これはあくまで感覚的なものであるため、説明するのは難しい。

しかし、事務所を出て数歩歩くとたしかに匂ってくる。

これは夏の夕暮れだけではなく、秋の夕暮れにも感じる。

この匂いをかぐと懐かしい気持ちになる。

高校の頃、女の子と二人で花火を見る予定でいたのに、急に友達を呼んだ臆病な自分。

大学生になって、カラオケでトランクス一枚で飛び回りながらケツメイシの夏の思い出を歌ったこと。

こういったものが瞬間的に思い出される。

仕事で疲れていた自分が少し癒やされる。

また、夏と言えばスイカ、素麺、海といった、非常に涼を感じることができるものが代名詞となっている。

やはり水が関連しているものが多い気がする。

私は、夏の涼を感じるものは風鈴だ。

これは昔読んだマンガが大きく影響を及ぼしている。
サラダ日和というものだが、ご存じだろうか?

このマンガを読んだ当時は、彼女に、夏には風鈴をプレゼントしたいと強く思ったものだ。

この代物、ただうるさいと言われればそれで終わりだが、他にはない旋律を奏でて、眠気を誘うのも事実。

縁側で、風鈴の音を聞いて団扇をつかい、枝豆をつまみながらビールをつまめたら最高だろう。

そのためには、やはり平屋の庭が広い家とか欲しいものだなぁ。

ということを、事務所から駅までの三分間で妄想してた(*´д`*)
子供のころは食べれなかった魚。

大人になった今はむしろ大好物。

こういった食べ物に関して嗜好が変化していくことは周知の事実だろう。
かくいう私は、赤ちゃんの頃甘やかされて、果物をはじめ、初物をたくさん頂いた影響で、スイカが今は嫌いになっている。
これは少し話が違うかな(笑)

さて、今回考えたのは食べ物の話ではない。

フェイス、globeの歌ではない、顔、だ。
僕はIs this loveのほうが好きだ。

そんなことはさておき、顔というものが与える人気、もしくはモテ度というものを考えてみた。

まず幼少期からはほとんど異性に興味をもつこともないせいか、顔がいいからといっておいしい思いをすることもない。

しかし、小学生頃から影響力を増すようになり、高校生までは顔がよければ、本人の意思はともかく、モテるわけである。
しかし、大学生にもなると顔の優先順位は落ちていく。

しっかりした人などが人気がでるなど少し傾向がかわってくる。

社会人にはなおその傾向が強くなる気がする。内面的な部分や経済力を重視するというアンケート結果がでているほどだ。
そう考えると、顔がどうだろうと将来的に考える必要ないんだな、そう考えて自分を励ましてみた(・∀・)
今日仕事で区役所に向かう途中にそれは起きていた。

起きたのではなく、起・き・て・い・た、ことをここに明記しておく。


なぜならソレは静かに道路に佇んでいたからである。

コレが立って道路の真ん中にあることはきわめて不自然だ。

しかも白線の真ん中ではなく文字通り車が通る道にである。

当然車はそれを避けていく。
しかし避けるためには対向車がきていたらおそらく停止してからではないといけない。

ソレは小さいくせして、路上駐車くらいの不快さを備えていた。

仮に踏みつけたとしても事故にはなろう。しかも、二次的な危険を及ぼすことも考えうる。

いったい誰が置いたのか。

昔、線路に石を乗っけて遊んでいた小学生の頃の担任には劣るものの、たちが悪いことには変わりない。

このどこにでも手に入る伊右衛門のペットボトルによって、そこは危険地帯となっていたわけである。

ならば、おまえがどかせ、ごもっとも。

しかし、車のとおり激しく、行きに回収するのは断念。

ならば帰りに。
しかし、そこにすでにペットボトルはなかった。
良心をもつ人間により片づけられたのだろう。そこいらに転がってないことを確認し、そう確信する。

しかし、なんのためにペットボトルを道の真ん中に置いたのか。

私に理解できる日はくるのか…。