この国会の終盤、問責が出される直前に、カネミ油症支援法案がこの国会で奇跡的に成立させることができた。こんな嬉しいことはない。最後、輿石幹事長も「これは議員立法だから先に通さなければならない」と激を飛ばしてくれたのだ。
公明党の坂口元厚生労働大臣、河村元官房長官とも最後まで連携を取り合った。
思わず、私の目から涙がこぼれた。

長い道のりだった。
カネミ油症が五島列島、北九州市で1968年発生に発生して44年ぶりにこの国会で支援法案を成立させることができた。
私も弁護士になりたての頃だったから40年前に第一次訴訟段に参加して、玉之浦まで調査に行ったことがある。
言うに言われない痛みと苦しみ、癌とも闘いながら多くの方が亡くなっていった。その後も黒い赤ちゃんが生まれるなどいまだに苦しみ続けている。

44年間、政府の壁は厚く、この間も奈留島出身の犬塚参議員が民主党から救済法案を国会に提出したが、自民党、公明党も一顧だにしなかった。
2009年、念願の政権交代ができて、これが最後のチャンスだと私は張り切った。与党、政府一体だから、民主党内でカネミ油症議員連盟を立ち上げた。私が会長、城井さんが幹事長、福田えりこさんが事務局長として動きだした。

数回にわたって、厚生労働省、農水省の担当者を呼んで協議を続けたが、「カネミ油症は原因企業がはっきりした食中毒事件でこのようなものに、国が費用を負担した例はない。裁判でも最高裁で患者側は、国に責任がないとして、和解して訴えを取り下げたではないか」と言って取り合おうとしない。これでは議員立法で解決を図るしかないと超党派の議連も立ち上げ坂口さんを会長に私が会長代行に就任した。

あれこれ調べるうちに、すでに10年前にPCBが有害なものとして環境から除去するために25,600円を国が負担するPCB特措法が成立して、そこの基金がまだ残っていることが判明した。カネミ油症は人体にPCBが入っている場合だから、その場合にも国が負担してもいいではないか。PCBと特措法を改正して健康被害にも適応できるような改正案を用意した。ところが、主管庁は環境省だがそこが1年かけて交渉してもテコでも動かない。


小宮山洋子さんが厚生労働大臣、長妻さんが座長になって、カネミ法案を環境ではなくて厚生部門で引き受けることになって、初めて具体的な話し合いに入ることができた。ところが国会は、ねじれ国会である。長妻さんが「山田さん、自公から法案を出させたらいかがですか」「なるほど」私たちはかねてからのカネミ救済法案を準備して、自公民とすり合わせて、私のかねてからの主張である直接支払い法案を準備した。

依然として厚労省(財務省)のガードは高い。患者の代表と前原政調会長に逢っていただいた。前原政調会長が財務省に直接働きかけて何度も話していただき、ようやく認定の枠を広げて、医療費、交通費全額、調査費名目で月2万円の療養手当を行政措置で交付できるところまでこぎつけた。単なる行政措置では、予算がつかなければいつ打ち切られるかも知れない。恒久的なものとして、法律の担保がなくてはならない。私は粘りに粘った。

こうして、この国会問責が出される直前に「カネミ総合支援法案」を44年ぶりに成立させることができた。この法案ではカネミ倉庫などの原因企業に任せるのではなく、国の責務、地方自治体の責務も明文にして予算も措置してある。
何よりも水俣病などでは、裁判で国の責任が在るとされているのに、国に責任がないとされているこれらの食中毒事件で国が支払いに応じるのは初めてのことである。しかもその水俣病よりも高い金額での事実上の療養手当てなども支給される。
まだまだ十分なものではないが、3年後見直ししながら法案の手直しをすればいい。

先日、赤坂の中華料理店でカネミ法案に携わった前原政調会長を始め多くの関係者が集まって慰労会をすることができた。早速、来年度予算の概算要求で6億円を計上することができた。来年度から患者に支給されることになる。