理由を求めるな | 山田小説 (オリジナル超短編小説) 公開の場

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アメーバブログにて超短編小説を発表しています。
「目次(超短編)」から全作品を読んでいただけます。
短い物語ばかりですので、よろしくお願いします。

 「なあ、聞いてくれ。新しい小説の筋を思い付いた。まず登場人物としては陰気な性格の男が一人。これが、まあ、主人公やね。で、こいつは精神的に塞ぎがちで、ひどい時には死にたくて堪らんという気分に陥るわけや。人生全般に意義とか価値を見出せん感じになるんやね。或いは、生きるのに意義とか価値が必要不可欠になるくらい頼りない心境になるって事かな?
 
 それで、いよいよ覚悟を決めたんやけど、遺書を起草する段階で自殺は頓挫するんや。死ぬに値する理由って何やろう、と疑問を抱くわけやね。なかなか生真面目な奴やろう?でも、そうやって改めて考えてみたところで、わざわざ積極的に命を捨てる理由なんぞ見つからん。
 
 いや、幾らでも心当たりならあるんやで。でも、どれも人生を閉じるに際して、この世に残される遺族連中の心情を納得させ得るような堂々とした理由ではないような気がするねん。むしろ、こんな他愛もない事情で捨てる程の安い命やったんやろうかって考え始めると惨めで、遺書を綴る筆も一向に進まんというわけや。
 
 それやったら、なんで死のうと思う程に胸中が塞ぎ込むのか?その点に疑問を抱くわけやけど、ある日、男は悟るんや。つまり、いちいち理由なんぞを追求するから不必要なまでに気持ちが落ち込むんや、とな。原因を周りになすり付けて、そのせいで自分を取り囲む環境がどんどん絶望的に感じられていくっていう甘えに満ちた幼稚な精神構造を発見するわけやね。
 
 まぁ、この場合に限らず、悲観論なんて大抵の場合、怠け者の言い訳でしかないのかもな。でも、その周囲への依存心が回り回って逆に自分を苦しめる結果を生じさせるんやから皮肉なもんやな。中途半端な覚悟では楽に生きていけんって事かな?怠惰な生き方が全面的な支持を得れば社会が立ち行かんようになるやろうから本能がその危機を回避しようという意識を働かせるのかもしれんな。
 
 とはいえ、この辺りの複雑な心の機微についてはもう少し詳しく説明というか、俺なりの見解を明確にしておいた方がわかり易いのかな?
 
 それなら、ちょっと話が替わるけど、人間には眼球が二つあるよな?なんで二個あるかわかるけ?例えば、カメレオンは同時に別々の方向を見るから二個の眼球を有効に使ってるよな?でも、人間の眼球は両方共に顔の正面を向いとるやろ?これって無駄やと思わへんけ?なんで進化の過程で一個にならんかったんやと思う?片方を失った場合の予備やないで。景色を立体的に認識する為や。右目と左目から入った視覚情報を脳内で照らし合わせて世界を三次元的空間として把握するわけや。そうすれば対象との距離感とかも測りやすいからな。
 
 ところが、眼球とは違って心は大抵一つしかないよな?その心が延々と一定の状態を保持し続けたと仮定しよう。そうなれば毎日が安らかで、平穏に過ごせるかもしれん。でも、それは物事を一面的にしか認識できてないって事にはならんかな?きっと将来的には了見が狭い人間が出来上がるやろう。もちろん平和な世の中ならそれでも安全に問題なく生きていけるかもしれん。むしろ余計な可能性まで考慮して無駄に神経を擦り減らすなんて阿呆の行いかもしれんしな。
 
 でも、主人公の男は自分の本性がそんな穏やかさとは程遠い仕組みに出来ているって自覚するわけや。心配性なんやね。或いは、強い向上心の現れなんかな?いずれにせよ、そうした素質があったと考えるべきやろうね。人格は環境によって形成されるという考え方もあるけど、環境から受ける影響も主観によって大きく異なるわけやから、合わせ鏡のもう一面として素質という因子は軽視できんね。
 
 とにかく、精神ってものは外界からの刺激によって変動するだけではなく、内的な要請に従っても振動するわけや。お前だって機嫌がええ時もあれば悪い時もあるやろ?その心の揺らぎは周囲の事象を立体的に把握して距離感を測っていこうとして起きる本能的な活動なんやね。
 
 それで、主人公もせっかく悟りを得たからには自分本来の気質に則って物事を多面的に認識していこうと思い立つわけや。今までは気分が落ち込む度にいちいち理由を追求して、そのせいで自分を取り囲む環境のすべてが呪わしいように感じてたけど、そういう八方塞がりの状態に直結するような悪循環は意図的に断ち切って、悲しい時には楽しかった記憶を思い出し、逆に喜ばしい時には腹立たしい出来事について考察するように心掛けたんや。そうして精神の均衡を保っていこうと考えたわけやね。
 
 しかしな、精神状態を自分で好きなように操作できたら誰も苦労はせんと思わへんか?心は内的要請だけに従って振動するわけではないとしたら、そもそも男が自己流で編み出した思考方法は外界からの刺激を軽視しているという欠点があるよな?
 
 もちろん命を捨てる寸前にまで追い込まれたわけやから、それ以上に状況が悪化するなんて考えにくいかもしれんけど、それやったら、人間はなんで自殺という非常逃走手段を選ぶんやろうか?ひょっとしたら、この世界の苦しみには際限がなくて、死しかその懊悩を断ち切れんのかもな。
 
 でも、悩むからこそ新たな可能性も生じるし、それは成長を伴う場合もあるはずや、と俺は思うけどな。成長は自分を変化させるから、結局は現状を捨て去ってんのかもしれんけど、この世に不変の物なんてないやろ?生物なら尚更な。周囲の環境が変わり、自分も変わる。そうやって昨日の敗者が今日は勝ち、今日の栄華が明日には廃れる。それでええやん?晴れの日もあれば雨の日もある。そんな気候でこそ草木もよく育つし、世界が豊穣になるわけやからな。
 
 それはともかくとして、主人公はなにしろ根っから生真面目な奴やから、その独自に工夫した作為的な思考法を長期間に渡って頑固に実践し続けたわけやけど、そのうち、色んな価値観が頭の中でどろどろに混じり合って、遂には正邪も陰陽もない、錯綜が極まった境地にまで陥っていくんや。
 
 というわけで、オチとしては自分の肛門を拭いた紙幣を笑顔で黙々と食べる場面で終わらせたろかと思っているんやけど、お前、どう思う?ちなみに俺としては主人公がその思考法を長期間に渡って実践し続けるところを重点的に描きたいと思ってるんやけど」
 
 「ドンパチとかカーアクションはないんけ?」
 
 「それは物語の本筋とは関係ないし、今のところ予定にはないけど、作中に差し込む事は不可能ではないかな。ひょっとしたら、より多角的な構造を作品に与えられるかもしれんし、そうなれば主題にも沿うところやな。検討する価値は充分にありそうや。お前に意見を求めて良かったわ。ありがとう」