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 久しぶりに、宮崎にはいった。懐かしい。

 糠のような冷たい雨が降り続いている。

 

 ここで口蹄疫を収めるため農水副大臣として自ら乗り込んで、まさに修羅場の中で現場の指揮にあたったのは3年もならないのに遠い昔のような気がする。あの時ワクチン接種を決断するのは重かった。

農水省の技官は「ワクチンが効かないかもしれない」という。

 

 当時、一日数十件の発生が始まり燎原の炎のごとく勢いを増して燃え広がっていく。牛も豚も爪がはがれて血みどろになってびっこを引いて歩くようになっていく。ここで食い止めなければ都城に、そのまま鹿児島にと口蹄疫は広がり九州の畜産はおろか日本の畜産を崩壊させてしまう。事実、同時期に発生した韓国では全土に広がって最終的に500万頭の牛豚を察処分したがそれでも口蹄疫汚染国になってしまった。

 

 私は健康な牛豚を含めて最終的に29万頭の牛豚を殺処分した。

かつて若いころ五島で牛を400頭、豚を年に8000頭を出荷していた私にはたまらない気持だった。

 

 冷たい雨が降り続いている。

 私は小さな花束を川南町の畜魂慰霊碑にささげた。すでに雨の中に誰かがお参りしたのだろうか。花束が献花されてあった。

 

 夜、川南でかつて一緒に口蹄疫と泣きながら戦った、牛や豚の生産者と当時を語りながら飲んだ。酔うほどに酒は進んだ。

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