「手術した方が早いでしょうが、それともそのままギブスで固定しても直るんではないでしょうか。微妙なところです」

東京女子医大庄野医師に言われて、手術すれば予定の民主党農業再生本部の地方出張ができなくなるので、そのまま車椅子で養生することにした。

退院して26日には早速仙台市の「政治スクール講演」に出かけた。

九段の衆議院宿舎からタクシーを呼んで東京駅に向かう。右足をかばって何とか後部座席に座り込む。ところが新発見、普通のタクシーはプロパンガスがトランクに積んであるので車椅子を折りたたんでもなかなか積めないことがわかった。

前もって電話入れていたので、東京駅で丸の内南口の車椅子待合室を探した。なかなかわかりにくい。駅員さんに2回尋ねてようやく見つけた。

狭い、なんとなく薄暗い待ちお会い室だったが、すでにすでに定年を迎えたらしい夫婦が車椅子で待っていた。それでもこれで新幹線に乗れるとほっとした。

「山田さんですね」ありがたいことに乗車20分前、きっかりに駅員が迎えに来てくれた。狭い通路をくるくると廻るうちに、石レンガつくりのアーチ型、多分営業通路と思われる古めかしい通路を案内してもらった。他に誰もいない。裸電球に近い薄暗い通路で途中「浴場」などの部屋板もある。

秘密通路めかして、私はすっかり嬉しくなった。

しばらく行ってエレベーターで上がると東北新幹線のホーム。騒々しい人の雑踏の中に入り込んだ。

駅員が新幹線の中まで車椅子を押してくれた。大丈夫。

途中、トイレに行きたくなって新幹線の身体障害者用のトイレに入ったが、これは素晴らしい。座るところもすべてが行きとどいている。鉄道へのアクセスをもう少し気を使ってもらえれば鉄道での身障者の旅行は十分にできる。

仙台市での講演はうまくいった。私の著書「輸入食品に潰される日本の食」「アメリカに潰される日本の食」18冊も注文をいただいた。

そのまま仙台空港から北海道千歳空港に向かった。