「すいません。ひょっとして、あなたはヨロコビではありませんか?」
「いいえ。違います」
唐突に目の前に立ち塞がった老人に質問を投げ掛けられたので私は当惑しながら足を止めた。そこは人通りが多い繁華街だったが、老人の声はあまり大きくもないのに、しっかりと耳に届いてきた。ただ、私としては目的地に向かって一心不乱に歩いていたところに話し掛けられたので頭の切り替えに手間取り、質問の意味をじっくりと吟味する前に反射的に首を横に振っていた。
その場を立ち去ってから私は老人との間で交わした短い遣り取りを頭の中で何度も反芻した。唐突な出来事だったので自分の応対に何らかの不始末があったのではないかと気になっていた。しかし、少なくとも誤った情報は与えていないはずだった。私はヨロコビではなかった。歩きながら両手の指先で頬を軽く撫でてみた。確かに喜んではいなかった。そこに笑みはなかった。
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