福島ももう春。
桜がようやくほころび始めた。真っ白な花びらが清楚でなんとも温かい。
山々の木々も赤紫色に芽生えが彩色し始めている。
そのうちに薄緑色に染まっていくのだろう。
そのように何ごともなかったような、のどかな山間を車は走り続ける。

ピッピッと放射線の線量計が先ほどからなり続けていたが、一際高くなる。
皆が緊張する。
「うえっ、7マイクロシーベルトですよ」
飯館村に差し掛かったところで、運転席の横に座って計測していた社民党の職員野崎   さんが悲鳴を上げる。
1時間当たりの線量が7マイクロシーベルトといえば、東京が0.1から0.2マイクロシーベルトだから70倍は越える数値にあたる。
この数値では1年間では7ミリシーベルトの値に達することになって、50ミリシーベルトを被爆した場合には労災保険が適用されるという危険な値になる。
年間1ミリシーベルトの被爆だけでも1000人に1人は癌患者が増える値だといわれている。
しばらく走ると鳴りやんだ。

実は、昨日4月15日から福島原発の事故で20キロから30キロ圏として緊急時避難地域に指定された南相馬市に社民党の阿部知子議員と一緒にやってきた。
南相馬市といえば、原発から20キロから30キロ圏内として「自宅待機」が枝野官房長官から指示されてからは、放射能被爆を怖れて誰も市内に入る者はいなくなって食糧の調達にもことかいた。
それでも南相馬市の桜井勝延市長さんは、「住民が南相馬に一人でもいる限り、自分は市長としてここに留まる」と頑張ってきた。
阿部さんからその話をお聞きして是非とも桜井市長さんに会いたくなってきたのだった。
桜井市長さんの話は面白かった。
「3月の14日でしたか、市役所に突然自衛隊がやってきて、皆すぐに100キロ外側に逃げてくれ、原発が爆発するというんです。
皆あわくいましたよ。市役所の職員もカバンを持って逃げ出すのです。
まーまー慌てないでくれ、県からも何も言ってきてないと押さえたのです。そのときに市の3分の2ほどの住民は逃げ出したでしょうか。大変なパニックでした。
メディアも南相馬市は汚染されているとして、NHK、朝日新聞など何処も来ませんでした。最初に来たのはUPIなど外国の通信社です。
知り合いの共同通信の記者から「取材したいので30キロ圏の外側まで私にきてくれと言うのです。断りましたよ」
桜井市長はその後も1500人ほどの市民をバスで送り出しながら、津波での避難民、20キロ圏からの原発避難民の世話に奔走してきた。
今では、市長の説得でコンビニも一部戻ってきて住民の半分ほどは、これまでのように落ち着いて生活を始めている。
政府から緊急時避難地域として指定されているが、市長さんは腹が据わっている。
「私がここを出て行ったら、この町はもう終わりです」
もともと酪農家でその夜は一杯飲みながら、農業談義で話が弾んだ。

翌朝、飯館村に向かった。
ピーピーと線量計が鳴り出す。峠を越えると静かになる。かなりまだら模様で放射能の強弱がはっきりしている。
さすがに飯館村は日本100選の村に選ばれただけに自然に恵まれた素晴らしい山間の村だ。
村役場には、菅野典雄村長、議長、村会議員さんが揃って待っていた。
皆思いつめた表情をしている。
「ここから一ヶ月以内に、出て行けとはあまりにもむごい」
「同じ飯館村でも場所によって線量が低いところもある。ここの役場の中は0.6マイクロシーベルトぐらいだから大丈夫ではないか」
「何とか村の外側、郡山などに住んで牛飼いなどの農作業も通ってきてできないだろうか」
それぞれが訴え始めた。
もっともである。
福島原発事故は人災である。東京電力はすべての損害の賠償を負う責任がある。
政府もこれまで原発を推進してきた責任がある。
政府が住民の健康を心配して計画的に避難させるなら、それなりの補償を示した上でケースごとに、何処にどのように移り住むか相談に応じなければならない。
これらの計画避難地域には、少なくとも総務省の政務三役の1人、政務官でも常駐させるべきではないか。
私はそう思った。

村役場を辞して、飯館牛の繁殖農家を案内していただいた。
夫婦で40頭ほどの牛の世話をしていた。
2日前に生まれたばかりの子牛のつぶらな瞳が可愛い。これからどうなるのかと思うと胸が痛む。
線量計の音が激しく鳴る。そっと止める。
何処からともなく、ヒバリの鳴き声が聞こえてくる。
のどかな田舎なのに。

帰路。
三春町の福聚寺を訪ねた。
偶然に、玄関先で芥川賞をいただいた作家でもある玄侑宗久和尚にお逢いすることができた。
NHKの番組でも福島原発について語っていたのでお逢いできて嬉しかった。
玄侑和尚は今回、菅総理から震災復興会議の委員にも選ばれている。
自然と福島原発の話になった。
「・・・・・五百旗頭座長の個人としての見解とは言え、復興税の話はいただけません。
何か仕組まれた気がして私は反対しました」
さすがに、はっきりと意見を述べられる。

福聚寺には裏庭に高名な瀧桜がある。
これから咲き始めるところで、まだ薄い赤味の蕾が真っ青な空に映えていた。
福島にも春は来ているのに。