かつて俺はスリ師を生業としていた。腕には自信を持っていたが、それでも警察機関に捕縛された経験は一度や二度ではないし、実際のところ人生の何割かの時間は檻の内側で過ごした。だから天寿を全うした後、閻魔様から天国行きの宣告を頂戴した時には心底意外な思いを抱いたものだ。閻魔様は俺に対して「好きなように生きてみろ」と仰った。てっきり厳しい罰が待ち構えているものとばかり思っていたので拍子抜けもいいところだっだが、だからといって馬鹿みたいに戸惑ったまま呆けていても仕方がないので、とりあえず大金持ちになって毎日を豪遊しながら過ごす事にした。何人もの美女を侍らせ、美味い高級酒を浴びるように呑み続けた。それは正にかつての自分が憧れていたはずの生活だった。
しかし、それでは満たされなかったのだ。より正確に言えば、しっくりこなかった。こんなものが念願通りの生活なのだろうか、という疑念を拭い切れなかった。やがて俺は受けるべき罰を漫然と免れ続けているという因果応報に対する決定的な不始末が違和感を生じさせる所以になっているのではないかという考えに至り、一転して地獄に模した状況を自分に課す事した。そして、いつ果てるとも知れない自傷行為にもそろそろ飽きてきた頃、俺はかつての自分が生き方などで悩まなかった事を思い出した。狩りを楽しむように街を徘徊しながらスリを繰り返していた日常はまるで野生動物のように不安定で刹那的であったが、それなりに充実していたのだ。
だから、俺はスリ行為を再開する事にした。最初はズルをして透明人間になったりしてみたが、いまいち緊張感が足りないので、今では専ら自分の技量だけを頼りにしている。それに、逮捕された場合には罰もきっちりと受ける。もう何度も腕を切られたが、その場合もしっかりと相応の激痛を感じる。既に死んでいるのだから時間はたっぷりとある。例えば一個の国家に居住する人間全員から財布を盗む事も不可能ではない。それに、一つの家系を人類社会が貨幣経済を導入する時代まで遡りながら順番にスッていくのも面白い。実際、俺は本屋などで歴史関係の書物を立ち読みする際、そこに掲載されている有名人の肖像画などを見て、そいつから窃盗した時の鮮明な思い出を脳内の記憶倉庫から引っ張り出してきて悦に入ったりもする。
まったくもって愉快である。紆余曲折はあったが、ようやく俺は俺の天国を見つけられた。
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