6月11日


昨日、私の議員会館事務所に河野太郎さんが見えた。今国会で審議されている「臓器移植法案A案に賛同して欲しい」との依頼だ。河野太郎さんは、衆議院議河野洋平さんの長男で、確か7,8年前肝臓を悪くしたお父さんに自分の肝臓の一部を切って与え(移植)たのは有名な話だ。

河野洋平さんが本会議中の議長席に座っていて、その真下で河野太郎さんが元気で法案の趣旨を説明している姿は、なんともほほえましい。おそらく、河野太郎さんは、私が7年前に弟から腎臓をいただいたのを聞いていて、訪ねてきたのかもしれない。おかげで、私は腎臓を悪くしても透析を一度も経験することなく、元気に今日まで頑張ってくることができた。
それだけに「臓器移植」のありがたさは、誰にもまして身にしみてよくわかっているつもりである。
本会議場でA案、B案、C案、D案・・・・・とそれぞれの説明を聞きながら、私は千々に迷った。

私が「次の内閣、厚生労働大臣」のとき、小児科の医師が幼い子供を連れて私の事務所を訪ねていただいたことがある。米国で心臓の移植を受けて、「今ではこんなに元気にしている」と絵本を持って嬉々としている姿もまだ記憶に新しい。しかし、植物人間になってもまだ、心臓が動いて身体も温かい。意識はないが、小児であればそのまま性的な成長も続ける。移植時には麻酔をかけなければ苦痛に歪む。そう考えれば、「脳死」人の死とはなんだろうか。深層での意識、命の尊厳・・・・・宗教のことを持ち出すまでもなく考えさせられる。迷う。

米国で脳死と診断されて、植物じょうたいのまま日本に連れかえって、治療を続けていたら、奇跡的に回復して通常の生活に戻った保険会社のペーパーも見せてもらった。日本の脳死の判断は厳格で、そのような恐れはないそうだ。いずれにしても来週には本会議場で私も賛否の一票を投じなければならない。
現行の移植法が成立して11年も経過している。
その間に移植を受けた患者はわずかに81名、米国に移植に行かなくても、A案が成立すれば年間70名から150名は移植を国内で受けられると言われている。

ふと考えた。
「山田さん、透析患者から病気腎の移植をして欲しいと懇願されているが・・・まだできないのでしょうか」
と、2週間前に、病気腎の移植で問題になった徳州会淡路島病院の万波医師から電話を受けた。

今、腎臓癌などにおかされた患者が、治療を続けてもやむを得ず、2個あるうちの1個を摘出する事例は多い。すでに平成3年には、広島で75歳のジン動脈瘤の患者から摘出した腎臓を44歳の患者に移植した事例が報道されている。救急救命センターなど、全国の病院で摘出された腎臓は、を修復すれば、少なくとも1万2000体は移植が可能であると言う。少し心配になる。

癌の場合、その患部を切り捨てて、移植したとしてもその新しい腎臓から癌が再び活性化して、それがさらに転移して命を落とすことは考えられないだろうか。

「その人の癌はその人のものであって、他人に移植してもがん細胞が増殖することは、これまでの例からしても絶対にありえません」

と万波医師は胸を張る。
しかも、全米移植外科学会は万波氏らの症例報告を世界ベストテン論文として表彰(08年1月)すでにオーストラリアのクイーンズランド大学では49症例の病腎移植の成果があり、ヨーロッパではイタリアの国立移植センターがガイドラインを作成している。

国際移植学会理事長は

「献腎が極端に少ない日本は、海外で臓器を入手しないで、国内での獲得に真摯に努力すべきである」

と述べている。

ところが、日本の厚生労働省は病気腎の移植を「医学的妥当性がない」と通達で原則禁止している。これこそ、臓器移植法案の改正を論ずる前に、我々が解決しなければならない問題ではないか。
もし病気腎の修復移植が、認められれば、臓器移植法A案の比ではなく、年間数千人の人が、私のように元気で頑張れるのではないだろうか。

今、糖尿病などで透析患者は増え続けている。それに透析患者の余命は5年と言われている。
急がねばならない。