近世人は予測する(3) | 山田小説 (オリジナル超短編小説) 公開の場

山田小説 (オリジナル超短編小説) 公開の場

アメーバブログにて超短編小説を発表しています。
「目次(超短編)」から全作品を読んでいただけます。
短い物語ばかりですので、よろしくお願いします。

 あらゆる物理的な災厄から完璧に守られた人々が機械による永遠の夢想をそれぞれに体験している世界。そこでは全ての人間が生きたいだけ生き、死にたい時に死んで行く。新たに産まれてくる人間はいるだろうか?それは分からない。ただ、全人類の永遠ではない生涯を全て体験してみたとしても、まだ時間は余っている。全人類の自殺以外の願望を全て達成してみたとしても、まだ時間は残されている。そのような世界に生きていたとしたら、私は何をしているだろうか?

 しかし、眼前では相変わらず霧雨が降り続いている。二本の足が一歩ずつ固い路面を踏み締めている。湿気を含んだ衣服が刻々と重量を増しているように感じられる。目下のところ、それらが私にとっての歴然とした現実である。そして、その胸中には未来人に対する嫉妬心が蠢いている。自らを近世人と名付けてみたところで、むしろ不満足感が増幅するばかりである。いずれ確実に死亡する運命にあるという点においては、他の通行人達と全く変わりがないのである。何となく自分自身が虚しい存在であるかのように感じられる。

 タイムマシーンに乗って未来人が祖先を救出に来ないだろうか?しかし、その場合、救出される我々は本来の歴史から外れた地点に立つ事になるので、厳密に精査すると我々自身とは呼べないかもしれない。しかも、そもそも彼等はタイムパラドックスの危険に手を染めてまで我々を救出したいと考えるだろうか?ひょっとすると自分自身の長大な人生まで失うかもしれないのである。もし時空旅行が理論的に可能になったとしても、その実行は未来世界において禁止事項になっているのではないか?そして、我々は自分たちの子孫対して、死の危険を冒せ、と声高に叫べるだろうか?できるとすれば、あまりにも利己的で見苦しい。

 他の手段を探らなければならない。私自身も人並みに生への執着心は持ち合わせている。簡単に絶望するつもりはない。永遠に生きていける世界が人類の未来に到来するのだとしたら、私もそこに参加したいのである。もちろん最も短絡的な動機は、あらゆる悦楽を味わい尽くしたい、という点にある。

 ところで、この宇宙は未来永劫にわたって延々と存在し続けるのだろうか?いつか跡形もなく霧散するのではないか?だとすると未来人はいずれ別の時空へ退避する必要がある。その機会に我々も一緒に救出されないだろうか?この宇宙とは時間的にも空間的にも関連性がない世界から導かれるのであれば、歴史上のどこに位置していたとしてもたいした問題ではないはずである。しかも、その方法ならば未来人達自身が既にタイムパラドックスの危険を冒しているという体裁になるのだから、今さら改めて警戒する必然性が失われるのではないか?

 原始人から未来人まで、全ての人類が好きなだけ生を謳歌できる世界。それこそ私が希求する現代のあるべき姿である。そして、その楽観的な理想に対する疑念の分だけ、私の胸中には未来人への嫉妬心が湧き出てくるのである。なぜなら私は彼等が考慮する必要のない問題について頭を悩まされているのである。いっそ同時代に生きる人々とその苦悩を共有し、近世人を増加させていく努力をしてみようか?ひょっとすると、そこから新たな妙案が生まれてくる可能性もあるのだから。


近世人は予測するシリーズ

近世人は予測する(1)
近世人は予測する(2)
近世人は予測する(3)

目次(超短編小説)