夜、眠れないままにBSのチャンネルを回していたら、懐かしい歌声が入ってきた。

野に咲く花はどこへ行く
野に咲く花は清らか
野に咲く花は清らか
野に咲く花は、少女の胸に
そっとやさしく、抱かれる

この歌は、あのベトナム戦争時代に、米兵の間で歌われたフォークソング、優しい単調なリズムの歌だ。反戦歌としては、最も有名で広く世界で歌われてきた。
「花はどこへ行った」の歌のルーツを映像で追っている。
私の目は釘付けになった。

この歌は1955年に米国でのフォークシンガーの元祖と言われてきたピート・シーガーが作詞、作曲したものだ。今ではピート・シーガーも84歳、それでも元気で日本人の妻と米国のカントリー(田舎)に住んでいる。森の中で斧をふるってマキを割っている姿が映し出された。
綺麗な顔だ。
間もなくギターを片手に唄いだした。
なんとも素晴らしい。

ピート・シーガーの歌はロシアのノーベル文学賞をいただいた文豪ミハイルショーロホフの大作、小説「静かなるドン」の中に出てくる詩の一節にヒントを得て作られたものだった。

私も昔、読んだ記憶があるが、大河ドン川のほとりでの少女とコサック兵との恋物語だったと思うがすっかり忘れていた。
その詩の一節はロシアでもコサック地方に古くから伝わる子守唄を紹介していたのだ。

葦の葉はどこへ行った
少女たちが刈り取った
少女たちはどこへ行った?
少女たちは嫁いで行った
どんな男に嫁いで行った?
ドン川のコサックに
そのコサックたちはどこへ行った?
戦争へ行った

映像では、ロシアの毛糸で編んだ赤い帽子を被った白いエプロンを付けたお婆さんがその歌詞の子守唄をたんたんと歌っていた。
メロディもどこか哀調を帯びているのは子守唄だからだろうか。

このピート・シンガーの歌が広く世に知られるようになったのは、45年も前のベトナム戦争のときだった。ことに「テト攻勢」のときにベトナムで米兵たちが肩を組んで涙ぐんで歌っていたのは記憶に新しい。
そうか、この「花はどこへ行った」の歌はもともとはロシアの古い子守唄だったのだ。
私には妙に納得がいった。

テレビではさらに往年の大女優マレーネ、デートリッヒが晩年祖国ベルリンに帰ってドイツ語で、「花はどこへ行った」を唄い続ける姿が映し出された。
美しい。
戦前ナチスと闘い祖国ドイツを離れてアメリカにわたり、非国民と言われながらも連合軍兵士を慰問して回った。マレーネ・テートリッヒが深い悲しみをたたえて、たんたんと唄い続ける姿は力強く私に訴えてくる。

野の花はどこへ行った
娘たちが摘んだ
(略)
兵士たちは戦争へ行った
今では墓に眠っている
墓には野の花がそっと咲いている

今このときでもアフガニスタン、シリアでは悲惨な戦争は続いている。
イランでも核開発を巡って新たなイスラエル、米国との戦争の勃発が現実味を帯びて噂されている。

番組が終わって、私はどうしたことか、とどめなく涙が溢れてきた。
そして、久しぶりに私の心は洗われるようなやすらかな気持ちになった。

なかなか眠れない。
私も国民に選ばれた政治家として世の中に対して責任がある。
「TPP、消費増税、原発再稼動・・・」などと当面の数多い課題を負わされている。

ついにメモを出して書き留めた。

花(民主党)はどこへ行った?
心ないあの人達に摘まれてしまった
その花はどうなってしまったの?
霞ヶ関の人達に弄ばれたの
ワシントンDCへの花束になった

その花たちはどうなってしまった?
水もあげられず枯れてしまった
それでも種は残っていたの
いつかかならず花を咲かせるために
花(民主党)は再び咲いて、実を結んだ

翌日、私が事務所でこの話をすると皆にゲラゲラ笑われた