久しぶりに、大村の植松教会で日曜日のミサで感動的なお話を伺った。
井深八重さんのこと。彼女は父親が国会議員で井深彦三郎、近い親族にはあのソニーの創業者井深大さんいるなど名家に生まれて、お嬢様として深窓の家庭で育った。
同志社大を卒業して、長崎で教鞭をとり、お見合いで恵まれた結婚をするばかりになっていた矢先、赤い斑点が現れて、念のため検診を受けたら「らい病(ハンセン病)と診断された。
当時のことである。
一族は集まって、彼女の戸籍を抹消して、病名を知らせぬまま神山復生療養院に入れた。
彼女は深く嘆いたに違いない。
そこでフランスの外人宣教会のドルワール・ド・レゼー神父にお逢いした。
当時のらい療養院では完全に社会と隔離されて、畑仕事から治療なども元気な患者、重症の人達をお世話をしていた。
極貧の状態にあった療養院のドルワール院長は献身的に患者の看護に当たっていた。
彼女もいつしか、身体が崩れ落ちていく患者の世話を懸命に始めていた。
数年を経て不思議なことに彼女の紅い斑点が嘘のように消えて、どこも悪くない
「あなたはハンセン病ではないかもしれない、一度検診してもらいなさい」
そう神父に勧められて、再度検診を受けたところ誤診であったことが分かった。
普通ならば喜んで実家に帰るところでしょうが、彼女は違った。
再び、療養院に戻って、今度はただ一人看護師の資格を取得して患者の治療に当たり始めた。
そこで一生をハンセン病患者の治療に捧げた。
92歳で1989年なくなるまで。
彼女の墓碑にはご自身の手で「一粒の麦」と書かれてある。
ミサの中でDVDで見せていただいた。太く描かれた立派な字だ。
亡くなる前の穏やかな笑顔も印象的である。

ヨハネによる福音

一粒の麦は、地に落ちて死ななければ、一粒のままである。
だが、死ねば多くの実を結ぶ。