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山田小説 (オリジナル超短編小説) 公開の場

アメーバブログにて超短編小説を発表しています。
「目次(超短編)」から全作品を読んでいただけます。
短い物語ばかりですので、よろしくお願いします。

 晩秋の閑散とした海岸を一匹の蟹と並んで歩く。世界情勢や為替相場など、おそらく海底の生活では仕入れるのが難しいであろう人間社会についての広範な情報を提供すると蟹はおよそ何にでも興味を持って耳を傾けてくる。時には矢継ぎ早に質問を繰り出して詳細な説明を求めてくる。蟹の中にはまるで子供のように無邪気な好奇心が宿っているらしい。諸々の問題に対して述べる意見は素朴で工夫がないきらいがあるが、それでいて物事の要点を逃さないだけの鋭さを備えている。質問の内容が知識の範囲を越える度に私は自らの不勉強を思い知らされるが、蟹はそれを少しも非難しない。ただ、それでも聞き出せるだけの情報をこの機会に仕入れてやろうという熱い気概が一貫して感じられる。
 
 そのような人間社会に対する飽くなき知識欲に接していると、いっそ陸地で生きていけばいいと思うのだが、おそらく何か隠された事情があって海底での生活を余儀なくされているのだろう。それをわざわざ暴き立てるつもりはない。
 
 いつでも水中に帰還できる方が安心できるだろうと気遣って蟹には波打ち際を歩かせていたのだが、いつまでも同じ向きで歩いていると足の同じ部分ばかりが集中的に疲労すると主張してきたので私は言われるままに海側に回り込む。しかし、そうやって位置関係を入れ替わったものの、どうやら蟹にも癖があるらしく、そちら側に進むのは不得手な様子である。途端に歩き方がぎこちなくて不格好になっている。或いは、傾斜のせいで重心が前方に寄り過ぎるのかもしれない。しかし、蟹はあまり問題にしていない様子で、私に対して「貴方もそろそろ逆を向いて歩いてみてはどうか」などと提案してくる。そうすれば肉体の節々に蓄積された疲労が拡散して一時的にしても誤魔化せるのだと主張する。蟹として体得した知恵だろうか?私はしばし躊躇するが、拒絶するのに適当な理由も思い付かなかったので世話焼きの蟹に勧められるがままに後ろを向いて背中の方に歩いていく。すると、案の定、すぐに躓く。転倒はしなかったが、体勢を崩し、あやうく蟹を踏み付けそうになる。
 
 そして、ふと自分達の行き先に小さな人影を認める。誰かが波打ち際で犬を散歩させている。蟹は体高が低いので遠目には私だけが単独で不格好な歩き方を試みているように見えるだろう。そのように考えると途端に馬鹿らしくなり、私はいつも通り前を向いて歩いていく事にした。

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