"

うっそうとした樹林の間を、高くどこまでも澄み切った晩秋の空が広がり、絹雲が刷毛で一掃きしたように薄くたなびいている。樹齢50年を超えるヒノキにそっと触ると何かを語ってくれそうな気がする。空気の匂いまで感ずる。
私は、世界遺産に指定された熊野古道から少し入り込んだ三重県尾鷲町速水林業のヒノキの森で、速水 勉翁と語り合うことができた。300年前から手を入れた速水さんのヒノキの森林は程よく間伐されていて、木立の間からさんさんと日差しが注ぎ込んでくる。
「戦前、ここには樹齢100年を越えるヒノキがあったのですが、当時日本軍が南方の島々での簡易飛行場の滑走路にヒノキを敷き詰めるのだと伐採されてしまいました。今植わっている木は戦後に植えられたもので、まだ30年か50年先でないと伐採しません。」
と淡々と語り始める。ちなみに速水さんの山は日本で始めて世界の森林の環境認証を受けている。
「今は息子の亨が、少しは皆のためになればといろいろやっていますが、山の現場は私も頑張っています。この時世ですから少しでも油断したら赤字になります。」
と87歳になるという勉翁は軽々と軽自動車を運転して木場まで案内してくれた。
かり出された樹齢100年を超える見事なヒノキの丸太の横にタワーヤーダー、クレーンなど最新の重機が並んでいる。
「うちの山は、一ヘクタールに45メートルの作業道を自分たちで作り上げました。」
そんな話しを聞いているうちに、菅直人、岡田克也さんらが、速水亨社長と一緒に熊野古道の散策から戻って合流した。
日本の林業は厳しい。6,70年かけて、絶えず枝払い、下草刈り、間伐とようやく育てあげた杉の木一本が200円とスーパーに並んでいる大根一本の値段もしないのだ。あちこちの林業の現場を見て歩いたが、どこでも聞かれるのは悲鳴、また悲鳴、そしてほとんどの日本の民間林業者は山を捨ててしまったといえる現状にある。荒れた山は豪雨のたびに大水害をもたらす。
速水さんは違った。愚痴の一言も言わずにこにこして日本の林業の将来をわれわれに語ってくれた。
「ドイツも20年前、林業の危機に瀕していましたが、徹底して林業の作業道を国が整備したのです・・・・・・・・。」
現場で闘って来た林業家の言葉の一言一言は重い。いろいろ教えられた意義深い一日だった。

 

"