長い夜のピアノ | 山田小説 (オリジナル超短編小説) 公開の場

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 もうかなり長い時間、狭く、曲がりくねった路地を歩き続けている。すっかり日が暮れていて街灯も薄暗いので道の両側にある家屋や塀がどれも代わり映えしないように見える。見通しもあまり利かないので延々と同じ場所を堂々巡りしているような気がしてくる。疲労も相俟って方向感覚や距離感といったものに対する自信が揺らぎ始めている。道はただ曲がりくねっているわけではなく、大小の起伏が続いていて、むしろ平坦な場所がほとんどない。
 
 ふと食べ物の匂いが嗅覚を刺激する。道路に面した塀の窓から明かりが漏れていて、包丁で威勢良く連続的に俎板を叩く音が聞こえてきている。どうやら夕飯の支度をしているらしい。ちょっと懐かしいようなスパイスの匂いだ。一家団欒の風景が脳裏に思い描かれる。しかし、その情景よりも私を愕然とさせたのはまだ夕飯時でしかないという事実である。日が暮れてからも随分と長い時間歩き続けたように感じていたが、それはどうやら主観的な思い込みであったらしい。そういえば、さほどの空腹を感じていない。しかし、それでも私としてはこのまま歩き続ければ夜明けまでに老衰で天寿を全うするのではないかという懸念が頭に居着いて離れない。
 
 さらに路地を歩き続けていくと今度はピアノの音色が耳に入ってくる。誰かが練習をしているのだろうか?一音ずつを楽譜と照らし合わせながら懸命に弾いているのかもしれないが、随分とたどたどしい指使いだ。というよりも、むしろ何らかの曲を演奏しようと試みているようには感じられない。私はなんとなく気になったのでピアノが聞こえてくる家の前で足を止め、その音色に耳を傾けてみた。そろそろ本格的に疲れてきたので一休みする頃合いでもあった。そうしてしばらく聴いていて、先程からピアノがほんの限られた音数しか鳴らしていないという事実に気付いた。そのせいで何の法則も形式もないような演奏が不思議とまとまっているように感じられるのだった。そして、私はどの音がどのタイミングで鳴らされるのかという予測を愉しみ、次なる局面を今か今かと待ち遠しく思いながらながら聴くという鑑賞姿勢をそこに発見した。

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