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ようやく骨折した左足を少しだけ着けるようになる。
 
万歳。
ようやく、今日から骨折した左足を着けることができることになった。東京女子医大の庄野先生から「20キロだけ片足を着けてもいい」と話しがあって、リハビリを始めることになった。体重計に片足を着けて、松葉杖で20キロを計りながら歩く練習を始める。
 
嬉しくなって「松葉杖を使って階段を降りるときはどうしたらいいのでしょうか?」とお聞きしたら、庄野先生は即座に「階段は危ないから、まだだめですよ!」と怒られてしまった。思わず首をすくめてしまった。私はとっくに階段の上り下りは何度も我流でやっていたのだ。
 
今までに怖かったのは3週間ほど前、五島市で私の後援会会長富井先生を自宅にお見舞いに行ったときだ。富井先生(産婦人科医)は最初から後援会会長になっていただいたが、当初、五島は田舎のことゆえ暴力団の勢力が強く、皆が殴る蹴るの迫害をうけたが、先生は枕元に日本刀を置いて寝るなど毅然として頑張っていただいた。
 
いつも温顔を絶やさない。その先生が「夜遅くなってもいいので待っています」と言われて、ただ事でないと思って、玄関までお伺いすると2階に休んでおられる。2階といっても、狭い、手すりも無い2段になった急な階段を登らなければならない。一瞬たじろいだが、私は松葉杖で懸命に登った。
 
富井先生はすでに自分の病気をすべて承知していて、相も変わらず温顔を崩されることもなく淡々と語り始めた。最後に、にこにこしながら「君に五島の将来を頼みますよ」と手を差し伸べられたときには、私は思わず、涙がこぼれた。
 
帰るときになって、階段を松葉杖で降りるのが怖かった。富井先生も、元気なころ転げ落ちたことあるといういわくつきの急な階段を松葉杖で降りなければならない。ちょうど見舞いにきてくれた才津春江おばさんが、「心配だ」と後ろから私のズボンのバンドをつかまえてくれている。恐る恐る玄関まで降りたときには全身に汗が吹き出ていた。
 
これまでにも、ずいぶんと階段の登り降りしてきたが、本当は許されてなかったのだ。レントゲンをじっと見る先生の顔が気になって、骨折部分が悪くなっているのではと心配になった。
 
「今のところ大丈夫です」まずは万歳。
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