でベンチに並んで座っていた。兄は先日一緒に鑑賞した映画の感想を話し始めた。その口はしっかりと閉じられていて唇は少しも動いていなかったが、それでいて兄の声は私の耳に届いてきていた。
「面白かったね」と私は相槌のつもりで言った。口は開けなかった。舌も動かさなかった。
兄は映画の感想を話し続けていた。無表情のまま私の方を一瞥もしていなかった。私は自分の発言が兄の耳に届かなかったかもしれないという気がして不安を覚えた。ふと視線を上げると映画の感想が青空から聞こえてきているようだと感じられた。
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