行き先は未来 | 山田小説 (オリジナル超短編小説) 公開の場

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アメーバブログにて超短編小説を発表しています。
「目次(超短編)」から全作品を読んでいただけます。
短い物語ばかりですので、よろしくお願いします。

 もう何十年も通勤で同じ路線の列車を利用している。目に入ってくる景色はすっかり見飽きたようにも感じられるが、それでも長期的な視野で見ると同じ姿を留めている物などほぼ皆無であろう。私が会社勤めを始めたばかりの時代と比べると沿線の田畑は格段に減り、替わりに大小の建物が増えている。もう遠くの景色まではなかなか見通せないのが残念だ。
 
 随分と窮屈な世の中になったものだと思う。それでも地球上の人類はまだまだ増加の一途を辿っているらしい。人口を増やして何か利点があるのだろうか?人が増えて頭脳が増えたのだから知恵も増えて世の中がもっと素晴らしくなるような工夫が雲霞の如く湧き出てきても良さそうなものだが、そんな威勢がいい話をほとんど耳にしないのはどうしたわけだろう?せっかく増えた頭脳を効率的に機能させる術さえあれば文明の進化がもっと速まっているはずではないのか?それができていないせいで私は何十年も前と同様に相も変わらず列車という古典的運搬手段に頼って会社に通っているというわけだ。
 
 しかし、そもそも我々はどこに向かって進化しているのだろう?その方向が不明であれば何をどのように試行錯誤してみたところで無為そのものだ。目標が欲しいと思う。魅力的な目標さえあれば社会全体がそこを目指す為により機能的な構成になり、歴史の歩みを飛躍的に加速させるだろう。しかし、そこは住みやすい世の中だろうか?かなり窮屈な社会になるのではないか?明確な方向性など持たない方がより雑多な人間を内包させる効果を生み、ずっと豊穣な社会が形成されるかもしれない。おそらく一見猥雑に思える現状も本能の要請に応えた結果なのだろう。そうでなければ生物は単細胞の小さな姿態を維持したまま一切進化しなかったであろうから。
 
 果たして我々の本能は今後どのような選択を下していくのだろう?愉しみではあるが、まだこれといった目標は発見されていないので実際問題として現状における人類の大半にはほとんど選択肢がなく、私は今日もこうして列車に揺られている。

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