ある日のマルクス君 | 山田小説 (オリジナル超短編小説) 公開の場

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 マルクス君は悩んでいた。
 
 「私が組み立てた史観を応用して未来を予測すると、将来的に人類はあらゆる労働を機械やロボットなどに任せる事になるだろう。なぜなら、太古から現在に至るまで、我々の歴史というものは技術革新によって発展を促され、社会内の人口構成比においては労働者階級の割合が減少していく方向に推移しているからである。
 
 しかし、この論理が正当であるならば、経済学者である私はこれから人類の未来にどれだけ寄与できるのだろう?ほとんど理数系の連中に下駄を預けるような状態になるのではないか?それでは自分の仕事を不要なものと絶望する為にわざわざ研究を積み重ねてきたようなものである。職業神授説なんぞ信じていないが、そんな自己否定の論理を甘受し、積極的に支持できるはずもない。
 
 では、どうする?別の未来像を打ち立てるしかないだろう。ろくな想像力を持ち合わせてない他の経済学者や社会学者達でもわかるように、過去の実例を応用してみよう。原始共産制だ。それが人類の未来に再現されるという事にしよう。この場面で過去に立ち返る必然はないし、論理的な正当性は大幅に損なわれるが、頭の悪い学会の連中がそのような欠陥に気付くはずもない。ましてや一般大衆など問題外である。
 
 そうだ。人々に歓迎されるように、共産制の美点を幾つか列挙しておく事にしよう。まず、平等である。全員が公務員であるから少なくとも表面上は封建時代のような身分間を隔てる壁がない。誰でも出世のチャンスがある。しかも、国民全員が同一の組織内に入るという事だから、施政者にとってはこれだけ統制しやすい社会もないはずである。大衆にとっても上司の命令を忠実に遂行しているだけで良いのだから無責任で気楽なものだろう。おそらく平等で安定した社会になるのではないだろうか。
 
 それと、税金がない。私有財産を認めないのであるから市民の懐から金品を徴収するという概念自体が不要なのである。例えば支給品のパンを食べている市民がいるとして、そのパンは市民の所有物ではないし、それどころか市民自身も市民の所有物ではない。そして、その市民の足元に道路を造りたければ一切の見返りを出さずに退去させる事も可能なはずである。これらの事実を認めない人間はその強欲な性格が危険因子であるとして処罰されるだろう。
 
 それから、大義を持てるという美点もある。施政者がどのような政策を打ち出すにしても、労働者階級の栄光の為という名目さえ掲げれば市民達からの賛同を得やすくなるはずである。もし歯向かう人間がいたとしても、それは理不尽な悪でしかないのだから容赦なく堂々と処分できる。しかも、地球上のあらゆる社会に労働者がいるのだから、彼等の存在に根ざした正義を振りかざせば影響力も甚大なものになるはずである。
 
 以上に見てきたように施政者にとって非常に好都合な社会になるはずなので、高級官僚になりたがる人間が増えるだろう。そこから導き出される必然的な結果として、勉学に励む若者が増えるだろうし、大学も活気に溢れてくるはずである。もしかしたら自分の教え子達を通して政界に影響力を及ぼすような、逞しい教授連中も現れるかもしれない。もちろん新しい社会全体がそのような段階まで成熟するには数世代掛かるだろう。
 
 さてと、これだけ説明しておけば頭が固い学者連中も納得するはずである。しかし、世の中は馬鹿ばかりで構成されているわけでもない。誰かが論理上の欠陥を見抜いて指摘してきたらどうしよう?私自身は事前に知っていたとはいえ、そのように反論するわけにもいかず、格好が付かなくなるのではないか?その際の弁解を思い付くまでは一切の推測を発表すべきではないかもしれない。そうだ。しばらくは沈黙しておこう。何もせずに他人の行動を批判している方が気楽だし、私の性にも合っている」
 
 かくして理数系の科学者達は人類が目指すべき未来の理想像を自力で見い出せずに核兵器を開発し、世界は二つに割れ、人々は恐怖におののいたのだった。

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