昔、昔40年よりも前、私が学生の頃、定まった下宿も無く、友達のところを転々と泊まり歩いていた。
まともに大学での授業なども受けていなかった頃の話だ。
新宿西口の小便横丁をうろうろしていたのだが、お金がなくなると芝浦の浦島橋のところに朝早く、6時ごろ出かけていって、いわゆる「たちんぼ」をしていた。
そこには、2,300人の仕事に溢れた連中が集まって、ちょっとした賑わいを見せていた。
手配士らしい中年の男がいて
「おい、そこの若いの、こっちだ」と声をかけられる。
「ミゼット」(当時の幌の付いた軽トラック)に数人一緒に押し込められて、波止場に着く。そのままハシケで沖の貨物船に乗せられて、港湾荷役作業、いわゆる沖中士の仕事をする。
「スクラップ」とか、新聞紙大きな束(ドラム缶ほどはある)の「巻き取り」などしていた。
頭の上を荷が絶えず行ったり来たりするので、気は許せなかったが、一日働くといいお金になった。
パチンコの景品換金場みたいなところで、その場でお金をもらったが、当時のお金で数千円、今の価値にして2万円にはなったと思う。
そこでは、一串5円の焼き鳥(後で聞いた話しでは猫の肉とか)一パイ10円の焼酎が売ってあった。
実は、私は民主党の厚生労働NC大臣として、この数年の派遣労働の実態に危惧を抱いていたが、日雇い派遣の「ワーキングプア」の深刻な現状を派遣ユニオンの関根秀一郎さんから話を伺った。
実際に「グッドウイル」での登録日雇いでの派遣業務での体験談は興味深かった。
メールでの指示の通り、早朝7時半には、弁当を買い込んで水道橋の駅に集合、そのまま倉庫に連れて行かれて、9時からびっしりと働かされる。
軽作業とのことだったが、結構な重労働だったとの事、私はなんとなく学生時代の「立ちんぼ」を思いだした。
メールでは日給6784円とされていたが、実際には交通費1000円を含めての話、そこからさらに「業務管理費」として別途200円差し引かれる。
これだけの収入では、いつ仕事があるかもしれない不安定な日雇い立場では生活できないのでは。
まだ昔の「たちんぼ」のほうが、はるかにいい給料をもらっていたのではないだろうか。
今、大手のキャノンなど大企業についても、働く人の4割は派遣労働者になってしまって、正社員の給料の6割ほどしかもらってないと言われている。
派遣会社の手数料は3割くらいだと言われている。
昔の「手配士」、「口入屋」の方がよほど良心的ではなかったろうか。
職業の斡旋は、やはり公的な「ハローワーク」でやらねばおかしい。
米国の「対日要望」の言いなりになってきた「派遣労働者」の制度は見直さなければならない。