子供のころ、3月のはじめごろには五島の富江町で、よくシビ(クロマグロの幼魚、とは言っても60センチから80センチはある)が釣れていただいたものだった。
まだサシが入る前のトロなどとはいえない赤味だったが上品な味で美味かった。
そのクロマグロがワシントン条約でシーラカンスと同様な絶滅危惧種として、大西洋地中海での漁獲、商業取引が禁止される寸前まで来ていた。
危ういところで、発展途上国の欧米諸国の身勝手さに対する反発もあって、リビアからの緊急動議が功を奏した。
18日、反対68票でモナコ提案は否決されたのだ。
よかった。皆がほっとした。
ところで、農水省としては、赤松大臣の意向もあって私がドーハ行き、各国との最後の交渉を25日本会議まで、ぎりぎり詰めることになっていた。
20日には私の主催で現地での各国の代表団を招いて、晩餐会の手筈も整えられていた。

その日の午後3時ごろ、現地から緊急連絡が入った。
何でもリビアからの緊急提案でワーキングチーム、委員会、本会議と言った手続きを踏まずに、会議の入り口でモナコ提案を否決できそうだとの情報だった。
瞬間、省内は沸き立った。
それでも、どのような巻き返しがあるかわからないので、その夜、私は海外旅行用の大きなスーツケースに衣類をつめて準備をしていた。
夜11時過ぎ、赤松大臣から電話がはいった。
「山田さん、うまく行ったよ・・・・・・」声が弾んでいる。
クロマグロが絶滅危惧種を免れた瞬間だった。

その3日前の15日、私は韓国の農林水産食品部(日本での農水省にあたる)で、ハ・ヨンジェ第二次官と向かい合っていた。
「・・・・・・ドーハでクロマグロのことで、日本の立場を支持してくれることでありがたい。ところでもう一つお願いがある。
私たちが漁獲している太平洋、日本海のクロマグロも、次の段階では絶滅危惧種として鯨のような禁止措置にならないとも限らない。
日本は、今この時期にこそ率先してクロマグロの資源管理をはかる覚悟をして、それなりに沿岸、まき網の業者と話し合いを始めている。
ついては、両国の領海内を回遊している同じクロマグロなので、韓国のまき網も日本と同様な規制をして欲しい」
ハ次官も日本の姿勢には十分な理解を示していただいた。

私が韓国にこだわったのはわけがあった。昨年10月、壱岐の勝本から若いマグロ釣り漁師が数人で私の副大臣室まで押しかけてきた。
昨年まであれだけマグロがあがって、沸いていた勝本ではまだ1本のマグロも釣れてないと嘆くのだ。
彼らは、まき網が一網打尽にクロマグロの幼魚を獲ると怒るが、それだけではない。2,3年前から山口県の見島からクロマグロが釣れなくなったように、太平洋、日本海のクロマグロも資源が激減しているのではないだろうか。
対馬でのクロマグロのヒキナワ漁も不振を囲っている。かつての五島沖のシビ(クロマグロ)釣れなくなって久しい。
今回問題になったワシントン条約でのクロマグロの資源管理をしているアイキヤットと呼ばれている太平洋、地中海マグロ類資源管理委員会が太平洋、日本海域でもあって、科学委員会のもとで資源調査が行われている。
そこでもクロマグロの資源の減少は問題になり、とりあえずこれまで以上の漁獲は禁止する旨の合意がなされたが、韓国だけは、反対の立場から留保してきた。
今回は悠長なことを言っておれない。韓国にも協力していただき、更なる日本海、東シナ海のクロマグロの資源管理に積極的に取り組まなければならない。

私は壱岐勝本町の若い漁師さんに言った。
「これからは沖合いのまき網漁も、クロマグロの漁獲については規制せざるを得ないが、沿岸の漁民の皆さんも、これまでのように無制限に獲ってはいけなくなる。
皆で限られた資源をいつまでもクロマグロの漁獲ができるようにしっかり管理しよう」
若い彼らは大きくうなずいてくれた。
秋田で3年間もハタハタの禁漁をして見事に資源を回復できたように、今クロマグロの資源管理を強化しなければならない。
クロマグロだけでなくブリ、その他の魚でもいえることだがその産卵の時期と海域では、そのつど漁獲を規制することも考えねばならないのでは。
いずれにしても、魚類の資源管理と漁業所得補償はセットで考えなければならない。