対馬は「魏志倭人伝」にも書き記されているように、海から切り立って、すぐに深い山に覆われている。
その淵、入江に転々と集落が残されている。
かつては集落から集落までは櫓を漕いでの和船が交通の手段だったに違いない。
今でも豊玉姫(神武天皇の叔母にあたる)が祭られている和多都美神社(宮司は137代目とお聞きしている)の大祭には、各浦々から小船で集まってくる。
海幸彦と山幸彦の伝承の舞台になったところで、私も見せていただいたが、今でもその神秘的な雰囲気は残っている。
昔はたいまつを炊きながら、櫓を漕いであつまったらしい。

その対馬に昔からニホンミツバチが家族同様に飼われてきた。
それぞれの家の屋敷のうちに、木を切り抜いた祠が立てられている。
臼より一回り小さくて、中は空洞になっている。
蜂胴と呼ばれて、そこがニホンミツバチの住処(すみか)になっている。
かつて、私の秘書が「お墓」と間違って笑われたことがあった。
私もひそかに考えている。
蜂胴がいくつか南側の崖の斜面に並んでいる様は、その昔インカのクスコに残されているミイラが祀られているお墓もこのような、たたずまいではなかったろうか。
対馬のニホンミツバチは、家族同様に可愛がられていて、集められてきた蜜もごっそりといただくのではなく、一冬越せるだけの十分な量を残して、余りを分けていただいている。
蜂たちも、気まぐれのようだが、飼い主をよく見ていて、その家の主人が亡くなって、代替わりすれば、よほど大切にしないとすぐに家出していなくなると言われている。
蜜も年に一回しか、いただかないので、セイヨウミツバチの10分の1しか、蜂蜜も獲れない。
私も、秋が深まるころに、時々いただくが、蜜そのものをも大変な優れもので大切に扱っている。
うまい。香りも甘さもお店に並んでいるアカシヤや菜の花などの蜂蜜とは異なる。
なにせ、樟脳とか楠の木の花とか、野草の蜜を集めたものなので、味が濃厚だ。
1リットル広口の瓶に、琥珀色の蜂蜜がつめられていて、蓋を開けるとぶくぶくと白い泡が吹き出してくる。
小皿にとっても、とっても湧き出してくる。
すぐに瓶の口一杯まで蜜が溢れて、蓋を閉めるのに苦労したので驚いてしまった。
蜜そのものが生きているのだ。
最近、各地でニホンミツバチが飼われ始めたようだ。
佐世保市の久志冨士男さんが『ニホンミツバチが日本の農業を救う』との本を出版されたが、
その中にもニホンミツバチは人間を識別すると書いている。
一方、セイヨウミツバチの失踪事件が日本各地で発生、農家の果樹、野菜などの受粉にも事欠いてきて、大変な事態になりつつある。
米国でも昨年は、「群崩壊症」とか言われて38%のセイヨウミツバチが消えてしまったと報道され
ことは穏やかではない。
6月9日の読売新聞に吉田満穂さんが『セイヨウミツバチの悲しみ』の一文を掲載していた。
なかなか面白かったので紹介したい。

ニホンミツバチとセイヨウミツバチでは性格も生き方も異なる。
まず、「セイヨウ」。雨が降ると、仕事は休み。スズメバチに襲われれば、1匹ずつ対決して全滅までやめない。気高さというべきか、融通のなさというべきか。一つの花に執着する。レンゲ蜜、アカシア蜜などの種類分けができる理由だ。ダニには極めて弱い。
「ニホン」はどうか。ススメバチを囲み、体温を上げて退治する。かなわないと見たら、さっさと巣を捨てて新天地へ。少々の雨なら仕事に出かけ、花は選ばない。だから、蜜はごった混ぜ。蜜はセイヨウの10分の1しか作れないが、ダニは簡単に取って捨てる。